一人になって落ち着くことは普段でもよくあることだ。気分が沈んでいる時も一人でいることで気分が解消することがある。うつの時は本人は周囲の視線が敏感に感じる。心配していることに反応する方法がない。腫れものように扱われている。そういうような思いだ。だが、そういう自分を認めてほしいのもある。離れたい認められたいという葛藤を心の中ですることが多い。ときに周囲と距離をおいてみるのは一つの考え方である。

周囲に気をとらわれずにいれる。つまり、余計な詮索されずにすむのだ。家族と過ごしている場合は24時間一緒にいるわけだから、一人の時間をもつのは貴重なことなのである。その時は余計なことは考えないものだ。愛する大切な存在のそばにいることは心がしめつけられる思いがすることだってある。

現実逃避と思われていも一人は貴重なのである。災害や事故で慰められる接し方は普通に接することという。決して腫れものにさわるようなことはしてはいけない。ただ、その距離感を見つけるには苦労することになる。それで気分の悪化を繰り返す場合だってある。

望ましいことは、周囲に存在を認められながら一人になれる空間があることだ。その空間で好きなことや時間を忘れることができれば気が紛れる。解放感だってある。気楽だということだ。それ以上の落ち込みはないのである。

落ち込みがある場合はやめるべきだ。ずっと一人になっていると考えがひっ迫する。自殺念慮が生じるようになるので危険である。周囲から声をかけられる前に自ら一人になることを避けるべきである。

また、一日中一人でいることは望ましくないことである。同時に、一人で睡眠をとることも勧められない。一緒にいる時間は必ずつくって食事は一緒にとるなど閉じこもらないように工夫することが大切だ。

一人になれることは望ましいことだが、一人になりすぎないようにする。微妙な感じがするが、周囲に関心をもたれながら離れるという空間があってもよい。ただし、一人になることは孤独になるということでないことを忘れないてほしい。「