妹はサバイバル片言韓国語はできるし、

もともと海外一人旅も苦ではないタイプなので、

勝手に飛行機もホテルも予約してやってきてくれて、本当に助かりました。

 

どうせ韓国に来るならうまいトッポッキが食べたい、ということで、

ぬかりなくリサーチしてきていたのですが、

夫が「そこはコチュジャンの味が強すぎる。イマイチ」と主張し、

「どうせ外でご飯食べなきゃいけないし、

僕が連れてくから」とサービス精神発揮してくれました。

 

 

 
 
 

こんなふうに出てくるお店に行ったようで

「なにこれ、こんなの私も知らないわ・・!」と。

トッポッキ=軽食ではないですね、もはや。

 

そして妹からは「ねりはひとりを味わえましたかw」とメッセージが。

コロナのせいで病院には入れずこの日は会えませんでしたが、

妹に時間を一人時間を作ってもらえて息抜きできました。

 

 

こまちゃんの遺灰に関しては、

義理の両親が、お寺さんに打診して

敷地内に撒かせてもらえることになりました。

20万ウォン(2万円相当)包んで。

 

この案は、事前に聞いていなかったのですが、

「よかった~~~」と安心しました。

なんとなく「ここに来れば会える」という安心感が欲しかったんです。

山や原っぱと言われてましたが、こまちゃんが還っていった場所が

どこだか分からなくなってしまったり、

開発が入って環境が変わってしまったりする可能性があるので、抵抗がありました。

お寺なら、自然もあるだろうし、そうそう無くならないだろうし。

お参りして偲ぶこともできるなと。

こっそり分骨するつもりはまだありましたが、

とりあえずほっとしました。夫の両親に感謝。

 

火葬土曜→散骨日曜の予定でしたが、

あいにく日曜日に雨予報が出たので、

土曜日に火葬場から直接お寺へ行くことになりました。

日曜には帰らないといけなかった妹も、最後まで立ち会えると喜んでくれました。

 

ちなみに夫は、「分骨したい」という私の希望を聞いて

「私の妹に骨をあげる」と盛大な勘違いをしていたことが後でわかりました。

仏舎利か!というツッコミが妹、私から同時に・・・

この日、バレンタインだなぁと思い至りました。

 

こまちゃんが大きくなってたら、

何歳くらいでチョコをもらってきてたんだろうか、なんて考えてました。

 

それから、遅ればせながら、夫に何もしていないなぁと。

夫は、キャンディーが好きなので、検索してみたら

やたらとフォトジェニックな「宇宙キャンディー」なるものが見つかりました。

こちら→우주사탕

銀河や星を閉じ込めたようなキャンディーに一目ぼれし、注文しました。

 

ただ、これ、綺麗なんですが

美味しくなかったです笑い泣き
味、ありませんでした。

夫にもはっきり「味、ない・・・」って言われ、

私もペロッとなめて同意。

 

買うのはオススメしません。

飾りには素敵なのに。もうちょっと頑張って~

私は日曜に退院予定だったのですが、
火葬が土曜日に決まったので、先生に外出を頼んだところ

「じゃあ土曜に退院していいですよ」というOKが出ました。

帝王切開してから4日目にあたるので、
「えっ大丈夫なんだ!」と驚きました。
 

本来4日目からOKだし、炎症の数値も治まっているから、

外来でいいでしょう、とのことでした。

幸い、前日までの熱も落ち着いてきていました。
まだ電動ベッドの力を借りないと上体を起こすのが辛かったので

少し不安でもありましたが・・・人体の回復すごいです。

 

そして、土曜日ということで、

妹が金曜日休みを取り、日本から飛んできてくれることになりました。

「こまの叔母だからね~」と。嬉しい。

 

母も、こまちゃんがお空に還った次の日の

日本行きチケットを取っていたのですが、

急遽日曜に変更してくれました。

航空会社勤務の弟が度重なる対応をしてくれて感謝です。

ほんとにオチも内容も薄い記事なんですが、

もし似た症状を経験した人がいれば聞いてみたいです。

 

このころ、眠りに落ちる瞬間に、
変な音が鼻や口から漏れて、目が覚めてしまうという症状がありました。

こまちゃんを産む前には無かったですし、退院してからは無くなっていったので

ストレス的からの睡眠障害だったと思うんですが。

 

その音が、

「ぷ~」

「ふがっ」

「ふん・・・」

あと、上唇が「ぷるるるっ」と震える日も(笑)

