こまちゃんの到着を待つ間、事務室にかかっている掲示物をいろいろ眺めていました。二つ、目についたものがあり、一つは「自然葬」を勧めるもの。全国の自然葬ができる共同墓地を案内するものでした。

もともと韓国では、一族の持っている山などに、一人一基の土まんじゅうを作って土葬するのがオーソドックスです。ですが、風水的に「良い土地」はお墓でいっぱいになっていたりもして、最近では伝統にとらわれない形も増えてきたとは聞いていました。

もう一つは「火葬80%時代の不都合な真実!」と題されたもの。もう80%もいるのか、目標なのか調べきれてませんが、いつの間にそんなに増えたんだと驚きました。

不都合な真実とは何かというと、

1)土葬用棺を火葬してしまう
2)スマホや本など、いろいろな副葬品を燃やしてしまう
3)高価な麻の死装束(寿衣)を死者に着せる(もともと、虫や土の中の生物に遺体がかじられるのを防ぐために着せていたと説明がありました)
らしいです。

一言で言えば、燃えにくいものはいれず、燃えやすくなるように注意しましょう、ということらしいです。「副葬品は手紙一通で十分です」と。3)の昔ながらの織物の死装束が現代的に変わってしまうのは惜しい気もしますが、故人の好きだった服とかならいいなと思います。

こまちゃん、そこまで頭が回らず準備もできず、おむつだけだったのは今思うと残念でした。

2週間のヨウ素制限をクリアし、無事に隔離入院を終えて帰ってきました。

物々しい病室での生活を公開!
 
部屋の入り口は、分厚い二重扉。「放射線管理区域」の表示。
 
病室は8階でそこそこ郊外なので眺めはよく、もちろん窓は開かないけれど閉塞感は無くてよかった。この日、台風が来る予定で、暴風雨をこの大きな窓から眺めるのを少しドキドキして待っていたけれど、逸れていって全然降らなかった。パソコンを持ち込んで、オンラインの研修会に2つ出たり、仕事したり、思ったより暇にはならなかった。
 
放射性廃棄物用のゴミ箱。体内から出るものはこちらに捨てる。鼻をかんだティッシュとか、つばのついたものとか。
ちなみに、日本のサイトを見ていたら、使い捨ての日用品を持ってくるように書いている病院が多かったが、ここでの指示は反対で、「全てのものは持ち帰ってもらうので、使い捨ての物は持ち込まないように」ということだった。放射性廃棄物は増やさないように(家で線量下がるのを待て)ってことか……
 
生ゴミ粉砕機。食事の残りはここで細かくして流す。作業するのがめんどくさくて食事は残さず食べたので、流したのは魚の小骨だけ。もちろん専用のタンクに流れていったはず。排水管も頑丈だったから。
 
この見た目かわいい容器は、ピンクの部分が石みたいに重くて分厚い蓋。中に小さな穴が開いていて、そこにカプセルがひとつ。穴にピッタリはまる筒をカチッとはめると、その中にカプセルが移動する。その筒(ストロー)を逆さにして、口に入れてカプセルを滑らし、飲み込む。説明は部屋で受けて、そのままスタッフさんがドアの外に出たら、服用。ちゃんと飲んだか、外から見られていた。数分後、ドアの外から線量を確認されて終了。事前説明のパンフレットには、30ミリキュリーと書いてあった気がするが、今日の看護師さんは「今回の方は全員100ミリキュリーだと聞いてます」と言う。え、どっち……?入院ありきだったし、「高用量〜」って言ってたから100じゃないのかと思うけれど、結局よくわからず。後で聞いてみなくては。。。
 
ちなみに、1時間後くらいか、座ってケータイ入力していたら、すこしめまいがするような気持ち悪くなるような前兆があったが、すぐに治まった。事前に飲んだ抗嘔吐薬が効いていたよう。
 
カプセル服用から夕食までのあいだには、軽い運動を、と言われていた。どうせ監視カメラで見られてるなら、中途半端にやってもイマイチかなぁと思って、YouTuberまりな先生の初心者用エアロビダンスを何本かやってみた。もちろんへっぴりなので、ナースステーションに笑いを提供していたかもしれない。
 
