術後一日経って、エコーで状態を確認しました。羊水は減っておらず、とりあえず大丈夫とのこと。性別もついでに聞けないかなと思いつつ、機を逃してしまいました。
 

ただ、縫ったとこからの分泌物がまだ止まらず、退院ちょっと延びるかもしれない、という見立てでした。普通は1日、2日で分泌物は止まるんだそうです。まだパッドを替える度、親指サイズくらいの染みができていることが多く、完全に止まることはありませんでした。

 
自覚としては、手術後1日はお腹が張ることがあった(あれが「張る/뭉치다」という感覚だったのかと、説明されてようやく分かりました)のが、その日は無くなり、回復しているのだと信じていました。
 
手術をしてくれた先生は、だいぶ脅し目のことを言う先生で、病室で「話もするな、静かにだま〜っていなさい」と言われてしまいました。看護師さんが来て「怖いこと言うけど、気にするとストレスになるから、気にしなくて平気〜」とフォローしてくれましたが……。
 
あの状態で無言の日々は辛すぎですし、喋ることが症状に影響するとも思えなかったので、結局日本にいる親友ろーちゃんと電話したりして過ごしていました。

そして、早産になることを予想してか、「どんどん食べて、おやつも食べて」と言われ
夫に差し入れてもらい、毎食後おやつを食べるような生活に(笑)
あんなにおやつだらけの生活したのは、小さい頃、
遠方に住む祖母の家に遊びに行った時以来な気がします。
 
 

韓国では、産後の養生食といえば、わかめ汁。

 
高句麗人が産後のクジラがワカメを食べているのを見て、母体の回復にいいとして始めた風習だ、と中国の歴史書に書いてあるようです。
 
何でも産後は21日だったか食べ続けるらしいです。知り合いに、ここで出産した台湾人夫婦がいるのですが、奥様、産後毎日のわかめスープでアレルギーらしきものが出るようになってしまい、二人目は里帰り出産したのだとか。過ぎたるは及ばざるごとし……。韓国の人はみんな平気なのかな。
 
で、病棟でもわかめスープは出てました。1日に1〜2回は必ず。最初、予想通りめっちゃワカメ入ってる〜!と笑って写真を撮ったら、産後のママ用はその1.5倍ほど入っていて仰天しました。
 
一般用の食事
 
わかめの量
 
間違って運ばれてきた産後食。わかりにくいですが、スープの器が更に大きいです。
 
びろうな話で恐縮ですが、こんな食事を続けていたら、藻の色のお通じが出るようになりました笑い泣き
ダイエットについて考えてたら落ち込んできました。

「痩せたほうがいいよ」ってハッキリ言う人からは言われます。もちろん自分でも客観的にはそう思います。実家近くの産院での分娩は断られるBMIでしたし。

以前から、ダイエットすることに抵抗がありました。今より17,8キロ痩せていた(たぶん、若さと楽器をやっていたことにより)学生時代も、お腹の肉をつままれたり、ぽっちゃり扱いされていたように思います。なので、どこまでやっても結局だめなんじゃないの?という気持ちが前々からありました。(←このあたり、人から承認される手段として痩せることを考えているのが丸わかりですが)もちろん「趣味はダイエット、習慣的にリバウンド」は何度も経験済です。

最近はそれでも、運動量の低下がまずすぎると、マンションでできるダイエットエクササイズや、ストレッチを始めていたんですが、昨日また人から「痩せたほうがいい」と言われて拒否感が強くなってしまいました。

わかったのは、ダイエットする=息子が死んだのは(太った&自己管理できない)自分のせいだと強く思わされるので、直視したくないんだということです。痩せるべきだと言ってくる人の中には、内心そう思ってることが伝わってくる人もいますし。

痩せたいけどダイエットはしたくない。なんかがんじがらめで、動けなくなっています。

手術後、丸24時間以上経過して、ようやく「食事の時だけ背もたれ起こしてOK」になり、

待ちに待った昼ご飯にありつけました。

 

期待していなかったんですが、食事が美味しかったんです。
1食目はこんな感じでした。

 

 

 

 

キビいりごはん

菜っ葉の汁

トッポッキ

ナムル

肉と玉ねぎの甘目の炒め物

白キムチ

 

トッポッキ、好んで食べるほうではないんですが、

これはコチュジャン薄めで、代わりにコショウがきいていて

美味しかったです。

 

この時だけでなく、食事の平均点はかなり高かったと思います。

(次に入院した大学病院よりも良かった。)
 

もりもり食べたらすぐにまたベッドを倒して安静ですが、もう辛くありません。
食べられる&寝られることが、メンタルにどれだけ大きな影響を与えるのかわかりました。

手術した夜もこまちゃんは元気で、そこそこキックが激しく、

むしろ、手術した箇所を蹴ったりしてくるので、はらはらし通しでした。

「もう、親の心子知らずなのかい~」とツッコミを入れていました。

元気なのはいいことですけどね。

 