 

間抜けです。

 

「眠る瞬間+音」で検索すると、「頭内爆発音症候群」というのが出てきました。

すごい字面。「バン!」とビックリするような音で起きる人がよく取り上げられているようですが

違う音のこともあるようで、たぶんそれかなと思っています。

ビックリする音よりはいいけれど、ぷ~って。

 

この日の朝、看護師さんが「どうですか~」とやってきましたが、

無言でうなずくことしかできませんでした。どうとも言えない・・・

そして、お乳が出てきちゃうと思うので、包帯巻きますねと

胸をぐるぐる巻きにされました。

張ってくると思うけれど、このまま触らないでおいてくださいねと。

 

予告どおり、その日のうちにみるみる張ってきて、

母乳が出てきて、包帯に染みてきました。

まだ片手に点滴をしていたので、1~2日ごとに

ずれて巻き直すのは看護師さん頼み。

 

おそらく張りのせいだと思われる微熱と汗も数日続きました。

「濡れタオルで体を拭いてくださいね」という指示があり、

何度も夫と母にタオルを絞ってもらいました。
 

冷えピタシート的な物も買ってきてもらったんですが、気休めにしかならず、

家の冷凍庫から保冷剤を持ってくれば良かったと心底思いました。

(余談ですが、麻酔の後からずっと、37度台まんなかあたりの体温だったので

甲状腺摘出手術の入院の時は、保冷剤を用意して行ったのですが、

このときは熱は出ず、小さい冷凍庫のほぼ全域を占領しただけでした。)


日本では、薬を飲んで断乳してしまうところが多いと聞いていたので、

えー薬くれないのか・・・って感じでしたが、

まあ、放っておいて治るなら必要ないですよね。

ただ、家に帰ってから痛くなってきたりなんだり、

「このままにしておいていいのかな?」と迷うことがあったので、

誕生死を経験した親が、医療機関等とつながり続ける

チャンネルがあればいいなとは感じました。
結局この包帯は、退院後2週間後くらいまで(全期間通して約3週間)巻いていました。

こまちゃんのお話し再開します。8月中に一段落させたいな。
前回はこちら


こまちゃんとお別れ後は、忍耐の毎日でした。
「泣くになけない。早く退院して、思いっきり泣きたい」と思っていました。

そして、申し訳ないけれど、夫と一緒にいたくありませんでした。

 

6人部屋のせまい空間で、私にぴったりはりついて「はあぁぁぁ」と

幾度となくため息をつく夫に、責められているような気がして、気が重いんです。

夫は、実家とはいえ2世帯住宅構造で、一人になれる空間があるので

やんわりと「帰らないの?」、「家でゆっくりしてきたら?」

「もう大丈夫だよ?」、「少し寝てきたほうがいいよ」と勧めてみたのですが、

ぜったいに帰りませんでした・・・。

 

「母親にいろいろ言われるのが嫌だ。ここにいる方が気が楽だ」
「一人になりたくない」
んだそうです。

まあ、義母はいろいろといらぬアドバイス(?)をしてくると思うので
気持ちは理解できましたが、ずっと一緒はこっちの気が詰まる。
一人になりたい私と、なりたくない夫。

私の気持ちは、全く通じず、病院1階のカフェに1時間ほど逃避しました。

 

一時間して、昼食時間になったので仕方なく病室に戻り、

ご飯を食べていると、夫が少し明るい声で
「休職している間、もっと運動して、

次は健康な赤ちゃんを産もう!」と言ってきました。

 

これは、相当こたえました。

運動していなかった私が悪い、過体重の私が悪い、

私のせいで赤ちゃんが死んだ、と思わされてショボーン
それに、「次は」って。まだはゆんちゃん、一人で霊安室にいるのに、

もう次のこと考えちゃうの?とガーン

 

そんな風に言うと、「そういう意味じゃないってば~。ただ、次は、って言ってるだけ!」
と、いう返事。悪意が無いのはわかるけれど、

こっちが受け取れない言葉だっていうのはわからないんかいムキー

 

「お願いだから外にいって、ゆっくりご飯食べてきて!ゆっくりね!!!プンプン

追い出してしまいました。たったの1時間かそこらでしたが・・・

 

昨日、手術後の検査結果を聞きに行ったところ、
甲状腺の腫瘍も、リンパ節にあったもの(手術時に初めて分かった)も、

甲状腺乳頭癌+リンパ節転移で間違いなかったとのことタラー

そのままにしておくと再発率20%ということで、

放射性ヨード内用療法をすることになりました。

乳房甲状腺外科から核医学科の患者にステータス変更。

 