で夕食。まだ(二日目昼食まで)ヨウ素制限食。右上の青菜だけ、まったく味なしで、持ってきていた無ヨード醤油をかけた。あとは薄味だけど、そこそこ美味しかった。
 
1日目20時から30分に1回、唾液腺炎にならないように、耳から頬のあいだをマッサージするようにと言われる。しかも、遅寝早起きしてなるべくたくさんするようにと。とりあえず、1時まで頑張ってみた。
 
2日目朝食。これ、調味料ケチってない?という超薄味で辛かったごはん。スープはスンニュン(おこげご飯を煮たもの)で、香ばしいけど、白米が進む味ではない。ライスinライススープみたいな感じになるし。これがワーストだったな……
 
2日目昼食。ちょっとマシだったけれど、ヨウ素制限食、バリエーション無いんだなと感じ始めた。仕方ないか。同時入院したおばあちゃんとおじさんは、文句言わずに食べてるんだろうか……
 
ちなみに、家でのヨウ素制限食は、こんな感じでした。
朝:バナナ
昼:蕎麦ほか麺類(十割蕎麦ととうもろこし麺は大丈夫そうだった)。ヨルムキムチ(大根葉のキムチ)や長芋&わさびと食べてた。外出するときはパン焼いて行った。
夜:白米、お肉か豆腐、サラダ、汁物。
おやつ:各種果物
ヒットメニュー:豚汁、「トマトと牛ひき肉と洗ったヨルムキムチを炒めて味噌で味付けしたやつ」、牛そぼろ。
 
2日目夕食。やっと普通食!オーソドックスな味付けになって、嬉しかった。でも使い捨てプラ容器って、美味しそうにみえないなと、器の大切さを実感。
 
3日目朝食。エゴマの葉の漬物とかしょっぱすぎて、塩気の振り幅大きいなと思った。
 
入院中、とにかく酸っぱいものを食べろ(唾液腺炎防止のため)と言われ、買ってみたお高めのレモンキャンディー。美味しかった。他にもいろいろ買ってみたけど、大量に余ってしまった。
 
入院前に病院のコンビニで「2つ買ったら1つおまけ」をやっていて買ってしまったタブレット。さわやかでおいしい。
 
「二日目夜からは普通に食べていいです。ラーメンとか欲しくなる人もいるので、買いたかったら先に買ってきてくださいね」と、放射性ヨード服用前に言われたんですが、ラーメンには興味無いので、ジェラート買って冷凍庫にいれといた。スイカとクッキー&クリーム。ヨード制限明け記念のジェラートは美味しかった。
 
 
こんな入院生活をし、最終的に線量低下を確認して、病院を後にしました。特に具合は悪くなかったので、ひとりで運転して帰りました。公共交通機関はなるべく使わないように、人に運転してもらう場合は、運転席の対角線上に座って帰る(他人の被爆防止)という決まりがあります。その他の場面でも、あと2週間は他人との接触を控えねばなりません。基本的に、2メートル距離取っていれば、それほど問題ないそうなので職場復帰は予定通りしますが。
それから、1日3リットル水分を摂れと言われています。放射性物質を早く排出するためです。が、これはまず無理……。せいぜい頑張って2リットルです。。。激しい運動とかすればいいのかな(しないでしょう)。
 
 

入院準備と9月からの復職準備(コロナでイレギュラー状態)で、ここのところせわしなく過ごしていました。

 
縁あるお寺から、「백종(百中:ペクチュン)祈祷申し込み受け付けてます」という連絡がありました。
百中祈祷という言葉に馴染みがなかったので調べると、旧暦7月15日の盂蘭盆斎のことを指していました。なるほど、お盆ですね!
 
本来、旧暦7/15=今年は新暦9/2に一週間の祈祷が終わるようにするらしいんですが、都合で少し早まったようです。
 
先日、日本のスケジュールで少しだけ「お盆だな〜」としんみりしましたが、もう一回お盆がある!と、申し込んでみました。
 
お金だけ払ってお祈りしてもらうこともできましたが、せっかくなので初日の今日、行ってみました。
 
コロナもあってか、一般参加者は推定10人ほど?少なかったです。密になってなくてよかった(最近、宗教施設で広がってますしね、韓国……)。
 
『法要集』という、聖書サイズの、お経の他信仰生活に必要な文や曲が収録された本が一人一冊ずつセッティングされており、熱心な信者さんは一緒にお経をあげていました。
 
ただ、私には、どのお経なのか、判別がつかず、ページをぱらぱらぱらぱら……あきらめてじーっと聞いたあと、またぱらぱらするなど、落ち着きのない参加をしてしまいました。
 
