7時過ぎくらいに、ぼんやりと麻酔から覚めました。夫がひっきりなしに「お、寝るな寝るな!(자면 안돼, 자면 안돼!)」と繰返していました。

2時間は、寝ないように見張っておいてくださいと夫が指示を受けたらしいです。呼吸の関係でしょうか。

私は、よくわかっておらず、
(んん???眠い〜〜……)
とばかりに目を閉じそうになり、
ペチペチほっぺをはたかれて、また起こされるのの繰返しでした。雪山遭難ごっこかよ、何か他のこと言ったら?と性格悪いことをチラッと思ったのを覚えてます🗻☃ ごめん。

2時間経って、お疲れさま、寝ていいよ〜と言われ、とりあえず、ろーちゃん&ぼぬちゃんに「生まれた」と報告して、また一眠り。

このあたりのどこかで、病室に運ばれたはずなんですが、記憶にありません。うとうとふわふわしたまま夕方まで過ごしました。

しっかり目が覚めて認識した術後の体調は、こんなかんじでした。
・お腹が痛くて力が入らない。横に切ったらしいと聞くが、動けないので確認できない(怖いし)。
・後陣痛的な痛みも少しある。
・何にしろ、痛くなってきたら手元のボタンを押すと痛み止めが追加されるので思ったほど辛くない。
・声がかすれてほとんど出ない。
・熱が出て汗がすごいので、濡らして絞ったタオルが手放せない。
・でも、苦しくはない。「暇〜」とか思うくらいには元気。

「こまちゃんのことが心配で心配で……」とはならず、余裕こいてました。生命力を信じてたんですぐすん 

バタバタの中で、手術後の部屋は個室にするか大部屋にするかと聞かれ、前回の経験から「大部屋で」と答えました(ちょっと後悔してます)。母に、荷物を片付けて、看護師さんについて移動するようにお願いし、手術室に向かいます。

4時少し前に、病室の中で寝たまま横移動してストレッチャーに乗り、そのままゴロゴロと運ばれました。天井を見ながら移動するのは、ちょっと酔いそうでした。特にエレベーター。廊下も手術室も寒くて、ちょっと不安になったところで、担当交替した手術室の看護師さんが、「左に、うつります」とか、簡単な日本語で指示してくれたのが嬉しかったです。緊張をほぐしてくれようとしているんだなと。今でも顔を覚えています。(病室の看護師さんにも一人、けっこう上手な日本語で話しかけてくれる人がいました。)

前の病院の、まるで民家みたいな手術室とは違い、だだっぴろくて天井の高い、無機質な感じのする手術室でした。名前と生年月日を2回ほど確認され、麻酔科の先生にお願いしますと言い、マスクをつけられ、お腹にばしゃっと消毒液がかけられたあたりまで覚えています。

結局、執刀医の先生とは挨拶もせず、お顔も分からず、お名前を盗み聞いたくらいでした。お礼くらいは言いたかったんですが・・・。

4:15頃から全身麻酔で手術開始、4:36に男の子誕生、だったそうです。

身長33.5cm、体重700gでした。がんばったね。

私は7時過ぎくらいに目覚めるまで、全く記憶がありません。

夫は赤ちゃんが運ばれていくとき、片目をうっすら開けて周囲を見回したのを見たそうです。
私は見られなかったこまちゃんの目、見られた夫が今でも羨ましいです。

相変わらず、うとうとしたり、起きたりする夜でしたが、午前1:30くらいから、弱くお腹が張っているようなきがしました。最初は、「うーん?なんだこれ?」という感じ。一応、胎動カウンターにメモだけして、またうとうと。「10分間隔でくるようなことがあれば呼ぶように」と言われていたんですが、途中で寝落ちしたりしているので、覚えているだけで2回、そのまま様子見しました。本当は、もっと寝ているうちに来ていたのかもしれません。

「あれ?これ4分間隔じゃないか?」と気づいた2:30に、看護師さんを呼びました。
NSTが始まりますが、波はそれほど大きくなく、圧力が高まったときでも20mmHg程度。
これがモニターしている間に4回ほどありました。
弱いけれど規則的に来ているようだということで、内診をしてもらいました。

