夫が帰って寂しいような、反面、静かでほっとしたような気分でした。
 
その翌日、私達の住むマンションでコロナ患者が出たという連絡がありました。田舎のこの街では、それが市内第一号で、家族4人のうち3人が感染したようでした。
 
外出を控えるようにと各戸のスピーカーからアナウンスが流れましたが、マンションは5棟もあるし、エレベーターは各階2戸ずつしか使わない構造なので、はじめは「どこだろうな……」と思っただけでしたが、夜に上の階の知り合いから電話が入りました。患者が出たのはエレベーターラインを共有している5階の家だから注意してと。あっという間に噂が回って、恐怖を感じました。まだその頃は、接触者の範囲などきちんと定まっていなかったのか、上階のお姉さんもしばらく出勤停止になったそうです。
 
そして夫も。我が家にいたときに患者が発生したということで、実家に帰ったのはいいが一日出勤して次の日から1週間出勤自粛。タイミングがもう少し早ければ、うちで一緒に過ごすこともできたのに。実家でゆっくり休めたならいいんですが、休み過ぎで悪口言われてなかったかしら。

しかも彼は、うちにいた数日のうちに、「うっかりこたつで寝て喉が痛くなる」というのをやらかし、「これがこたつで寝ちゃいけないってやつかぁ~!」とか言っていたんですが、

その後治らず、コロナを毎日心配しはじめました。人騒がせです。

 

韓国のコロナの行政連絡、今でこそ個人情報の公開は必要最小限になってますが、初期は名前の一部やら年やら動線やら、かなり公開されていたので、近く住んでいると感染者が推測できてしまう状況でした。都会ならともかく、田舎であそこまで公開しちゃだめだわ……。この家族、けっきょく5月頃に引っ越したようで、嫌な目にあったんじゃないかと疑ってます。心機一転して、後遺症なく元気だといいですけど。
 
毎朝マンションの放送で、なるべく外に出ないようにと繰り返されるので、いいかげん外出したくなっていましたが(傷の癒着防止にも)、またそこから3週間ほど、日用品の買い物以外ほぼ外に出ない生活をしました。手術後の体力や免疫、抵抗力などがわからなかったので。大好きな梅の季節だというのに、外に出られないのはなかなか辛かったです。
 
家の中では、入院中やっていた翻訳の仕事の仕上げを主にしていました。といっても気が向いたときに、一日数時間だけ。自分のためのことはあまりする気にならないけれど、とりあえず仕事はちゃんとできました。あとは送ってもらった赤ちゃんの本を読んだり、はゆんに話しかけたり、一日3回くらいは泣いたり、夜になると無性に寂しくなるので友達に甘えて電話したりもさせてもらってました。
夫は火葬の日の月曜から、その週の土曜日までうちにいてくれました。
私もその間にだんだんマトモに歩けるようになり、最終日前日は大型スーパーへの買い出しにも行きました(重いものを持つ人がいるうちに……)。腹を切っても意外と早く回復するものだと驚く私。
 
そして、金曜日は退院後一週間の外来。
さすがにまだ自分で長距離運転するのは少し怖かったので、次の日また帰らないといけない夫に悪いと思いつつ、往復乗せてもらいました。
 
韓国ではコロナの感染が本格化していた時期で、病院に入るのがいっそう厳しくなっていました。特にこの病院、スーパースプレッダーが所属していた、某新興宗教信者の看護師さんがいたらしく、大変なことになっていました。検温と連絡先の記入、そして個人情報提供同意書などを書いて、チェック済としてこのシールを貼られました。

 
胎盤の検査結果が出ていて、炎症の数値が高くなっていたことや、強い菌も出ていたということ、次の妊娠のときには少しでも異常があったらこまめにケアを受けるようにと言われました。頭がなかなか働かず、ちゃんと質問できませんでしたが、このときに言われた「最初のマクドナルド術で使った糸からも強い菌が出ていた」という言葉が、あとから効いてきてしまい、最初の病院に疑念を持つ原因になってしまいました(そういうことではないと、助産師ちえみさんのセッションで6月頃に説明してもらいましたが)。
 
