あつい、あついですねー。
 

バイオエナジェティック・オステオパシーの施術仲間と、無料で(ドネーション歓迎😃)公園などで(暑いので秋くらいからやる。)バイオエナジェティックの世界が始まる静けさに到達する。自らの内側にあり決して失われたり損なわれたりすることのない静寂に辿り着くことを、共同で行う施術、できたらなー?。

わたしがあなたに何かをするのではなく、そこから広がっていくフィールド。

どこまで広がっていくのか?周りの人たち、そのさらに周りへと。それがバイオエナジェティックの願い。

(それをもうひとりの施術仲間は"平和活動"て記してはった。宗教とかはまったく関係なく、でも、日々思うところあったんだろうね。)

自分の中にあるヒーリングの力、誰かに何かをしてもらうのではなく、予め生まれる前から備わっている正常に向かっていく力(自然の摂理に沿っていこうとする力、自己治癒力)に耳を澄ませる。それは、静かで、精妙な光に満ちている、誰にも気がつかれない、秘密の地下の泉。日常の意識から変わる、初めは真っ暗と感じるかもしれない、しかし、物質的な日常の眼では見えない光で満ちている。

そこに入っていく。

自分の中に入ってきた、あるいは、入れられた情報。余分な本来の私のものではない異物。他人の意図、引き付けようとする感情、自分の感情。そんなもの全てを取り払った時に残るもの。自然界、そしてその先にある精妙な空間。私たちがやってきたところ、死ぬとたぶん帰っていくところ、赤ちゃんがやってきたところ。

そこにあるもの。

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それを、ある日ホメオパシーでも感じた。

 

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正直、ホメオパシーの講座ではその世界観や扱っていると思われる領域が狭い、浅い。なんだかなー、と思っていた。原因や根源ではなく、その結果としての表層の症状のレイヤーしか見てない。

症状を消すことに注視してるし、実際に生命力には知性がないとか、生命力は本能しかなあから間違いを正すことができない、なんて教科書に出てきたりする。

でも、バイオエナジェティック・オステオパシーの世界観からみると、それ(知性がないように見える)は命の本質のレイヤーでの真の知性を持った生命力が、働き叡智が対処した結果の常態である『症状』のことなんですよ。

症状は、生命力がそのとうてい人間の頭では理解も触れることもできないような神聖な、畏怖するような、圧倒的な神々の世界の、叡智の働きの結果。最善の最大の対処の結果、それで全体の生命を保つためにそこに保持することでバランスをとり生かすために作られた結果が、『症状』なのです。

だから症状をいくら見ても、そこに神聖はないし、歪みとか汚れやスタックして動きの取れない邪魔なものにしか見えないし、それを見ていても混沌としてくるばかり。

見たいのは、その症状そのものではなく、その症状の背景にある生命力(健全)。そこに治癒の力があり、神聖がある。

症状の原因にまで降りていく。原因とは、美。原因とは生命力そのもの。決して間違えない、全てを知っている叡智を持つ。

症状を見ている時は生命力そのものを見てるのではない。その背景にある完璧な生命力そのものを見ることを、ホメオパシーではしないんだな、、。でも、バイオエナジェティク・オステオパシーではすべての基本。そこからしか始まらないし、何もできない。

だから、ホメオパシーは本質を扱ってないのかな?と思ってたんだけど、あるとき、原因を扱っていることが分かった。

 

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たとえば、症状として。恨み、嫉妬、愛情不足、、みたいな症状をもつとき、その症状を出すレメディをとる。すると打ち消すように?症状は消える。

だからその症状に相当するレメディを探し出して、症状が消えることを目指す。

ホメオパシーの素晴らしさを聞くとき、こんな大変なことが治った。という話しばかりき

く。

しかし、あるとき、あるレメディをとった時のことをシェアしてくれた方がいらっしゃった。そこに真の光が見えた(感じた)んです。

近しい方が突然亡くなった。誰にも、なにも触れられたくない、慰められたくない!自分が弾けてしまいそう。ちょっとでも触れられたら、自分を保てない。勧められたあるレメディが助けになった。それをお母さんにもよかったらと、試してみてもらった。すると、翌日、なんか少し変わったかもしれない、とおっしゃったそう。「きっと、それまで母は毎日泣いていたんだとおもいます。」そのレメディ、ある植物のレメディ。

レメディの症状としては深い悲しみ、周りが見えないで突き進む、念を曲げない、押しつけ。などなど、人間が感じ取った症状の情報の羅列が書かれている。そういう症状を消すことが、レメディなのか?症状が消えて治ったと喜ぶ?

レメディの、その植物の、本質はなにか?なぜ、お母さんは癒されたのか?

その症状の、背景にその本質が存在している。光が灯っている。それがみえますか?症状のレイヤーにはない、その本質、光、そのレメディそのもののありか。レメディーのスピリット?神聖?そのもの。

癒しがもたらされた。翌朝まで、お母さんと一緒にいてくれた存在。それがレメディー。

混沌のレイヤーを通り抜け、その背景にある本質のレイヤーにまで降りていき、真の治癒、真の生命力に繋がりそこから流れてくる力、精妙な神聖のエネルギーに道を開いた存在。それがレメディーの本質。症状でその本質の存在するありかを知らせ、ここにわたしがいますよ、と知らせている。

健全、を見つける。

お母さんと一緒にいてくれたもの、症状が道をさし示し、到達したところにいた存在。

使い古され間違えた意味になってしまっているが、それをバイオエナジェティック・オステオパシーでは、「愛」というのだとか。

 

愛情ではない。感情ではない、愛なのだと

か。

 

感情では対処できない、慰められたりしたら、破裂してしまうように。感情の先、やがて密度がなくなり、静けさが始まる。われわれがやって来たとこと、死ぬと帰っていくところ。