にやり今日も最後に闘病中のこまちゃん写真が載っています。この日は光線治療中。ニコ

15時半頃、赤ちゃんの心拍が落ちた、ということで、急遽夫が呼ばれたそうです。仕事先から帰ってきたはず。心肺蘇生をして、持ち直してから私に連絡がありました。術後の私が取り乱すといけないからですかね……。

コロナが流行っていなければ、午前中にも面会時間があったのに、1日1回18:30から5分と言われていました。

夫が「僕は30分前に並んで先に入るから、君は後から来たらいい」というんですが、話をいくら聞いても意味がわからず、「あのさぁ、まだ私もよろよろなんだけど。5分って決まってるんでしょ?一緒に行ってくれない?!」と言ってしまいました。

その場に行って分かったのは、ずらりと並んだ親たちが、ひとりひとり連絡先を記入し、人によっては搾乳したものを預け、検温し、使い捨てのビニールポンチョのようなものをかぶり、手を消毒するという作業があるので、入室までにやたら時間がかかるのでした。そして、各ユニットにいるスタッフさんたちが5分で切り上げるように声をかけてくるわけでもない。だから、早く並んでおけば、そのぶん面会終了を言い渡されるまで、長くNICUにいられるという意味でした。(そう説明してくれたら、たぶん私もわかると思うんですけど……。夫の言葉が足りなすぎる気がします)

とりあえず私は、30分並べる体調ではなかったので、夫にもむりやり一緒に後ろに並んでもらいました。見た感じ、入院中の人は私だけ。朝あんなにお腹が痛かったのに、このとき手すりを掴まずに、歩いていけたのには驚きました。

ちいさいこまちゃん、酸素を入れる際の細かいお腹の振動と、挿管されて開きっぱなしの口から必死さが伝わってきました。

このとき、こまちゃんが他の子と比べて皮膚が柔らかかったり、お腹の中にいるときから、どうも便に出血があったようなこと、おしっこをよくする子は薬も入りやすくて予後がいいが、量が半分くらいであることを聞きました。厳しいのかな、辛いのかなぁという感じ。

こまちゃんに、話しかけました。
「お母さん来たよ〜、
生まれてきてくれてありがとうねー。
こまちゃんに会えてお母さん嬉しいよ〜
頑張ってるね、えらいよー。
元気になって、一緒にお家に帰ろうね。」

そうしたら、ぐぐぐっと右手を持ち上げてくれるのです。夫と「うごいた!」って声を上げました。(後から聞くと、後にも先にもこのときだけだったそうです。)

「すごーい。お母さんの声聞こえてるかな。
こまちゃんがお返事してくれて嬉しいよ〜。こまちゃん、たくさんたくさん可愛がるから、私を君のお母ちゃんにならせてね。お願いだよ〜。明日また来るから、がんばろうね〜」

母性?みたいなものがなかなか湧かなかった私に、ようやく子どもが愛しいという、はっきりとした気持ちが湧いてきました。前にみんなが言っていたのはこういうことだったのかと。

面会時間が終わって、私は職場のチームの3人に誕生の報告をしました。……冷静に考えたら、「この状況でする?!」って感じなんですが、したかったんですよね。万一のことがあって、その連絡だけをするのは嫌だったというか(結果、それからグループトークは止まったままですが……)。


夫もいったん家に戻りました。いまお返事してくれるくらい元気だったから、すぐさまどうかなるということはないだろう、と。



照れ以下、こまちゃん写真ですお願い



光線治療をしているので、サングラスみたいにおめめを覆ってます〜とのこと。
臍帯血が治療に使えると、そういえば言っていた気がする。おへその器具はそれか?

このとき、この細ーいおててをぐぐぐっと持ち上げてくれました。

こまくまちゃんと旅行、行ってきました。
茂朱と南海という、韓国の地理に詳しい人に言ったら、「何でそんなルートなの」とツッコミが入りそうな旅行でしたが、大満足です。

本当は、茂朱(ムジュ:蛍で有名)→全州(チョンジュ:会いたかった友達がいる、料理が美味しい)、群山(クンサン:植民地期の日本式家屋や近代建築物がかなり残っている)とか、
光州(クァンジュ:民主化闘争の聖地)→宝城(ポソン:茶畑で有名)→小鹿島(ソロクド:植民地期からハンセン病施設があったところ)とか、全羅道に行きたかったんです。ですが、コロナでストップかかりました・・・