この治療ができる病院は(そこそこ大都市ですが)この病院だけ、ということでした。最初からここにしておいて本当に良かった。私の住む地方都市の大学病院にも「核医学科」があったので聞いてみたのですが、やはりやっていませんでした。

 

9月1日に職場復帰予定なので、間に合うのかハラハラしながら核医学科で相談をすると、
8月31日に確認の撮影まで終わるようにアレンジしてもらえました。
こういうところでは運がいい~びっくり

大変だ!と思ったのは、ヨード制限食。
なんとなく「海藻とかシーフードとかダメなやつでしょ~」というイメージはあったのですが

乳製品、卵(の黄身)、赤色色素の入ったもの、天然塩などの調味料
と、いろいろダメ!外食もインスタントも禁止ガーン

大まかにいうと、大丈夫なのは、肉(一日150g以下)、野菜、果物くらい・・・?
 

調味料の基本の塩から考えないといけないので、

ネットで専用の調味料を買いました。

(病院で売っているのは高いと、看護師さんから耳打ちが笑)。

예은맘푸드 
こちらで、ヨード制限用の塩、醤油、味噌、ヨルムキムチ(大根葉のキムチ)を購入。 

これだけですでに5万ウォン(約5000円)近い金額ですが、病院で確認してきたのよりは、やはり安かったです……

8/12 ヨード制限開始
8/18 尿検査

8/20 外来(検査結果)、甲状腺ホルモン薬(シンジロイド)服用中止

8/24 甲状腺刺激ホルモン(TSH)注射

8/25 同上

8/26 入院、放射性ヨード投与

8/28 退院

8/31 シンチグラフィー

これで、とりあえず一連の治療は終わりになるはず・・・
次の妊娠までは、やはり1年空けるように言われてしまったのが辛いところですが、
健康な体になって準備するのが一番と、気を取り直してがんばります。

火曜日に手術を受け、金曜の夜に自宅へ戻ってきました。

いろいろありましたが、とりあえず今の自分の状態は悪くないので、終わりよければ全てよしってことにしときます(いろいろ……の部分を後日ネタにするかもしれませんが)。

一番心配していた「声が出るか」というのは、難なくクリア。杞憂でした。

あとは、ホルモン値が下がってきたあと、ホルモン剤で調整するのがうまく行くかどうか、「疲れやすくなる」と聞いているのが、どの程度になるのか、というのが関心ごとです。一病息災でぼちぼち付き合うしかないですね。
2/13(木)
9時・・・に間に合うように8時半頃に病室を出て、よたよたしながら病院附属の葬儀社に足を運びました。

広い大学病院の端にある葬儀社まで行くのは、まだ休み休み歩いてもキツかったのですが、こまちゃんをちゃんと送ってあげるのが務めと思って頑張りました。

夫が書類を忘れたといって、一度戻ったのを立って待っているのも辛かったです。

それで、ようやく着いた葬儀社でしたが、担当者がなんだか感じ悪いおじさん。説明が難しいんですが、ずいっと書類を突き出してきて「書いてください」とだけ言うような・・・。口数が少ないだけかと思ったので、あまり予断を持たないようにしようと思ったのですが、もっと細心の注意を払うべきでした。(この話はまた後ほど。)

委託火葬(葬儀社で火葬してもらって、遺骨を受ける)をしてもらうつもりで話しに行ったのですが、前日の説明(委託するかどうか決めてほしい)とは違い、「すでに生まれた子なので、委託はできません」という説明でした。出生証明書が出ているとそれはできないとか。

昨日悩んだのは何だったんだと思いつつ、わかりましたと手続きを進め、土曜日に火葬場を予約してもらいました。空いているのが直近で土曜だけだったので。

「土曜日14:30に火葬場に行ってください」という説明を受け、夫のケータイにも、同じ説明が自動送信されてきました。

でもここで、私も夫も大きな勘違いをしていたのです。火葬場に直に行けば、霊安室からこまちゃんが運ばれてきているんだと・・・。


<ご心配をおかけしていますが、昨日、甲状腺がんの手術を終え、どんどん回復中です。声も食事もほぼ問題ありません。ただ、病室で交互におばあちゃんたちが「Mr.トロット」の動画を大音量で見て耳栓が役に立たないので、早く退院したいです……>