24-7-30(火)

 オリンピックが始まった。私はリアルタイムではほとんど見ていない。日本とフランスでは時差があるので、パリで競技が行われるのは日本では真夜中、良い子は寝ている時間である。(私は良い子なので、勿論寝ている。もっとも熱帯夜が続いて寝苦しいには寝苦しいのであるが)。それでも2日ほど前に行われた柔道女子52キロ級の阿部詩選手の試合後の振る舞いが賛否両論を呼んでいるのは知っている。昨日は暑い一日であったのでTverと言うシステムを使って、この試合の全貌を10回くらいは見て、いろいろ考えさせられることがあった。

 阿部詩選手と言う人は良くは知らないが、3年前の東京オリンピックで兄妹2人で金メダルを取った妹の方だろう、何となくは覚えている。今回も兄妹で金メダルを取るということが期待されていたようで、最初の試合は見なかったが順調勝って、2回戦に進出した。2回戦目の相手は世界ランキング1位のウズベキスタンの選手、相当の強豪である。そしてお互いに責め合う見ごたえのある試合であった。阿部詩選手が内股(?)で“技あり”を先取、(日本選手だからひいき目に見ているのかもしれないが)総合的に見て阿部選手の方が優勢に試合を運んでいたように私には見えた。そして残り1分を切ったところで、相手の選手と技のかけあいになって、一本を取られてまさかの負けを期してしまう。「信じられない」と言う表情の阿部選手、しばらくは立ち上がれず、うずくまっていたが、最期には握手をして、礼をして試合は終わった。ここまでは良かった。

 ところが日本選手の控え場(何と言うのか良くは知らないが、とにかくコーチのいるところ)に来た時、思わず号泣(?)してしまう。それも号泣と言うよりは、獣のように大声で泣き喚いてそれが試合の会場(かなり広い)全体に響き渡ってしまう。コーチが一生懸命背中をさすって慰めるのであるが、何度も大声で泣きわめくので、試合の進行の邪魔にすらなった。「私が精神科の病院にいた頃良くこういうことがあったな」と思い出して、いくばくか懐かしい気持ちにすらなった。

 女性は一般的に理性(と言うか、この場合柔道のルールや礼節)より自分の感情を優先させる傾向がある。そしてそれは現在でもある程度社会から許容されている。(阿部詩選手が女性だったから賛否両論が沸き起こるのであって、これが男性の柔道選手だったらバッシングの嵐であったろう)。そして私もまた、それを許容している。一人で悲しみに耐えている時には涙を必死でこらえていたが、自分を受け容れてくれる男性(この場合、コーチ)に出会うとたちまち感情発散、感情浄化を始める。それが泣くことなのか、競技場全体に響き渡るように喚き散らすことなのかは時と場合によるが、とにかく“自分を受け容れてくれる男性”の前でしかこれをしない。

 カウンセリングの始まりなどと言うものは、まあそんなものであって、病院でも相談室でも、私に出会った瞬間狂ったように泣き始めるなどと言うのは良くあることである。それまでの理性のタガが吹っ飛ぶらしい。せっかくだから書いておくが、そういう時はしっかりと抱きしめて泣かせてやればそれでいい。それだけで一定程度の治療になる。もう一度書くが、それは現代社会においてもまだ“女性の特権”として許容されている。(フランスにおいても同様であって、会場は最期は「ウタ、ウタ、ウタ」とウタ・コールが沸き起こって阿部詩選手の健闘を称えていた。フランスも案外甘えに対して許容的な文化のようである。)

 阿部詩選手は「容姿が可愛い」と言うので(フランスでも?)人気があるらしい。そういう目で見たことはなかった(そもそも私は柔道などあまり見ないし、良く解ってはいない)が、確かに川口春奈と少し似ているかもしれない。(したがって、私の好みの容姿ではない)。しかし一般的には可愛いのだろう、その可愛い女の子がプレッシャーにも負けず、3年間努力を重ねて、オリンピックの晴れ舞台で世界ランキング1位の選手に負けてしまったというのは筋書きとしては面白いのかもしれない。これも男性だと絶対に許されない行為の正当化にはなるかもしれない。

 しかし私は敢て言おう、やはりあの行為は柔道家として許されるものではなかった。ウズベキスタンの選手(名前は失念した)はその後勝ち上がって、結局金メダルを取った。オリンピックが終わって、少し皆が冷静になったころ、阿部詩選手は日本の柔道を総括する組織を通じででも謝罪をすべきであると思う。勿論そのころには阿部詩選手の醜態など皆忘れているだろうから、そのことには触れなくてもいい。今回は日本選手団は調子が良いらしく、メダル・ラッシュに沸いているが、ウズベキスタンがスポーツ大国であるという話しは聞かないので、ひょっとして金メダルは一つかもしれない。この女子選手はたちまち“民族の英雄”となるであろう。そこに「金メダルおめでとうございます!パリでは負けてしまったけれど、貴女は本当に強かった。でも4年後のオリンピックでは決勝戦で必ず雪辱するから、その時にまた良い試合が出来るのを楽しみにしています。」と言うようなコメントを出せば、阿部詩選手のスポーツマンシップはウズベキスタンでも賞賛され、それがウズベキスタンの女子柔道の発展にどれほど貢献するか考えて欲しい。

 話しを変えるが、柔道に限らず麻雀でも将棋でも、負けないということはあり得ない。問題は負けた後、どう後始末をつけるかである。そしてそれは、米長邦雄永世棋聖のおっしゃるように「笑い」と「謙虚さ」があるものでなくてはならない。

 最期は私が知っている最高の勝負師の至言を阿部詩さんに贈ろう。

 

「私は40数年間の雀歴でひとつのことを知り得た。それは負ける時はツキがなかったからではなく、打ち方がどこか間違っていたという一事である」(『五味マージャン教室』より)