朝8時頃に先生が来て、「横向きになってもいいよ」と言ってくれ、

頭を少し上げてくれました。これでだいぶ、辛さが緩和して、

ジュースなんかも飲めるようになりました。

腰も辛くなくなり、前夜の分まで爆睡しました。

ここでようやく、トイレ以外の部屋の様子がやっとわかったんですが、

民家感ありありの個室でした。古い田舎の民宿っぽいかも。なんかやたらと広い。

雰囲気的に落ち着きましたけど、病院っぽさがないな~と面白かったです。

ナースコールは内線電話ですし。

 

 
 
 

 

そして、やたら暑かったです。

上階に、産後の休養センター(産後調理院)というのがあって、

聞くところによると「とにかく暖かくする」らしいです。

その熱が、自分たちの部屋にも回ってきているよう。

この部屋にいる間ずっと、真冬(2月初め)にも関わらず、

窓を開けて、布団をかけずに寝ていました。

看護師さんや先生に見つかると、思いっきり布団かぶせられるんですけどね。

汗っかきの私には、キツイくらいの暑さでした。

夫には、とりあえず洗濯機に放置していた洗濯ものを干しに帰ってもらい、

ついでに、朝準備したばかりの「いざという時の入院セット」を持ってきてもらいました。

ダイソーにも寄ってもらい、ストローつきのプラの水筒を買ってもらったら、大活躍しました。

めっちゃアナ雪イラスト付きで、幼稚園生感ありありですが。

 

夫は3日間、有給を取ってくれていました。

入院するし、することないよ、仕事行っていいよと言ったんですが、

家から持ってきた荷物に、自分が一緒に個室で寝る用に、毛布と枕を持ってきてました。
「ま、この際、休めばいいでしょ~」とテレビ&昼寝三昧してました。(テレビの音が得意ではない私は、なんどかノイズキャンセリングイヤホンが欲しくなりましたが。その頃夫がハマっていた「自覚のない歌好きの音痴さんに歌わせる番組」はイヤホンしていてもキツかった……)

 

いざという時に動いてくれるから、まあよかったんですが。

 

韓国で入院すると、身の回りの世話系は基本看護師さんはやらないので、

付添人が必要、と聞いたことがありました。

それにしても、と驚いたのは、夫が戻ってきて早々に、

カテーテルで導尿した尿の捨て方と、パッドの交換方法をレクチャーされたことです。

「ええ!それも付添人に頼まないといけないのか・・・・・・」とショックでした。
まさに下の世話。この年で・・・と、かなり泣きたい気分でした。

(結局、夫は尿を捨てるのを1度やっただけで、あとは看護師さんがやってくれたので、

デフォルトがどういうことになってるのかはわかりません。)

病棟の看護師さんたちはとてもフレンドリーで、
(外来はそこまででもなかったような・・・)

若く見えても技術がしっかりある人ばかりで、安心感がとてもありました。
家に帰ったら、全ての家事をやるように!と

夫をちゃんと教育してくれたのも嬉しかったです。


週末婚の私たち、わざわざ夫がいて精密エコーができる日を選んで

その結果、検診がいつもより2週ほど遅くなりました。

でも、夫がいない状態で緊急手術とかになっていても(市内にだれも親戚いません)

それはそれで大ごとになっていただろうと思います。

良いとも悪いともいえず、そういう星回りだったと思うしかないと、無理やり納得しています。

手術それ自体は全然痛くありませんでした。

痛覚が無い場所なんですね。

0:30頃手術が終わり、夫が気を利かせて取っておいてくれた個室に入院しました。

2日だけだから、と思ったらしいです。

(後で思えば、ぜんぜん大部屋で構わなかったんですけどね。
4人部屋も2人ずつしか入っていなかったし。)

 

この日は長い1日でした。

麻酔で頭痛や吐き気がでることがあるから、ということで

枕はなし、寝返り禁止、姿勢が辛かったら30度くらいまでなら膝をゆすってもいいけど、
それ以上いかないで、というお達しがありました。
姿勢を変えられないのがこれほど辛いとは知りませんでした。

「腰まくら、あとで持ってきますね」と看護師さんが言ってくれたものの

先生から「このままできれば維持して」と却下されてしまいました。

(腰の重だるさのせいで翌朝まで一睡もできず)
 

暇つぶしで、前々から少し聞いていた落語を聞くも、集中できずに2本でギブアップし、

横を向けないからケータイを持ち続けるのも辛いし、もともとTVはあまり見ないほう。

たまにろーちゃん宛のメッセージを音声入力で送っては、気を紛らわせていました。

 

