生きる意味 | 躁鬱病のサラリーマンの生活日記

躁鬱病のサラリーマンの生活日記

躁鬱病(双極性障害)のサラリーマンの日々の生活日記。毎月22日(夫婦の日)は、妻から私を見た愚痴?等も掲載。

会社帰りにファミマによると、本コーナーに「お坊さんが教える「悟り」入門」という本が置いてあったので、パラパラと立ち読みを始めた。目次を見ると、どうして人を殺してはいけないのか、という項目や、自らいのちを絶つということ、という項目があったので興味を引き、それらの項目を読んでみた。

どうして人を殺してはいけないのか、という問いには仏教の戒律の中に不殺生戒ー生き物を殺してはいけないーというものがあるからだ、と説く。だが僕にはどうもしっくりこなかった。じゃあ、たとえば新興宗教でもで、人は殺せと説かれれば、人を殺してもよいのか、と思ってしまう。

自らいのちを絶つということ、それがなぜいけないのかという問いに対しては、自殺をしたいという電話相談を受けた時のことを書いている。相談した人には友人もいない、両親とも絶縁状態、自分が死んでも悲しむ人は誰もいない、だから死んでもいいですか、と問うのに対して、この本の著者の長谷川俊道氏は、私とここで知り合ったのだから、あなたが死んだら私が悲しみますよ、と説く。だがこの答も僕にはしっくりこない。電話もせず孤独なままでいる人は、死んでもいいのかと。

人は自殺にせよ、他殺にせよ、なぜ殺人がいけないのかという問いに2,3秒考えていると閃いた。自殺も含めた「殺人」という行為は、殺された人の「可能性」を0にする行為だからではないかと。別の言葉で言えば「未来を失くす行為」だからだと。当たり前と言えば当たり前のことだ。

双極性障害でうつで暗く深く沈んでいる時は本当につらい。こんな暗い時がいつまで続くのだろうかと絶望的になってくる。躁のときは躁のときで、とんでもない言動に走り、人間関係を傷つけかねない。そしてまたうつになって躁のときの自分に後悔し、地獄の底なし沼のようなところへ落ち込んでいく。回復の見込みは全く見えないように思える。

冷たく凍った氷はなかなか堅いが、氷を掌に置き柔らかく手を握ると、体温で氷が暖められて、あれほど堅かった氷が溶けて水になり、指の間からこぼれ落ちてゆく。ほんの少しの環境の変化で、あれほど堅く、形を変えなかった氷が変芸自在の水になる。

堅い氷のように見え、回復の兆しの見えない躁うつの波も、ちょっとした環境の変化で水になり、落ち着いた気分になる。生きている限りは「可能性」がある。可能性がある限りはそれを信じて、生きていこうではないか。

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