このあいだ、スピ系でこのひといいかも?と思うひとの1dayの講座にでてみたんです。(スピ系の講座は数年ぶり。)やっぱり違うな〜、そのひとはいいのですけど、なんかちがうわ〜。とモヤモヤ。と、一方で、すごい惹かれる。それもヘン。
その人のワークはけっこう太陽神経叢をよく使っていた、ハート(チャクラ)ではなく。太陽神経叢を使うのは危ないので、うーん、というのはあったんだけど、その時はとくに悪いとも思わずワークをやったりもしました。あとはシンボルのイメージを使うワークも。バイオエナジェティックの世界では、イメージによるワークはまあまあ高次のレベルを使えはするけれど、ソース(源)の次元から見ると随分低次です。なので、バイオエナジェティックではイメージは決して使わない。でも、そのワークも悪くなく、よかった。
次の日、すごい調子良いし、何か今までずーっとあった体の違和感が消えてたりして、すげー、と思ったり。で、すごい惹かれていたんだけど。なーんか、おかしい。おかしいわけではないんだけど、なんかモヤモヤ。
で、なんやろな〜、と考えてたんです。で、昨日は久しぶりに高尾山に登ってきたりしながら。(むちゃ人多かった。平日やのに。)ボクはバイオエナジェティック・オステオパシーの世界観があるから、そこから眺めて見てたんです。なにが、変なんだろう?
まず、何度も参加しているであろう参加者の方たちの、質問が。やっぱり自分ジブンジブンなんですね、ハートの領域にシフトしない。エゴのところが増大していっている。なんでやろう?その主催の方はそんなふうに感じないんだけれど?それを通過してハートにそのうち辿り着く、という考え方なのかしら?
あとは、ワークもお話も全体を通して、スティルネス(静寂)の性質にならない。なんやろね、天使やマスターを呼んでワークするみたいな感じだったけど、、うーん、その領域ではなかったような。ずーっと太陽神経叢、感情のレベル、、。イメージワーク、、。本当に高次の存在とワークだったのかしら?謎。
何が違うんだろう?と、昨日高尾山行ってきて、なんだかんだと過ごしていて、、”祈る”というワードに至ったのですが、お願い事ではなく、ただ、手を合わせる、ということ。ただ手を合わせる、というのと、アセンションするための(らしい)自分を変えていくワークとの違い。それなんやな〜、と思った。
やっぱり、”変えよう”よくなろう、良いものに作り変えよう、チカラを使って、というのが、ぜんぜん嫌なんやとおもった。
スティルネスにならん。
すごい惹かれたのも、たぶん、太陽神経叢(エゴ)を使ったからだろう。
手放して、自由になろう。スティルネスに触れよう。