(またマニアックな話、通じないかな〜。)昨日の施術、もうちょっと忘れちゃったけど、

他県からお越しの初めての方、ロルフィングの体験会にお越しいただいた。

遠方から、そして、初めての方、こういったタイプの施術(自然界の秩序に従う施術。意図、知識や計画を当てはめない。バイオエナジェティック・オステオパシー)は初めて。やることはたくさんある。見ておきたいところはたくさん、ここだけは、という大切な箇所もたくさん。

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基本的な、生命力の発現が起こる箇所、そして、広がりが生まれると次の段階にシフトしていく流れが生まれてくる段階、そこまで、なんとか施術できたら。。

その方にとっては、次に受けていただく機会があるのか?この(不思議な?)セッションのやっている世界を『わかってもらえるだろうか?』

・・・この人生で一度きりのセッションになるかもしれない。

やるべきことをやらねば、その秩序の現れの流れが生まれ、流れが治療をしていくように・・。そこまで、やることができるか?この一度きりしかないかもしれない機会に。

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特に初めての方には、
わかってもらえるのか?次の機会があるかどうかわからない、、「この機会にここだけはやっておかなければ」そんな気持ちが起こってくる。

でも、この施術は、自然界の調和の話。人間の意図や計画では施術は起こらない。やりたいことを当てはめても治癒や流れは起こらない、導きは得られない。自然界の背景にある秩序の世界、その生命の流れに従う。

この一度きりしかないかもしれない機会に。

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ハタと、思いがやってきた。

この体の秩序、自然界の秩序を司るもの、我々を生かす力、どこかからやってきて生かしている力。それと同じものが、この世界の、流れを司っている。ご縁、運命?

施術は体の秩序を司るものに従い沿うのが原理。それと同じものが、この世界を動かしているのなら?この方が、どのように進み、選択していくのか、何に出会い選ばれるのか。それも、その流れを司るもの、施術を導き体を生かす何かと同じものに、その延長線上に続くものに、任せるということ。

この施術の続きは、その流れに手渡そう。その"流れ"に、手渡し、わたしは手渡したものを見ることをやめ、本来の流れが(私の視線の)介入なしに流れてゆくままに。

私の仕事は、その何か(運命を司るもの)に「確かに」手渡す、こと。そこまでが施術。

その人は気づくのか?意思で決めるのか?あるいは無意識に?それとも、流れの先には自然界の流れに従う別の施術者がいて、続きを施術するのかもしれない。あるいは、全く別の分野、共通する自然界の秩序に従い沿うなにかに、出会い続きをするのかもしれない。それは、料理かもしれないし、絵かも、本かも、登山かも、海かも。

わたしが「ここまでは(大切だから、と)」、と連れていくことはしなくていいんだな。そして、運命に、流れを司る者に、手渡すところまでが施術。

ということを知った日でした。

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意味わからん・・ですよね。でも、そんな世界に興味のある方お待ちしてますー。