2週間のヨウ素制限をクリアし、無事に隔離入院を終えて帰ってきました。
入院準備と9月からの復職準備(コロナでイレギュラー状態)で、ここのところせわしなく過ごしていました。
曇っているけれど、冬のわりに暖かい日でした。
ただ、火葬場の風景は、灰色で寒々しかったです。
周囲の人たちは、ほとんど喪服を着た人たちで
お年寄りの人数が圧倒的に多い。
私たちのような普段着の一行は、他にはいないように見えました。
火葬の手続きをしに行って、納得いかなかったことが一つ。
ここは、市営の火葬場なので、市民割引と道民割引があります。
子どもの火葬の場合、
市民: 14万ウォン
道民: 50万ウォン
それ以外:70万ウォン。
私たち夫婦は週末婚をしていて住所が異なり、
夫が市民で、私が道民です。
ところが、ここで要求されたのが道民料金の50万ウォン。
「父が市民なんですが」というと、
「母親の住所で決まります」と言われました。
でも、「母が市民、父が道民」なら市民料金。
出生届を出していない=住民票がない状態だったので、
父の子だという公的証明がないということなんでしょうか。
出生証明書(回収されたけれど)に父の名前も載っているんですけどね。
子どもの葬儀の値段を割り引けと主張するのも心が痛むので
そのまま払いましたが、少し納得いきませんでした。
こまちゃんの話にもどります。
退院後、母のホテルで仮眠して、昼食をとり、少しほっとして
市営の火葬場に向かいました。
同じ市内とはいえ、病院からは少し離れていて、40分ほどかかります。
かなり余裕をもって出発しました。
ゆっくりすり足で歩けるようになっていたものの、
車の振動は、かなり辛かったです。
夫の運転、日本人基準で言うと少し荒いときがあるので
「チョンチョニ~~~ッ!(ゆっくり)」と何度か叫びました。
デコボコを乗り越えるところとか。
自宅のある市まで1時間半かけて帰ることや、
1週間後に通院で来ることを考えると、気が遠くなりそうでした。
おかしなことに、夫が運転していたこの数十分の間、
いつになくたくさんスパム電話がかかってきました。
そして、最後に葬儀社からも。
「サインしてもらわないといけない書類が残っていたから、来てほしい」と言われました。
契約から何日か経っているのに、なぜ今頃?という感じです。
「もう出発してしまいました。火葬場に向かっています。
次回の通院の際ではいけませんか?」
「いや、来てもらわないと」
「何で早く言ってくれないんですか」
「じゃあ次でいいです」
のような押し問答をし、次回サインすることにしてもらいました。
この時、葬儀社に戻っていれば。
そして、職員さんも、この時もう少し確認してくれればよかったのに。
夢の中でこまくまちゃんが喋っていました。
いつも私や夫がアフレコするのより、ずっと落ち着いた子どもの声で。
それで、「あ、こまちゃん、帰ってきたのか」と納得してました。
細かい内容までは覚えていないのですが、「おばけは怖くないんだよ」って言っていた気がします。
そうだねぇ。おばけも元々、誰かの大事な人だったに違いないし。
こまちゃん、今夜の夢の中で、もう少しお話ししよう🐻
七月初めの旅行記、完結してませんでした。
もう一か月も経っているのか・・・・・・。
3日目と4日目の旅行写真です。
宿のそばの干潟
伝統漁法で取ったカタクチイワシの野菜包みご飯
錦山頂上の狼煙台(背景は、海です……)
檀君聖堂
ごちゃまぜ感が面白かった檀君聖堂
菩提庵の木造観音。丸い頬や、脇侍が龍王と
説明
善財童子なのが、17世紀の流行なんだそう。
はゆんも、こうだったらいいなと思った言葉。娑婆にも極楽にも自在に遊ぶ。
ここまで、けっこうな山登りでした。
開けた広場に、大きな石の観音様と石塔がある。晴れていれば、パノラマは極楽浄土のように見えるかも。
こんな崖の中腹に道場を建てるのがすごい
ぱっと見て「こんなとこに蟹の殻捨てたの誰だよ!」と思ってしまったが、実はきのこだった。サンコタケ(三鈷茸)/세발버섯
通りがかったアメリカ村の自由の女神。ちょっとアメリカンな体型?アメリカ移民して戻ってきた人たちが住んでいる(ペンション経営が多い)。
女神の向いている方向には、海と田んぼをバックにミッ○ーらしきバス停
タレンイマウル(棚田で有名な村)の食堂で。
岩場から海を眺めるこまくまちゃん。
夫に「こまちゃん何すねてるの?喧嘩したの?」と聞かれたが、そういうわけではない。
タレンイマウル(この日は足腰がものすごく鍛えられた)
次の日、朝からものすごい雷雨でチェックアウト時間ぎりぎりまで部屋で粘り、11時過ぎ頃ドイツ村に。「ドイツの家庭のごはん」というブランチメニューをいただきました。
1リットル缶の黒ビール!ドイツではいくらで売っているんだろう……
地味だけどここも文化財。防潮魚付林。ドイツパン屋を探して行ったら、近くにあった。
帰り道。小さな島々を眺めながら大きな橋を渡るのだが、小さい島部分に作られたサービスエリア。閑麗海上国立公園。こまくまちゃんを撮っていたら、いつの間にかおじさんに見られていて、ツーショット撮ってくれた。
ドイツ土産!
