グラストンベリーに行った時のこと。

イギリスです、セントマイケルズレイライン(大天使ミカエル)とマリアのレイラインがクロスするところ。(遺跡が点在するラインがある。)

ある小さな教会へ、旅立つ直前に寄ったのです。

(その旅では聖地を巡り、自作のフラワーエッセンスを作りに行きました。植物は無しで、フィールドのエネルギーを転写する。)

その小さな教会は、まあ、行こうと思ってたけど何かと忙しく、そのままに。去り際にちょっと寄ってみた。

ブワーっと。僕はそんなに敏感に何かを感じ取ったり何かが見えたりということはほとんどないんだけど、というかまったく。😑

そこに一歩踏み入れた途端に、ぶわーっと、流れが。下から上へ抜けていく。イメージとか、超感覚とかではなく、物理的に身体感覚で明らかに起こったこと。

そんなん初めてやし。

その教会は何百年前、2000年くらい前の時代からのつながりらしく、キリストと関係のあるある方の由来の教会なんだとか。

そこは、教会としても機能していた時代もあれば、もっと前には、ある大聖堂の巡礼者のための宿だったり、病院だったりした。

僧院の僧侶や尼さん?たちが、奉仕していた場所。

なんでそんな反応が起きたんやろなー?🤔

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その人たちは、神に奉仕する、みたいなことやってたんだろうな。

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施術を、してるやん?うち。

その間は、自分の欲求など放棄してるし、願望も捨てるし、誰かの要求にも左右されない。やることは、生命の秩序に従うこと、自己治癒力の現れに従うこと。人間の要求や欲求は、立ち入れない。

"神に奉仕する"状態といえるかも?知らんけど。😑

※ちなみに、ここでいう神とは高いところにいる神様でもあるんだけど、我々の個々人、クライアントさんの内側にある神様のこと。我(エゴの)の欲求でなくて、分け御霊のところ。そことの対話が、セッションなのですね。知らんけど。😑

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では、最近思うんやけどなー、日常どないにしていくんやろ?

欲求や要求、あるやん?

それ追いかけるのか?それとも、"神に奉仕"する、のか。昔の僧侶やったら神に奉仕、で決まりやけど。

施術者のうち、どーなん?

施術、バイオエナジェティック・オステオパシーをやっていくのが、今のところ人生の中心。

施術中は、どちらか明らか。では、日常は?

このままエゴの欲求追いかけても、満たされることはないのはわかる。けど、追いかけるだろう。

でも、"神への奉仕"なら満ちているんだろう。ふと、もうまあまあの年やし、そっち選ぶのも?

そんなことも考える。🤔

前世うち、僧侶でその教会のとこで働いてたんかしら?