それから、翌朝までの絶食もけっこうつらかったです。

ようやく朝になって食べられると思ったら、

「もう少し横になっていて」と、昼まで絶食を延ばされたのも・・・。

頭を起こさないことが目的だったので、交渉してお腹にたまるのみものを

夫に買ってきてもらって飲みましたが。

待ち時間の間に、
直前に、行くはずだった済州旅行についての情報を送ってきてくれた友達と、
数日後にプライベートで合うはずだった仕事関係の知り合いに、
予定キャンセルのお知らせをし、
親友ろーちゃんにメッセージを送りました。
 
手術室のとなりのガランとした部屋で手術着に着替え、開始時間、「奥様に挨拶して」と言われた夫が何をしていいのか当惑して突っ立っていたのをよく覚えてます。(でもその後、看護師のお姉さんに電話して大泣きしていたと、あとで暴露されていました。)
 
ストレッチャーで運ばれた手術室は、マンションのキッチンにも見える一角があり、あたかも普通の家に手術用の巨大なライトを無理やりつけたかのような不思議な印象でした(ちゃんとした病院です)。看護師さんたちも楽しげにお喋りしていて、和やかな雰囲気で、多少なりとも緊張が和らいだ気がします。人生初めての手術だったので、比較対象がありませんが。
 
手術室看護師さんのうちの一人が、やたら私を(韓国語のできない)外国人扱いしてくることが印象的でした。「手を握ってください」って言われても分かるのに、「はい、グー!」って言われるとか。単語で指示出されます。でも、田舎なので、(多くは農家の)お嫁さんとして来ている移民女性が目立つのは確かで、言葉がわからずこの状況になったら、相当不安だろうなぁと思いました。
 
下半身麻酔のための腰への注射は、痛いと聞いていたので身構えていましたが、まったくそんなことはありませんでした。緊張していたからか、何なのか。打ってすぐに全然脚を持ち上げられなくなるのに当惑しました。
 
付け焼き刃で調べた知識だと、手術自体15〜20分で終わるとのことでしたが、少し長引いた感じがしました。先生と看護師さんがどんなやり取りをしていたのか、あまり覚えていませんが、術中何度か電話がかかってきて「マクドナルドが〜」という単語が飛び交っていました。私の手術のことではなさそうな文脈で。なので、本当によくある手術なのだな(だからきっと上手くやってくれるはず)と思っていました。25〜30分位経って手術が終わり、「なんとか上手くいきました。無理かと思ったけれど、羊膜も中に押し戻すことができました」と言われて、心底安堵しました。
 
「2日入院して、1週間は家で安静にしてください。その後は検診で様子を見て少しずつ動くように」とのお達しだったので、まだもとの生活に戻る気満々でいました。

先生は図を描きながらこんな説明をしてくれました。

 
子宮口の入り口がもう開いていて、羊膜が見えている。
マクドナルド手術という、子宮口を縛る手術があるが、赤ちゃんの袋が出はじめているし、子宮壁が薄くなっているので、成功するかわからない。5mmしか縫い代が残っていない。
 
 
だから、今回はこのまま何もせず、流産させるのもあり。その場合、次の妊娠をしたときに初期のうちこの手術を受けて縛っておけばよい。
 
どうしますか?
 
いきなり思いもよらない選択肢を示されましたが、まさかここで流産させるなんて考えられず、手術すると即答しました。
 
そのまま「そこから一歩も動かないように!」と車椅子が運ばれ、術前検査(血液とか心電図とか)と問診を受け、いったんは15時から手術と決定しました。朝ご飯を軽く食べていたから「すぐに」という判断はされなかったようですが、数十分後に「今からやります」と方針転換。11時半頃には手術室に運ばれてました。

22週に入った1月31日が、精密エコーの予約日でした。4時までこまさんが寝かせてくれず、おまけに朝方、お漏らしかと思う量のオリモノが出ました。

「忙しいのに!」と思いながら洗濯機にシーツを放り込んで、回したまま病院に向かいました。もうその頃、多めのオリモノは日常になってしまっていて、特に何も思っていませんでしたが、ふと「そろそろ入院グッズとかまとめておいたほうがいいのかな〜」と、部屋の一角に、とりあえずの洗面用具と下着、寝間着や部屋着(←服系は、ほぼ不要だったけれど)を置いてでかけました。まさかその日に取りに戻ってもらうことになるとは……。
 
精密エコー担当らしい院長先生と初めて会い、「最近気になってることある?」とのことだったので、「元気です〜。あ、最近オリモノが増えたんですよね」と報告しました。
「色は?」と聞かれ
「透明で、水っぽいかんじです」と答えると、「一応内診しとこうか。大丈夫だと思うけど〜。」と、軽い感じで診察開始。
 
しかし、内診の途中、「ちょっと待って」ともう一人の院長先生を呼び、何か話している様子。「子宮の門が開いている」と聞こえた気がして、不安になったところで、夫と診察室に通されました。