寛解の先にあるもの。 | 躁鬱病のサラリーマンの生活日記

躁鬱病のサラリーマンの生活日記

躁鬱病(双極性障害)のサラリーマンの日々の生活日記。毎月22日(夫婦の日)は、妻から私を見た愚痴?等も掲載。

この4月で、気分が落ち着いてきてから丸2年になる。殆ど上がりもしないし、落ちることもない。だが、僕の主治医は寛解という言葉は使わない。言ったとしても「最近は気分が安定してきたね。」だ。
僕の状態は寛解と言わないのかもしれないが、加藤先生のこの資料によると、寛解期が占める期間は約50%である。意外と長いのだなと思ったりする。

気分が落ち着いてきたからと言って、健康時の状態そのままかと言ったら、若干違う気がする。加齢によるものかもしれないが、記憶力は落ちている。判断力も鈍っている。たまに母に会う時は、母からはもっとシャキシャキ動きなさい、と注意される。確かに昔はかなり速足で歩いていたので、歩いている最中に人に抜かれるケースはほとんどなかったが、今は抜かれて当たり前である。早く歩こうとしても、体が対応していけない。

そんなことを考えていたら、「寛解期日本人双極性障害患者の認知機能解析」というのを見つけた。これによると、寛解になっても、健常者と比べて、
色々な機能が劣っているらしい。こういったのを読むと寛解になるのがいいのかともつい思ったりしてしまう。昔は気分安定薬も非定型抗精神病薬もなかったわけで、双極性障害の昔の偉人はどのように過ごしていたのだろうかと思ってしまう。
「うつと気分障害」岡田尊司著において、ドイツの文豪ゲーテを詳細に調査したメービウスのことを紹介している。ゲーテは高揚した期間がほぼ7年周期で現れるという。2年ほど高揚期があり、そのあと5年の沈滞期があらわれ、また2年ほどの高揚期があるというのを繰返していたらしい。そしてゲーテの優れた作品はこの高揚期になされ、沈滞期には学者や行政官として過ごしていたという。岡田さんによれば、ゲーテは双極性2型障害だと診断されている。そして、あれっと思う。ゲーテには寛解期がなかったのかと。

昔、主治医と躁うつの波はあっても、芸術家的才能が出るかもしれない(出ないかもしれない)状態を続けれるか、躁うつの波を鎮めて、閃きとかは弱まっても平穏な日々を過ごすか、どちらがいいか話し合ったことがあり、そんなに芸術的才能があるとは思えない僕は後者を選んだわけですが、気分は落ち着いても自分自身の機能低下は感じているわけで。これを回復するには、
まずは速足で歩くことではないかと、勝手に思ったりしています。

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