聞き取れた僅かな断片から察するに、たぶん、最初は観世音菩薩関係、次がサンスクリット語音訳のお経、次が地蔵菩薩関係、個人の祝願&回向文、最後に般若心経だったと思うんですが……。
 
ひとしきり、仏様に向かってたまに五体投地の礼をはさみながらお経が続きました。韓国のお経の読み方は、スピードもいろいろ、抑揚も歌のように聞こえるのもあって、面白いです。
 
そのあと法話があり、それが終わると、仏様の前に供えられていた果物が、90度横の壁際に設えられた、一回り小さな祭壇に移されました。上の方に、プリントされた位牌が貼ってあり(たぶんはゆんのもあったはず)、その下には、あらかじめご飯、お水、おかず11種類が並べられていました。祭壇の横には、紙で作った服が位牌の数だけあり、たぶんこれは、後で燃やされるのではないかと思います(昔、義理の実家メンバーで、亡くなったおじいさんのための服を燃やしたことがあります)。
 
そして、参加者ひとりずつ水をお供えし、礼をします。しかし、水の盃を受け取って、香炉の上で三度回し、下に置くというだけの動作なのに、その場に行くと勝手がわからなくなり、フリーズしてしまいました。回す方向とか、場所とかが一瞬気になってしまって。補助の方が代わりにやってくださいましたが……
 
儀式はそんな感じで2時間で終了。本来は一緒に食事をするとのことでしたが、こんなご時世なので、と、お供えの果物とお餅をもらって帰りました。
 
だらだらと流れを書いてしまいましたが、お経を聞いている間、たくさんのフルーツに、はゆんが目をキラキラさせてる様子、そのなかでも、ショッキングピンクのドラゴンフルーツに「これなに〜?」って目を丸くしている様子、美味しいものをちょこちょこつまんでにこにこ食べてる様子が目に浮かびました。はゆんには、お友達のむちむちちゃん(SIDSで命を落としてしまった友人の子。すごくむちむちでした)がいるのですが、ちょっとお姉さんのむちむちちゃんにお世話されている様子が想像できたりして。
 
一ヶ月後には、秋夕って行事もありますし、はゆんちゃん、日本スケジュールと韓国スケジュールでお空とこちらを行ったり来たり、けっこう忙しいかもしれません。ずっといてくれてもいいんですけどね。
 
 

曇っているけれど、冬のわりに暖かい日でした。

ただ、火葬場の風景は、灰色で寒々しかったです。

周囲の人たちは、ほとんど喪服を着た人たちで

お年寄りの人数が圧倒的に多い。

私たちのような普段着の一行は、他にはいないように見えました。

火葬の手続きをしに行って、納得いかなかったことが一つ。

ここは、市営の火葬場なので、市民割引と道民割引があります。

子どもの火葬の場合、

市民: 14万ウォン

道民: 50万ウォン

それ以外:70万ウォン。

 

私たち夫婦は週末婚をしていて住所が異なり、

夫が市民で、私が道民です。

ところが、ここで要求されたのが道民料金の50万ウォン。

「父が市民なんですが」というと、

「母親の住所で決まります」と言われました。

でも、「母が市民、父が道民」なら市民料金。

 

出生届を出していない=住民票がない状態だったので、

父の子だという公的証明がないということなんでしょうか。

出生証明書(回収されたけれど)に父の名前も載っているんですけどね。

子どもの葬儀の値段を割り引けと主張するのも心が痛むので

そのまま払いましたが、少し納得いきませんでした。

こまちゃんの話にもどります。

 

退院後、母のホテルで仮眠して、昼食をとり、少しほっとして

市営の火葬場に向かいました。

同じ市内とはいえ、病院からは少し離れていて、40分ほどかかります。

かなり余裕をもって出発しました。

 

ゆっくりすり足で歩けるようになっていたものの、

車の振動は、かなり辛かったです。

夫の運転、日本人基準で言うと少し荒いときがあるので

「チョンチョニ~~~ッ!(ゆっくり)」と何度か叫びました。

デコボコを乗り越えるところとか。

自宅のある市まで1時間半かけて帰ることや、

1週間後に通院で来ることを考えると、気が遠くなりそうでした。

 