そして、3回生理が来たら次の妊娠を考えていいこと、お腹の傷は治りきっていないから来週もう一度くること、などの指示を受け、外来受診は終わりました。

親しくしている年上の、お寺の住職ご夫妻がいて、

妊娠をとても喜んでくれていたのでご連絡をすることになりました。

 

驚いていろいろとメッセージを送ってくれました。

 

シン・ハユン靈駕様
謹んで故人の冥福をお祈りします。

どうか極楽往生(왕생극락)してください。

地蔵菩薩~南無阿弥陀仏。

 

と、いうメッセージとともに、はゆんの生年月日とお空へ還った日、

火葬した場所と遺灰を撒いたお寺の名前を送ってほしいと言われました。

 

データを送ると、

なんと、お寺の仏壇におまつりしてくれました。

名前、生年月日とお空の誕生日、お弔いした場所。

そして一番下に「赤ちゃん、天使になるんだよ」と。

優しいひとことにまた目が潤みました。

 

一緒に送られてきた

「夫が死ねば山に埋め、

子どもが死ねば父母の胸に埋める・・・」

という句にもぐっときました。

 

他にも詩やメッセージを何篇か。

 

こちらのご主人は、このとき既にがん闘病中で、

数カ月前、極楽に行かれました。

向こうではゆんが会っていたらいいな。

ようやく家について爆睡。
あさゆっくり起きると、夫が朝ごはんを準備してくれていました。驚き!
普段、料理はほぼ私まかせな上に、夫は(実家では食べるのに)うちでは朝食べません。だからこの1食で「よかった大事にしてもらえてる」と感じられました。
 

でも、いざ食べはじめると涙が。
「はゆんはお乳も飲めなかったのに、私だけ美味しいもの食べられない」と
思いはじめたら止まらず、号泣タイムになってしまいました。
最終的には平らげたのが私らしいですが。
はゆんには、思いついて母乳をおちょこに絞ってお供えしました。止めていたので、ほんの数滴だったけれど、残っていてよかった。
 
夜は、「肉食べよう!元気でるし」と言いながら、お肉を焼いてくれました。
 
あとは、スパゲッティーとかの簡単なものを寝転がって指示しながら作ってもらったり、
出前とったり、少しずつ私も立つようにしながら家事でリハビリしました。
 
夫の職場、1週間の慶弔休暇をくれたんです。
出産休暇はたぶん使いきっていて、私ひとりで生活する覚悟をしていたので、とてもありがたかった。
まあ、食事時以外ほぼずっと別の部屋にいたり、聞こえてくるテレビの笑い声にイライラしたりはありましたが、やっぱり一緒に過ごして、はゆんのことを話す時間がそれなりにあって良かったです。
 
ベッドの上から頼んでいたバレンタインのキャンディー(うちは夫が飴好き、私がチョコ好きなので、あげるものが普通と逆)も、家に配達されていました。宇宙キャンディー。
すごくきれいですが、舐めて二人して真顔になる味でした。美味しくなかった(笑)
 

韓国では、西洋医学の他に韓医学(韓国の漢方)もきちんと医療として認められているのですが、今回は義理の母が「産後うち(夫の実家)で養生しないのなら、ぜったいに韓方薬を飲め」と言っていたので、お勧めの病院に連れていってもらいました。

産後、死に対する向き合い方が全く違う義理の両親とともに数週間過ごすのは、さすがに辛すぎますし、寝る時もうすい敷布団を床に敷くしかない(ベッドでないと、起き上がるのが激痛で大変!)なので、帰らせてほしいとかなりお願いしました。

最初は少し不満気でしたが、韓方薬を飲むならということで認めてもらえました。

 

韓医院(=漢方医院)は、鍼灸主体のところと薬の処方が主体のところと、大きく2系統あり、

薬の処方が主な医院に行くのは初めてでした。ちなみに、韓国で初めていった鍼灸で驚きの効果が出たので、韓医院はわりと信用しています。

 