とりあえず、頭の中が蛍でいっぱいになっていたので、県境ならぬ道境で山の中のムジュには行くことにして、あとはそのまま2時間半高速道路で南下して南海へ。海にも行きたかったんです(笑)

 

でも、こまくまちゃんと二人だけだし、車だし、思うままに旅行できてなかなか楽しかったです。

まず、1日目。
これだけフリがあったのに、蛍は空振りでした(笑)
みなさん、蛍を見るなら8月末~9月のアキマドボタル(늦빈딧불)が一番いいらしいです。ホタル祭りもあります。今の時期、ヘイケボタル(에반딧불)がいる地域もあるそうですが、私が泊った雪川面は、宿で「人口光で見えないですよ~」と言われ、ダメ元で「ホタル棲息地(種類は書いていなかった)」に行ってみましたが、やはり真っ暗でした。8月に行けたら行こう・・・

 

다숲 というペンションに宿泊しました。
オーナーさんも奥さんもとても明るく親切でした。茂朱は四季のいつでも綺麗だから、今度は旦那さんといらっしゃい〜と。
 

 

でも、悲しいというより、愛しくてしかたないという感じ。誰にもはばからず、こまくまちゃんとお喋りできたり、泣いたりできる自由な気持ちを楽しみました。旅行にきて良かったです。でも、気持ちが高ぶってしまい、一睡もできず、そのまま朝になってしまいました。

 

ホタルはもともと見れたらいいな、という賭けのつもりだったので、気を取り直して、2日目は、朝から渓谷歩きに行きました。お散歩、くまちゃんも連れていければ良かったのですが、荷物が多くなるのが心配でこまくまちゃんの鞄だけ、持っていきました。鞄にはどんぐりの飾りがぶら下がっているのですが、こういう時には、「こまちゃん、どんぐりちゃんの中に入って一緒においで〜」と声をかけてます。

 

朝、九千洞の渓谷散歩で出会ったお花。たぶんチョウセンキハギ(朝鮮木萩)。
 
 
神々しい写真が撮れました(が、色合いがいまいち再現しきれてません)
 
若木に陽があたってキラキラしてました。
 

 往復2時間半ほど歩いて、リフレッシュして、ようやく眠くなってきました。が、チェックアウトまで2時間も残ってません。汗をざっと流して、とりあえず仮眠しました。

この頃まで、まだ私達夫婦は、赤ちゃんの名付けについて意見統一ができていませんでした。生まれるまで性別が分からなかったのも理由の一つですが。

私は、(日韓夫婦が望みがちな)日韓どちらでも通用する名前を望んでいましたが、夫は哲学館に行って(姓名判断をしてもらって)つけてもらうべきだと。夫は「日本で通じる名前だと響きが変だから嫌」みたいな空気をあからさまに出していました。日韓別の名前をつければいいじゃんと。

私は、名前が2つあることで、将来どちらかを使わなくなってしまうのは寂しいと思っていたので、なるべくなら統一するか、似た響きや漢字でリンクさせたいと思っていました。男の子は少し難易度高いんですけどね……。

ちなみに、日本の彼女と結婚した知り合いにアドバイスを求められ、男の子の名前を提案したらほんとに採用されたことはあります。自分の子のために取っておきたかったかも(笑)

夫には妥協案も出してみたんですが、なかなか首を縦に振りません。哲学館に候補の名前を持っていって、その中から選ぶとか、パッチム(音節の最後にくる子音←日本人が発音しにくい)のない名前をいくつか出してもらってその中から選ぶとか……

「名前一ついくらと決まっているから、複数出してもらうとお金がかかる」というのが彼の言い分でした。それなら、私の事情を知っているプロまたはセミプロの人に相談してみるか、自分が姓名判断勉強するかしよう、と密かに思い、四柱推命も少し勉強を始めていました。

でも、フライングでこまちゃんが生まれたので「とりあえず退院してから一緒に哲学館に連れて行ってもらう」という約束で手を打ちました。(そうでなければ、数日中に夫が勝手に決めてくるところでした…)

韓国の出生届は1ヶ月以内に出せばいいということで、少し考える余裕がありそうなのは、ほっとしました。

その直後、初めて見る若い先生(たぶん。研修医さんとか?)がやってきて、「赤ちゃんの名前決まりましたか?」と質問されました。「退院してから決めます。」というと、それだと困るので、退院までに決めるようにと言ってきます。