おかしなことに、夫が運転していたこの数十分の間、

いつになくたくさんスパム電話がかかってきました。

そして、最後に葬儀社からも。

「サインしてもらわないといけない書類が残っていたから、来てほしい」と言われました。

 

契約から何日か経っているのに、なぜ今頃?という感じです。

「もう出発してしまいました。火葬場に向かっています。

次回の通院の際ではいけませんか?」

「いや、来てもらわないと」

「何で早く言ってくれないんですか」

「じゃあ次でいいです」

のような押し問答をし、次回サインすることにしてもらいました。

 

この時、葬儀社に戻っていれば。

そして、職員さんも、この時もう少し確認してくれればよかったのに。

 

今日の夕方、猛烈な眠気にやられて2時間ほど昼寝をしたのですが、
夢の中でこまくまちゃんが喋っていました。
いつも私や夫がアフレコするのより、ずっと落ち着いた子どもの声で。
それで、「あ、こまちゃん、帰ってきたのか」と納得してました。

細かい内容までは覚えていないのですが、「おばけは怖くないんだよ」って言っていた気がします。

そうだねぇ。おばけも元々、誰かの大事な人だったに違いないし。

こまちゃん、今夜の夢の中で、もう少しお話ししよう🐻
本日のフリースタイルな迎え盆の様子です。

迎え火は焚きづらいので、キャンドルを持って窓辺に立ち「こまちゃん遊びにおいで〜。
もう来てるかもしれないけど、おいで〜。
ゆっくり遊んでいってね!」と呼んでみました。

それから、お盆の「盂蘭盆経」、そのまま読んでも私は意味がわからないので、現代語訳を読みました。要は、仏と僧に施すことが、亡き父母や七代上までの祖先の供養になります、というお話でした。亡き祖父母にはそういう感謝の心をこめ、こまちゃんには「こまちゃんは、生まれてくれただけで孝行してくれてるからね〜。なんも考えずに楽しいことして、遊んだらいいよー」と、伝えました。

少し脱線しますが、韓国では般若心経などのメジャーなお経は、現代語訳であげることもあります。日本では聞かないような…(和讃とかはありますが)。わかりやすくていいと思うんですけどね。

昔日本で買ってあった精霊馬のほかは、お盆だからといって特別な物もありませんが、こまちゃんが楽しく遊んでくれたら嬉しいです。そして、おじいちゃんおばあちゃん、亡くなった友人などの懐かしい人たちも、ちょっと韓国にまで足をのばしてくれないかな〜と思っています。

七月初めの旅行記、完結してませんでした。

もう一か月も経っているのか・・・・・・。
3日目と4日目の旅行写真です。

 

宿のそばの干潟

 

伝統漁法で取ったカタクチイワシの野菜包みご飯

 

錦山頂上の狼煙台(背景は、海です……)

 

檀君聖堂

 

ごちゃまぜ感が面白かった檀君聖堂

 

菩提庵の木造観音。丸い頬や、脇侍が龍王と

説明

善財童子なのが、17世紀の流行なんだそう。

写真は撮れなかったけれど、別のお堂の仏画が、極楽へ向かう龍の形の船で、迫力があった。

 

はゆんも、こうだったらいいなと思った言葉。娑婆にも極楽にも自在に遊ぶ。

 

ここまで、けっこうな山登りでした。

開けた広場に、大きな石の観音様と石塔がある。晴れていれば、パノラマは極楽浄土のように見えるかも。

 

こんな崖の中腹に道場を建てるのがすごい

 

ぱっと見て「こんなとこに蟹の殻捨てたの誰だよ!」と思ってしまったが、実はきのこだった。サンコタケ(三鈷茸)/세발버섯

 

通りがかったアメリカ村の自由の女神。ちょっとアメリカンな体型?アメリカ移民して戻ってきた人たちが住んでいる(ペンション経営が多い)。

 

女神の向いている方向には、海と田んぼをバックにミッ○ーらしきバス停

 

タレンイマウル(棚田で有名な村)の食堂で。

 

美味しかった独特のうな丼。ご飯の上には、甘い味付けの海苔とひじきが、そして辛さ控えめのチリパウダーを使った味付けのうなぎ。

 