それにしても、基本脈と舌と顔全体くらいしか診ないのに、

なぜあんなに詳しいことがわかるのだろうと、いつも不思議です。ものの数分で

「血虚の状態(←間違えてたので修正しました)」
「早産したのに、何か心当たりある?よく職場のストレスとかあるけど………無いね。ノーストレス」
との見立てが出ました(苦笑。入院前も長期休暇でダラダラしてましたしね・・・)

でも「赤ちゃん亡くしたストレスはすごくあるね。まず心の休養を」とのこと。

 

子宮は「血室」と呼ばれるそうで、子宮が弱いのも血のパワーが足りないとのことです。

 

最後に、「(高麗)人参は飲めるか」という質問。

高麗人参、あまり飲まないようにしてたんですよ。

前にかかった鍼灸の漢方医院(そこは中医学式だった)で、

「あなたは熱い体質だから、あまり熱い性質の物を食べすぎないように。

たとえば春ニラとか」という指導をされていたので(なぜか春ニラだけ名指し)。

それを伝えると、

「うーん、でも飲めないわけじゃないよね。味見くらいなら飲んだこともあるよね。特にすごい汗かいたりしてないでしょ」といわれて肯定したところ、「じゃあ少し入れておく」と処方薬の中に入れてくれました。他に何が入っていたのか、全体の処方が気になります。

 

病院の新薬(=西洋医学の薬)を飲み終わったら飲むようにと、

1か月分の薬を処方してもらいました。約3万円。

義母に出してもらうのもどうだろうな・・・と思ったので払いました。

払ってくれるつもりだったみたいですが。

薬は、1週間後の通院日に取りに来ることにして、ようやく帰路につきました。

 

長い長い一日でした。

 

悲しくて疲れていても、

面白いものを見つけてふふっとなった写真↓

 

 

 

 

はゆんのお葬式の
冒頭部分の音声です
悪趣味と思われる方もいるかもしれませんが、
自己満足です
このページにきたら
ぜんぶはゆんのことを
思い出せるようにしたくて

外で風の強い中だったので
だいぶ雑音入ってます

火葬場から夫の実家に戻り、今度は義理の母が車に乗って、いっしょにお寺へ向かいます。

ここを探して話をつけてくれたことには感謝。

(一年も経たないうちに「あそこの坊さんはダメだからもう行くな」と言いはじめましたが・・・)

 

道中「早く忘れなさい」を車の後ろの席から繰り返され、

3回目くらいで、私は(聞こえないふり&寝たふり)でフードを被り、

夫がイラついてフードをひっぺがすというすごくモヤモヤするやり取りをし、

なんとかブチ切れないうちにお寺に着きました。近くてよかった。

 

お寺は急な坂の上(写真ではあまり急に見えないけど)。

お腹痛いので牛歩で登りました。そして、先にいってしまう二人・・・。

 

でも、朝の雪もようとは変わって、綺麗な空が見えました。

きれいなお空に昇っていけてよかった。

 

本堂の脇にある雑木林のような所でチリンチリン鈴を鳴らしながら

住職さんが読経してくださり、その合間に和紙を広げて灰を地面に撒きました。

撒いたというか、風が強くてばさばさと紙もなびき、灰も舞って飛んでいった感じ。

「お寺にお参りに来たとしても、ここ(裏手)にはもう絶対くるな、わかったな」という

一方的な義母からのお達しもありましたが、

なんかもう「飛んでお空に行った感」があったので、「はいはい」と流しました。

ここまでわずか5分。

 

それで終わりかと思ったら、ちゃんと本堂で法要も行ってくれました。

こんな、石の大仏様が見守ってくれるようです。

 

40分くらいだったか、一緒にお経を(見よう見真似で)あげながら参加しました。

五体投地礼は、お腹の傷的にけっこう厳しかったんですが、

「はゆんをよろしくお願いします」という気持ちを込めて頑張りました。

 

その後、寺務所に移動するとご住職が漢方茶を出してくれ

四柱推命の占いを始めました。「どうせ来たんだから見るよ」と。

「四柱推命わかるでしょ?」となぜかわりと深く知っている前提で話をされました。

はゆんの名づけを少しでもスムーズにするために、

確かに少し勉強はしていましたが・・・

 