意味がわからないというと、韓国語の出生証明書の様式は、赤ちゃんの名前を空欄にしておいて後から書き足すことができるが、英文のものはできないとか。英文のものなんて頼んでいなかったんですが、「韓国語と英語両方出さないといけないので」と言われ、「?」状態に。
……まさか日本の領事業務的に英語必須ではないだろうし、と頭をフル回転させたのですが、その場では確実なことが言えず、韓国語版だけほしいと言い続けた結果、「外国人じゃ埒が明かない感」を出されました。なんだか少し苛つくやりとりだったので、夫が戻ってきたときにもう一度、話してもらい、韓国語の物だけ出してくれました。
あの先生、いったいどういう思い込みで話していたんでしょう。英語圏以外の外国人のほうが、韓国には多いと思うんですが……。

押し問答の末にもらった出生証明書の名前の欄は、私のフルネームに「アギ」がついて記載されていました。アギは赤ちゃんという意味です。
記事名ですが、むか〜し先輩が言っていた言葉です。インパクト強くて覚えてました。帝王切開のあとは、まるで産卵後のシシャモのようにヨレヨレだったと。産卵後のシシャモは見たことないですが(たぶん先輩もないでしょう)、イメージはまさにそんな感じでした。

朝、導尿カテーテルを抜いてもらったときに、「お昼までにトイレに一度行ってきてください」と言われ、そのあとも「行きましたか?行かないとだめですよ〜」とチェックされました。朝ごはんのときに、体を起こすのも痛みで一苦労だったため、10時に行こうと決めました。

でも、ベッドちょっと起こしただけで、いてててやばいやばい痛い〜〜〜!となるので、気力がなかなか起きず、11時にようやくトライしました。

ベッドから床に降りるだけで5分以上かかった気がします。隣の人が前日大騒ぎしていた意味がわかりました。帝王切開した人の集められている部屋っぽかったです。

ベッドの高さがあるので、足を床につくまでが一苦労でした。ベッドを起こすときにお腹が曲がるのも痛いですが、降りるときにまたお腹を伸ばす動きが痛いのなんの。

微妙な叫び声(まだ少ししわがれ声)をあげながら、何とか床におりて、点滴の棒にすがりながら半歩ずつ牛歩でトイレへ。こんなにしんどいとは思いませんでした。

「歩けば歩くほどいい」と言われたので、点滴終了した午後は、頑張って、8の字型に配置されている一区画分だけ、手すりを持ちながら歩きました。

他の方のブログを見ると「1週間でまあまあ歩けるようになる」とか書いてあったのが信じられませんでした(でも、まぁ嘘ではなかった)。

この日の夜は、もう手すりも掴まずに歩けましたし。人間の回復力ってすごいんだなと、ちょっと感動していたので、こまちゃんも元気になるとばかり思ってました。

偶然入院に持ってきていた、ししゃもの魚拓ハンカチ。ガチャポンで当たってお気に入りです(笑)




朝、夫から電話がありました。
曰く、病院から電話がかかってきて、

「明け方、赤ちゃんは肺から出血して、容態があまり良くありませんでしたが、薬を使って落ち着きました。保険がきかないので、一回100万ウォン(10万円相当)です」と言われたそうです。

100万ウォンでもなんでも、使ってください。胎児保険(出生後は実費保険=医療保険になる)もあるし、未熟児医療支援金もあることが分かっていたので、ぜんぜん問題ありません。

でもなぜ、病院は私に何も言ってくれないのか、近くにいるのだから、危ない状態があったなら私を赤ちゃんのところに連れていってくれるとか、せめて知らせるとかしてくれても良かったんじゃないか……と思いました。お金の話をしたかったのかもしれませんが、私も半分稼いでいるのに。

でも、結果、こまちゃんが無事なら何でもいいかニコニコ あぁよかった、と安心しました。
術後の絶水は本気で厳しかったです。
最後に水を飲んだのは、2月10日の夜18時。
そこから2月12日の朝8時まで水分取れませんでした。38時間か……

点滴打ってるから水を飲まなくても平気というわけではなく、熱くて喉が乾くのです。
(熱が出ていたようで、「冷たく絞ったタオルで体を拭いてもらってください」と看護師さんに指示され、母に何度も拭いてもらいました。この年で親にこんなことしてもらうなんて……と微妙な気分になりました。)

