同行二人(どうぎょうににん)

 

 

高野山に行ったとき、ある場所で

ある説明書きを読んだとき

ある部分に書いてあった『同行二人』

 

ん?

 

どういう意味?

 

一緒にいた知人に聞いてみた。

 

 

知ってる?

 

 

そのひと曰く

四国のお遍路さんをあるくとき、

お大師さま(空海)と一緒に歩いている

というような意味とちゃうかな?

 

、、

 

なるほど、

 

 

 

一緒に旅をしている、一緒に行をしている

歩いている

 

 

その意味は、わたしが捉えた意味は

文字では書けないから、かかないけれど

 

 

ひとそれぞれの、意味があるのでしょう。

 

 

 

空海、密教を日本に持ち帰ってきた。

 

高野山の奥の院、

まだ空海は祈り続けているという。

 

 

(毎朝、ご飯を御廟に運ぶ『生身供(しょうじんく)』という儀式があります。)

 

 

 

 

空海と、旅をする。

 

わたしと、ではありません。

人間と、ではありません。

 

ときどき、まちがえる方がいる。

ひとについていく、ひとと一緒に活動する。

ひとの、感情とび結びつきを求める。

それは、堕落。向かう先は、水平方向の人間の感情の結びつきではありません。

 

空海と旅をする、

 

わたしは、一緒に旅をできません。

ときどき、クライアントさまの中に、セラピストに執着し

感情的な結びつきを求めることがある、それは、間違い。

私に限らず、セラピストには起こり得ること、

 

どこかへ、向かう旅。

精神的な、旅、

だれもが、すすんでいく旅、

 

そこに、わたしは同行できません。

それぞれの、魂の旅、

その向かう先は、きっとひとつでしょう。

 

どんなことを、やっていても

どんな分野でも、突き詰めていけば、

堕落から離れ、悪行、執着、から離れ、感情の罠を手放し、純化していくとき、

向かう先はひとつ、のような気がします。

 

 

同行二人、

ひとり旅です。

 

 

 

歩いていく。