夫と予定が合わず、ソーセージとビールはまだおあずけ。9月に快気祝いがてらパーッとやりたい。
おしまい
2月15日
朝食を食べてから、さっさか(気持ちだけ。実際はお腹が痛くてスローに)退院の準備をし、
抜糸をしてもらいました。いったいどんな処置なんだろう、痛いのかな・・・と
少し及び腰でしたが、始まってしまえば一瞬。
ピンッピンッピンッピンッピン!とリズミカルに終わって、拍子抜けしました。
薬の飲み方、傷の手当(テープははがれるまでそのまま。はがれたらそれで終わり)、
生活の仕方(シャワーは1週間後から、湯船に入るのは1か月後から)などを聞き、
夫には清算と書類申請&受け取りに走り回ってもらい、
10時半ごろ無事、退院しました。
そのまま母の泊まっていたホテルに行き、12時のチェックアウトまで寝かせてもらうことに。
なんだかほっとして、広いベッドでいびきをかいて寝てしまいました。
そして、3人で腹ごしらえ。
近所のごく普通に見えるカルグクス屋さん。
きしめんみたいな麺でさっぱりした味。
2週間ぶりの外の食事はおいしかったです。
そして、ケンニプ(えごまの葉)のジョン(ピカタみたいなもの)を頼んだら
「品切れ」と言われ、じゃあいいですとグクスだけ食べていたら、
しばらくして「白菜ならあるけど、かわりに白菜ジョン作ってあげようか?」と
メニューにないおかずを提案してくれました。
これがすっごく美味しかったのです。白菜が甘くて。
夢中でペロリと食べてしまったので、写真はありません。
母も美味しい美味しい言っていたので嬉しかったですし、
食堂のおばちゃんの親切がしみました。
前回の記事と、時間的に前後します。
(しばらくしたら、入れ替えるつもりです)。
とにかく、夫とずっと同じ部屋で息が詰まりそうだったので、
お昼を食べて、昼寝を少ししたあと、院内探検をしに行きました。
歩いたほうがいいというし。腰に手をあてて、よろよろしながらでしたが・・・
一か所目は、図書室。
常連さんがいるような雰囲気で少し入りづらかったので、
外からちらっと見るだけにしました。
(どのみち次の日退院でしたし。)
二か所目は、祈りの場。
キリスト教系の病院だったので、こんな感じでした。
ここがとても静かでよかったです。
私が行ったときも、付添人に連れられたおばあさんが
熱心に祈っていました。
私は、とくにクリスチャンではないんですが
神様仏様どなた様でも、という気持ちだったので
部屋の前にある、自由記入のノートに記帳してみました。
「はゆんちゃんが、お空で楽しく暮らせるように見守ってください」と書いておきました。
本来そういう信仰ではないよな・・・と思いつつ、「まあいいや、わかっていただけるだろう」と。
しばらくこの祭壇の前に座っていると、神様やはゆんと対話をしたような気持ちになり、
落ち着いて出てこられました。
三か所目は、カフェ、A TWOSOME PLACE。
病院に来た母と夫と合流し(病室は付添一人までで三人一緒になれないので)
ひさしぶりにアフォガードなど食べました。
意外と、三人でいると暗~くならずにすみ、
母の年の功(?)を感じさせられました。





