私の場合、痰が喉にベタッと貼り付いている感じがして、どうしてもそれを取りたかったのですが、咳で出そうとするとお腹に激痛が走りました。

見かねた看護師さんが、湿らせたタオルを吸うくらいならいい、と言ってくれたので、我慢できなくなるとタオルを遠慮がちにチュッチュと吸っていました。

そんな忍耐の夜が明け、はじめての食事は
「プレミアム水分(ろーちゃん命名)」



こんな見た目ですが、美味しかったです照れ

ナッツ味のおもゆ、わかめの入らないわかめスープ、大根キムチの汁、写ってないけど牛乳も。おもゆを미음(ミウム)っていうの、初めて知りました。

ほぼ水分だけで主食+一汁一菜ができるんだ!と目からウロコでした。
って書いたけどやっぱりおかしいですね。三汁ですから。
全身に染みわたりました。

こまくまちゃん連れて旅行に来ました。

 
こまちゃんとお別れしてからずっと「心のままに旅行したい欲」が募っていたのですが、
コロナでどこにも行けない期間があり、
そのあと、何かしないといけない焦りから毎週オンラインでボランティアをしていた時期があったのですが、それが一段落ついたので。
 
でも、本来行こうと思ってた場所は、またコロナ発生し始めたので、急遽行き先変更です。
 
今日は茂朱の山の中、明日は国立公園お散歩したあと南海まで南下して一泊します。その後は決めてません。
 
普段はそれほど長距離運転しないのですが、車移動だと自由度高くて楽しいです。こまちゃんは、きっとどこに行っても楽しんでくれますしね。
 
とちゅうのサービスエリアで買ったりんごと桑の実ジュース
 
宿でオススメ聞いて食べに行ったコウタケのスープ。香りがすんごくいい。
 
キノコほか山の恵みを採ってくる名人の店っぽかった。
 
こまベアは先におねんね。お母さんは一人酒盛りして楽しくなってます(笑)
 

こまちゃんとの記念撮影ということで、お腹写真4枚アップします。
めっちゃ飛び飛びです(笑)

10週になる前くらいからたまに撮ってはいたんですが、
目立ち始めたのは13週あたりからだったでしょうか。
その前は「肉が多いな・・・」って感想しかないお腹の写真なので、割愛。
目立たないからって、服めくって生腹だしててお見せできません。

お腹より、家の汚さが気になる方もいるかとは思いますが、
そこは目をつぶってください。整理整頓掃除、超苦手です。

14週にしては結構出てる?と思って友達に送ってみた写真↓

 

 

着たおしたユニクロワンピ来てます。急に大きくなった。

 

大学病院に運ばれた日。
産婦人科ってピンクばっかりだよなーと思いながら撮りました。
(ひとつめの病院は水色でしたが。)
そして、病衣の機能性にびっくりしてました。
こんなとこが開く!と。


もともと食べるの好き&ビッグサイズなので、妊娠中さらに成長が止まらなくなったらどうしよう〜とおもってましたが、

とりあえず、ここまで+2キロで済みました。

食欲は非常に淡々としてました。食べられないものもなく、食べたいものもなく。楽させてもらってました。

ニコNICUで頑張っていたこまちゃんの写真を最後に載せます。人によっては痛々しく感じるかもしれませんぼけー

18:30からわずか5分の面会時間(5分で終わるわけないんですけどね)、夫がこまちゃんに会いに行って写真を撮ってきてくれました。
事前に「ケータイは使えません」と言われ、義姉の家にあわててデジカメを取りに行って。

こまちゃんの容態は、
・羊水が無かったのが影響して、背骨が曲がっている
・痣がある(どこのことだったんだろう…わかりませんでした)
・片足がむくんでいる
と伝えられていました。
「そのくらいなら大丈夫に違いない!よかった!」と思いました。まずは生後24時間、72時間、1週間がヤマ、とは伝え聞きましたが、大きいし、順調にヤマを越えてくれるんだろうと。

私、普段から「取り越し苦労体質」だったはずなのに、どうしてこんなふうに思ったんでしょう。出産ハイだったのかしら。
 




以下、こまちゃんの写真です。






お鼻高い!
私に似てたはずじゃなかったの……??私要素どこ?というくらい、誰が見ても夫そっくり。


全身写真。水蒸気であんまり見えません。おむつに履かれてます。(超ミニサイズは無いんだな〜)

この足で蹴りまくっていたのか〜と思う頑丈そうな足。

すらっとしたお指