振り返ると、
小4は私にとって、
最悪の年だったのだなと思います。
ある日突然、
母から、
養女であることを告げられ、
加えて、
初めて勉強でつまづいたのも、
小4でした。
あの頃を境に、
私は、
自分が愛されていることを見失って、
孤独と悲しみと焦りの中で、
生きるようになったのだなぁ、
と思います。
ちなみにそのトンネルを抜けるまでは、
20年かかりました。
長。
おつかれ、私。
そして、
トンネルから助け出してくれた
誰よりも大切な人に、
感謝の気持ちが溢れてきます。
と。
今日は、
養女の話でもなく、
トンネルの話でもなく、
大切な人の話でもなく。
「算数で深く心が傷ついた話」
をするんでした。
算数の思い出といえば、
心が折れた記憶。
分数の計算が分からなくて、
父に教えてもらった時のこと。
心がヒリヒリして、
涙が止まらなくて、
泣き止もうとするけど、
しゃくりあげが止まらなくて。
体も心も硬く縮んでいったこと。
「だって、分かんないんだもん」
という自分の声と、
父の、
「だから話を聞け!」
という声。
お互いの声のボリュームが、
どんどん大きくなったこと。
ずっと床に座っていて、
膝が痛かったこと。
心が荒れるにつれて、
字も汚くなって、
それをまた叱られたこと。
サジを投げた父が、
「話を聞かないからダメだ」
と言って立ち上がったこと。
鉛筆が転がったこと、
算数が分からないまま、
一人ぼっちで取り残されたこと。
視覚、
聴覚、
体感覚、
の全てが、
あまにり生々しく覚えていることに、
驚きます。
よっぽど傷ついたんでしょうね。
私。
何に?
たぶん。
一番傷ついたのは、
算数が分からなかったことじゃない。
父の愛情を見失った瞬間だったから。
父の苛立ちも今なら分かる。
泣いてる子に、
ギュウギュウ押し込んでも、
パニックになるだけだ、
っていうことも分かる。
分かるから切ない。
自分のことだけど、切ない。
私はあの時、
勉強が分からないという挫折と、
親の愛情が分からないという失望を
一度に味わったのだなと。
だから、
体の隅々が「それ」を覚えている。
ところで今の私は、
家族の愛情って、
いくらあっても、
伝わっていなかったら、
ないのと同じ。
と思っていて。
娘に対して、
夫に対して、
愛情が伝わっているかどうか?
を常に気にしています。
父の愛情を見失って、
算数に別れを告げたあの日。
あの日に突然、
父の愛情がなくなった訳ではなかったのだろうに。
と思うのです。
娘が、
あの頃の私と同じように、
勉強が分からない!
とパニックを起こすことが時々あります。
そんな時は、とにかくハグして。
大丈夫だよ。
と背中をさすって。
泣き止んだら。
いつもより、
低めの声で、
ゆっくり、
やさしく、
「一緒にやってみよう」
と声をかけます。
時間のないときは、
「分からなくても大丈夫だから、
あとで必ず時間をつくるから、
一緒にやってみよう」
と言います。
そして、
「今までも大丈夫だったのを思い出そう」
と言い添えます。
もし、
全然ダメそうなことだとしたら、
「大丈夫。もし出来なかったとしても、お母さんはあなたを絶対に嫌いになったりしない。出来ても出来なくても大好きだから安心してね」
と伝えます。
娘が愛情を信じた表情をしたのを確認しから、
その場を離れます。
とにかく一番大事なことは、
勉強が分かるか分からないかじゃない。
出来たか出来なかったかじゃない。
親に愛される、大事にされてる、
って伝わってるかどうか。
出来なくても大丈夫、
見捨てられたりしない、
っていう安心感があるかどうか。
そうやって、
娘と関わらせてもらうことで。
私自身の過去が、
癒されているんだなぁって、
思うのです。
ありがたい。
愛情を確認して元気を取り戻す娘を見ていると、
とても幸せです。
心を解放する占い師 稲葉千津でした。