すると、なんと「脚が出てますね」あし

もう産むしかありません。これから調整します
と言われ、バタバタと当直の若い先生が教授に電話をかけました。
「夜分に申し訳ありません、23週5日の妊婦さんなんですが、赤ちゃんが出てきてしまいました。何時頃執刀できますか・・・」みたいなことを言っていたのを覚えています。

すぐに、4時半から手術ということが決まり、急いで準備が始まりました。

ここまでのバタバタに気づかず爆睡している母(すごい)に、「母、起きて、生まれる!」と
3回くらい声をかけ、夫に電話してもらいました。
(韓国語ができない母と日本語苦手な夫、どういって通じたのか気になります)

慌ただしく、手術の同意書にチェックし、
手術着に着替え、検温、血圧測定、剃毛、カテーテル挿入。
それから、移動まで酸素を吸っていました。

この日、日中は便秘事件以外、あまり何をしていたか記憶がありません。
入院生活に慣れて、滞っていた翻訳の仕事を少しやっては寝落ちし・・・を繰り返していたんでしょう、たぶん。頭を使う作業、横になったままやるとすぐに寝てしまいます(笑)。
ろーちゃんとは、「明日ちょっと電話しようよ、今部屋に2人しかいないし」と約束していました。

 

夜、22時過ぎからNSTだったのですが、なかなか場所を見つけられませんでした。感触としては、普段よりだいぶ下の方で横になっている感じ。一人目の看護師さんがどうしても見つけられず、もう一人とチェンジしたので、大丈夫だと思いつつ、少し不安になってしまいました。こまさんよ、逃げなさんな。

この間、早くもうちの母は横で爆睡してました。早いな。

このときのNSTはとりあえず異常なしでしたが、数時間後に陣痛が来て、出産が始まってしまいました。

 

 

尾籠な話ですみません。
 
毎日看護師さんから「お通じ出てますか〜?」聞かれていたんですが、転院して1日目に一度出ただけで、そこから便秘してました。出せるような気もするけれど、腹圧かけるの怖くてチャレンジしてなかったんです。
 
ちなみに、前の病院ではわかめを食べまくっていたからか、初めて見る苔色のブツがするする出てました(笑)
 
ここで数日出ていないということで、スティック状の袋に入ったぬめぬめとした液体の薬が出されました。
 

「こういうのは一気飲みするに限る」と思い切り吸ったら、想像以上に激甘だったシロップが喉に直撃して、ハデに咳き込んでしまいました。「コロナじゃないでしょうね」という視線で見られているときでもあったので、必死に止めようとしましたが、なかなか止まらず苦しい思いをしました。

 
薬が聞いてきた頃にトイレチャレンジ。
出てきそうなので「あと少し」とばかりに少しお腹に力を入れたら、股の間に何か出てきたような違和感があり、慌てて立ち上がりました。もしや赤ちゃんが!!と内心パニックになり指で探ると、なにかザラザラボコボコしたものが触れて、赤ちゃんでは無さそう。
 
そこでとりあえず看護師さんを呼べばよかったものの、「挟まってる」という単語が思い出せず、「何だっけ、何ていう?どうしようどうしよう………??」と、とりあえずベッドに戻ってしまいました。「母もいるのに取り乱せない!」とか変なことを考えて、何ともないふりをして横になりました。
 
そして、「落ち着け私……」と深呼吸をしてもういちど様子を見ると、横になったからか元通り。何事もなかったかのように戻っていて「これじゃ説明のしようがない……」という感じに。あれは子宮脱というものだったんじゃないかと勝手に思っていますが、そうとう焦りました。
 
一度目のトイレはそんな感じで失敗したのてで、午後に再挑戦。今度は腹圧をかけないように、足を台に上げて、じーっくり待ち、かろうじて成功しました。
こんな話だけでは何なので。
この日は、幼馴染ぼぬちゃんとおしゃべりしていました。彼女は2月末が出産予定日。
 