岩場から海を眺めるこまくまちゃん。

夫に「こまちゃん何すねてるの?喧嘩したの?」と聞かれたが、そういうわけではない。

 

タレンイマウル(この日は足腰がものすごく鍛えられた)

 

次の日、朝からものすごい雷雨でチェックアウト時間ぎりぎりまで部屋で粘り、11時過ぎ頃ドイツ村に。「ドイツの家庭のごはん」というブランチメニューをいただきました。

 

1リットル缶の黒ビール!ドイツではいくらで売っているんだろう……

 

地味だけどここも文化財。防潮魚付林。ドイツパン屋を探して行ったら、近くにあった。

 

帰り道。小さな島々を眺めながら大きな橋を渡るのだが、小さい島部分に作られたサービスエリア。閑麗海上国立公園。こまくまちゃんを撮っていたら、いつの間にかおじさんに見られていて、ツーショット撮ってくれた。

 

ドイツ土産!

夫と予定が合わず、ソーセージとビールはまだおあずけ。9月に快気祝いがてらパーッとやりたい。

 

おしまい

2月15日
朝食を食べてから、さっさか(気持ちだけ。実際はお腹が痛くてスローに)退院の準備をし、
抜糸をしてもらいました。いったいどんな処置なんだろう、痛いのかな・・・と

少し及び腰でしたが、始まってしまえば一瞬。

ピンッピンッピンッピンッピン!とリズミカルに終わって、拍子抜けしました。


薬の飲み方、傷の手当(テープははがれるまでそのまま。はがれたらそれで終わり)、

生活の仕方(シャワーは1週間後から、湯船に入るのは1か月後から)などを聞き、
夫には清算と書類申請&受け取りに走り回ってもらい、
10時半ごろ無事、退院しました。

 

そのまま母の泊まっていたホテルに行き、12時のチェックアウトまで寝かせてもらうことに。

なんだかほっとして、広いベッドでいびきをかいて寝てしまいました。

 

そして、3人で腹ごしらえ。

近所のごく普通に見えるカルグクス屋さん。
きしめんみたいな麺でさっぱりした味。
2週間ぶりの外の食事はおいしかったです。


そして、ケンニプ(えごまの葉)のジョン(ピカタみたいなもの)を頼んだら

「品切れ」と言われ、じゃあいいですとグクスだけ食べていたら、

しばらくして「白菜ならあるけど、かわりに白菜ジョン作ってあげようか?」と

メニューにないおかずを提案してくれました。

これがすっごく美味しかったのです。白菜が甘くて。

夢中でペロリと食べてしまったので、写真はありません。

母も美味しい美味しい言っていたので嬉しかったですし、

食堂のおばちゃんの親切がしみました。

 

↓カルグクス

前回の記事と、時間的に前後します。
(しばらくしたら、入れ替えるつもりです)。

 

とにかく、夫とずっと同じ部屋で息が詰まりそうだったので、

お昼を食べて、昼寝を少ししたあと、院内探検をしに行きました。

歩いたほうがいいというし。腰に手をあてて、よろよろしながらでしたが・・・

 

一か所目は、図書室。

常連さんがいるような雰囲気で少し入りづらかったので、

外からちらっと見るだけにしました。

(どのみち次の日退院でしたし。)

 

二か所目は、祈りの場。

キリスト教系の病院だったので、こんな感じでした。

ここがとても静かでよかったです。

私が行ったときも、付添人に連れられたおばあさんが

熱心に祈っていました。

私は、とくにクリスチャンではないんですが

神様仏様どなた様でも、という気持ちだったので

部屋の前にある、自由記入のノートに記帳してみました。

 「はゆんちゃんが、お空で楽しく暮らせるように見守ってください」と書いておきました。

本来そういう信仰ではないよな・・・と思いつつ、「まあいいや、わかっていただけるだろう」と。

しばらくこの祭壇の前に座っていると、神様やはゆんと対話をしたような気持ちになり、

落ち着いて出てこられました。

 

三か所目は、カフェ、A TWOSOME PLACE。

病院に来た母と夫と合流し(病室は付添一人までで三人一緒になれないので)

ひさしぶりにアフォガードなど食べました。

意外と、三人でいると暗~くならずにすみ、

母の年の功(?)を感じさせられました。