ご住職によると

「あなたにとって子どもは『貴』なるもの」だそう。

「縁は薄いかもしれない。生まれたら素晴らしいし、

生まれなければそれはそれで仕方ない」と言葉を濁しながら言っていました。

私は「そうですか~」と聞いていましたが、

「それでも一人は生まれるでしょう」と食い下がっていたのは義理の母。やはり。

 

そして、「数カ月したら、またトライすればいいんだ」と私抜きで話が進んでいきました。

ネットで得た日本の医療情報では、

帝王切開後1年は開けるというものしか見たことなかったので驚き

「1年開けないと危険って聞きましたけど・・・」と言うと、

「そんなはずはない」と義母、ご住職、夫が口を揃えて言うという。

このギャップは今でも謎です。

(産婦人科の先生にも後で聞いたら「生理3回来たらOK」と言われました)

というか初対面のお坊さん交えてそんな話までする?

 

後は、夫や私の職業の話になり、そちらは二人とも合っていると。

それから、「あなた、ちょっと占いや仏教勉強しなさい」という話。

韓国で宗教者、スピリチュアル関係の人には必ず言われるんですよね。

「あなたには神気がある、導かれてる」って。うーん。

一歩離れたところから話を聞くのは嫌いではないけれど、

どっぷり浸かることはできないな。

 

 

1時間半お寺で過ごして、こんどは漢方医に連れていかれました。へとへとよ!

火葬場に着きました。
日程が変わってしまったため、夫と私と、夫の上のお姉さんの3人でした。
お姉さんは、たぶん仕事を休んでくれたのかな。
 
周りは喪服の団体さんばかりで、お年寄りが多く、
普段着のままの私たち3人は場違いなかんじ。
私は、お年寄り以上に腰を曲げたまま、よたよた歩いていたし。
 
この間、はゆんの到着を待ち続けた(そして結局来なかった)事務所に行き、
こんどはすんなり、番号札をもらってメインの建物の横を通って反対側から入りました。
係の人に従って、ベルトコンベヤーのような台にはゆんちゃんの入った箱を置くと
そのままあっさりと火葬炉の中に入っていきました。
たぶん一声くらいかけたと思いますが、あまり覚えていません。
 
1時間半と聞いて、あんなに小さいのに、長くかかるんだなと思いました。
これは日本で言われているような「お骨を残してもらえた」とか、
そういうことは無さそうだとちょっと覚悟しました。
ながいながい時間。こんなふうに、モニターで炉の扉が見えています。
名前の字が消えたら呼ばれます。
 
 
私たちの考えた名前がここで初めて世間におひろめされて、
「こまちゃん」が「ハユン」という人間として世間に認知されたという嬉しさも
少~~~しありましたが、初めて名前を使うのが火葬なんて。変な気分でした。
 
同時進行で稼働している炉があと5つあり、先ほどのモニターの下には
骨壺や遺影が置けるようになっていたので、
「ああ、若くして亡くなっている人もいるんだな・・・」とか
「みんな立派な骨壺準備してるんだな、いくらなんだろう」とか、考えるともなく考えました。
 
お腹も痛いし、話す気もしないしで、映画館のように並ぶ椅子の前の列に突っ伏すようにもたれて座っていると、お姉さんがカフェラテを買ってきてくれました。
あまり気落ちしちゃだめ、何か飲みなさいと。
気落ちしないことなんかある・・・?と少しモヤりましたが、考える元気もなく、
言われるがままにカフェラテ飲んで、またぼんやりしていました。
 
ものすごく長い1時間半が経つと、モニターの赤字「火葬中」が消え、
収骨室の番号が表示されました。
 
建物の反対側が収骨室になっています。
 
そしてこれが、収骨室の様子。
係の人が、ざざっと塵取りのようなもので遺灰を集めます。
思った通りほぼ灰だけで、骨のかけらと判別できるものは一つもありませんでした。
(たぶん、大人でも骨の形を残すという考えはあまりないのではと思います。残ることはあるにしろ)