周りに同級生ママがいないということで「学年は違っちゃうけど、年齢同じだね」と、地元の出産情報などをもらったりしていました。
 
「うちぼぬのとこより先に生まれるかも……」
「まあまだ待ちなさいと、日本から念を送ってるから!」
 
そんなやりとりのほか、
 
コロナで閉じこもらざるを得ない臨月生活を送っている彼女と「旅行に行けるようになったら、グルメツアーして食べたいもの」の話で盛り上がりました。
 
私はなんと言ってもチェジュで食べそこねたミナミアカザエビ。ビジュアルすごいお刺身が、検索するとたくさん出てきます。こんなかんじ。
 
入院説明のとき、シャワー室の位置を教えられました。でも、一度も行くことはありませんでした。

トイレ食事以外絶対安静と言われていたので、行こうとも思わなかったんです。もしかして、車椅子かりて付添の人に頭洗って貰えばいいのか?と最後の最後にちょっと気づいたんですが。

結局、入院期間&家に帰ってからの療養期間、タオルで体を拭くのと、ドライシャンプーで乗り切りました。シャンプーは18日間(息子の火葬の日にかろうじて洗っていった)、体のシャワーは23日間お預けしたことになります。これ、長期入院の人、どうしているんでしょう。そういう指示が、2つの病院どちらとも無かったのが今更ながら不思議です。(そして、日本で切迫早産で入院している人から、動けないけど、おしも洗いだけしていたという話を聞いて、そういうのゼロで良かったんだろうか……とか、ちょっと心配になったり。)

着替え(病衣)も、言えば新しいものを持ってきてくれたはずですが、点滴の血が逆流して汚れたとか、破水したとか、汗でびっしょりとか、そういう事態になるまで着替えるのを我慢してました。点滴を止めてもらう申し訳なさ、煩わしさと、「一度針抜いたらまた刺すのが大変!」と思うのとで、「それなら、まだいいか……」と諦めていました。

いま振り返ると、「何の我慢比べをしていたんだ……」って感じです。もっと気軽に相談すればよかった。

入院中ずっと暑かったので、ミント入りの汗ふきシートが欲しかったんですが、真冬だったからか、夫に私が望んでいるもが伝わらなかったからか、手に入りませんでした。

韓国だと、基本、こういう「介護・介助」の部分は看護師さんではなく、親族のお仕事です。だから、付き添いなしでの入院はさせてもらえないことも。逆に考えると、日本の看護師さんの業務ってものすごい広いんだなと驚きます。

話は飛びますが、この日の特記事項は、母がこまちゃんの動きを見たことです。
「今日は、ごにょごにょぺこぺこ良く動くなぁ」と思っていたら、私が寝ているすきに(暑くて腹出ししていたかも?)母がお腹がぺこんと動くのを見たとか。私は結局、一度も目でお腹の動きをみていません。どんなふうだったのか、気になります。

2月9日
この日、思い立って、一日のスケジュールを記録してみることにしました。書き出すと、意外と忙しくしてました。ろーちゃんいわく「ブラック企業真っ青」。

張り止めの点滴は24時間ずっとなので、それ以外でやったこと。

5:00   心音、体温、血圧、分泌物チェック
5:40 血液検査
7:30 薬の配布(抗生物質:この日始めたクラリシッド)、痰の提出
8:00 朝食+服薬
8:30〜9:00 NST、体温、血圧、点滴(抗生物質)
10:20 点滴(もう一種類の抗生物質)、血糖値検査
10:30 回診「クラリシッドが効いてるみたいで、炎症数値がおさまっているので、次回の血液検査は明後日」
12:00 昼食、錠剤の抗生物質(また種類変わった)
13:00 血圧、体温、心音チェック、パッド状態聞き取り
15:00  点滴(抗生物質)
16:00 NST
18:00 夕食、抗生物質錠剤2種類
20:30 点滴(抗生物質)
22:10 NST、血圧、体温チェック
22:40 NST終了
26:00 点滴交換

こうやって見ると、ひたすら、抗生物質を入れていた感じですね(笑)

薬を調べるの、結構好きなので薬品名まで書こうと思ったんですが、ケータイだと面倒なので後日まとめてアップします。
この日も順調に夜眠れず(隣のベッドに緊急手術した人が来たようでバタバタ&暑い&喉乾く)朝ごはんを食べたあと爆睡したのですが、午前中遅くに気づくと、母からラインが来ていました。ライン苦手なのに、迫真の長文。ライン(なぜか通知が来ないことがあって)気づかないことが多いから、電話してくれればいいのに。

「11時に夫君とロビーで会う約束をしてたけど、部屋まで来てもらえないかな。何の音か分からないけど、一晩中ずっと音がしていて、今も。気のせいいやいや

一回ベッドに入ってからルームチェンジを頼もうかと思ったら、部屋に電話が無い
びっくり‼️

もういいや、と寝たけど……。前に二泊した三階の部屋はこんな事はなかった。電話も確か、あった。苦情を言うつもりは全然無いけど、もうこの部屋はごめん被りたい。」

と、おばけホテル扱い。
でも、読んでいる間に「音が止んだ」と連絡が来ました。

電話が無いのにはじまり、ポットが汚くて使えなかったり、テレビもなかったり、なんか普段使っていない部屋をあてがわれた説が濃厚でした。病院付添のための割引プランで泊まったからでしょうか……。音は、お風呂場で一番音が大きかったから、ボイラーの音とか、たぶんそんなとこだろうと思います。

夫に頼んで部屋を替えてもらい、とりあえずは一件落着。病室で動けないまま通訳伝言ゲームするのは、なかなか負担です。
ある方に入院のことを心配され、あまり心配させないように「はい、とりあえず大丈夫です。動けなくて暇です」とか返してしまい、大失敗しましたガーン

「暇つぶしがてらどうぞチュー」と正直あまり興味の持てないコンテンツや雑談が、次々と送られてくる事態に……

無碍にできない相手なので、控えめに返信してましたが、どうしようもなくなり、結局、急用以外は送らないでほしいとハッキリ言ってしまいましたチーン

先方にしたら、厚意だったはずなんですけどね……伝え方、難しいです。

夜間の絶食はそれほど辛くなかったのですが、
この日は水分絶ちがキツくて一睡もできませんでした。
夕飯から朝食まで14時間、何も飲めません。
「軽く喉を湿らすくらいはダメなのか」と聞いてみましたが、先生も看護師さんもにべもなく……
後の方ではうがいで口を湿らせて、その後ちょ〜〜〜っとだけ飲んじゃってました。
全身麻酔の際に誤嚥性肺炎を防ぐためらしいので、守らないといけないんですけどね……

「こまちゃんもお水無いのに頑張ってくれてるから、私もがんばらなきゃな」と言ったら、
ろーちゃんと妹から、それぞれ「人工羊水ってものがあるらしい」というメッセージが送られてきました。

どうやら二人とも、これを見たようです。

人工羊水注入の話 

生存限界前の妊娠16週で破水!人工羊水注入で実現した「奇跡の出産」(河合 蘭)出産の前には出生前診断により胎児の病気がわかったり、別のハプニングがあったりして、生命の危機や、子どもが障害を持つ可能性を告げられることがある。そんな時は、妊娠を継続するかどうか決断をしなければならないことも多い。大切なのは、親が自分たちで考え、そして自分たちで決断することではないだろうか。出産ジャーナリスト・河合蘭さんがわずか妊娠16週、つまり5ヵ月目の1週目で破水してしまった例をご紹介する。通常は妊娠継続が不可能で中絶を選択せざるをえないという状況に直面したお母さんは、何を考えたのだろうか。リンクFRaU | 講談社 

 

そんなことができるのか!と思ったんですが、やはり入れても保持しておくことはできず、

この子も1週間に1度、シャワーのように浴びてたことになるようです。

それだと、赤ちゃんにとって、どのくらい良いことなのか不明ですね。

感染のリスクもあるでしょうし。



私はようやく迎えた8時の朝ごはんタイムで、水、スープ、牛乳、ジュースジュースをがぶ飲みし、昼ごはんまで爆睡しましたぐぅぐぅ