韓紙に包まれて、はゆんが戻ってきました。
軽いよ~。飛んでいってしまいそう。
お姉さんに丁重にお礼を言って別れたあと、
こっそり車の中でこっそり持ってきた箱に灰を移し替えました。
指先で3つまみくらい。
義理の母がそういうことには大反対していたので、「こっそり」。
 
「自由にね、さよなら」と言ったものの、
私は完全に撒いてしまうということはできず、一部だけ側にいてもらっています。

「一緒に火葬していいのは手紙一通」のような貼り紙を事前に見ていたので、

お手紙を精いっぱい書きました。たまたま持っていた手帳の切り取れるページが、

おいしそうなお料理ピザがポップな色で印刷されていたので、そこにマカロンピンクマカロン

私の子ということは、きっと食べるの大好きな子だろうから、ちょうどいいカクテル

 

 

愛するこまちゃん、蕸潤へ

私たちの所に来てくれて、ありがとう。

あんなに小さい体で40時間も耐えてくれて、ありがとう。

本当はまだお腹の中でちゃぷちゃぷ遊びたい時期だったのにね。

あなたが「早く出てこようとして困っちゃう」なんて言ってたけど、

そもそも居心地があんまり良くなかったのかもしれないね。

「子の心、親知らず」だったら本当にごめんね。

私たちを親にしてくれて、本当にありがとう。

あなたに会えて、本当に嬉しかったし、

あなたはこれからも、うちの長男だよ。

お空には、ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん、

ひいひいおじいちゃんやひいひいおばあちゃんがいるから、優しくしてもらえると思う。

それに、少し前にそちらにいったむちむちちゃんってお姉さんも、

きっと「よく来たわね」って遊んでくれると思うよ。

まーちゃんってお兄ちゃんもいるよ。まーちゃんもきっと、楽しいこといろいろ教えてくれるよ。

むちむちちゃんのお母さんや、まーちゃんのお父さんは、お母さんの大事な友達なの。

仲良くなってくれたら嬉しいな。

それから、お母さんのお友達のテイがいるかもしれない。

とっつきにくいと思うかもしれないけど、意外と子ども好きだし、楽器教えてくれるかもよ。

寂しくないよね。お父さんとお母さんは、たぶんずっと後になってから

そちらに行くと思うけど、あなたと再会するのを楽しみにしてるからね。

狭い世界から解放されて、自由にのびのび楽しく過ごしてください。

あなたと過ごした6ヵ月のこと、わすれません。

いつもあなたが幸せに 幸せであるように願ってます。
母より

ホテルで、「ひとりにさせてごめんね、はゆんちゃん」と思いながら2日過ごし、
ようやく月曜日の朝になりました。2020年2月17日。
今日こそは、ちゃんとお見送りができますように。

1月末からの入院中、ドライシャンプーをするだけで一度もシャワーはできませんでした。
さすがに、我が子のお見送りをこのなりで行くのは・・・・・・と思い、髪だけは洗うことにしました。体もシャワーをしたかったのですが、まだ傷口は濡らせない時期で断念。
とりあえず拭くだけで我慢です。
 
ベッドから転がり降りて、よたよたと風呂へ。
滑る風呂場の床で転んだら大ごとになりそうで(起きれない・・・!)、
腕に力を入れて筋肉をふるふるさせながら移動しました。
おなかを伸ばせないので、バスタブの淵に鉄棒の前回りをするようにもたれかかって
ずっと上半身逆さの体勢で、なんとかシャンプー成功。ショートカットでよかった。
たぶん身支度で1時間以上かかった気がします。化粧も何もしていないのに。

荷物を何とか詰めたころ、夫が迎えにきてくれて、病院の葬儀屋さんへ。
はゆん、待たせてごめんね。

道中、珍しく雪がちらつきました。結晶が見えそうなふわふわの雪。
「なんかいい感じだね、ハユンも喜んでるかな」

 
そして、はゆんちゃんの包まれた紙のお棺を受け取りました。
ほんとうに一人で待たせてごめんね。
 
そして、夫の車で火葬場へ向かいました。