26-9-10(木)

 大阪のクエーサー出版社と契約していた本がとうとう脱稿した。最初に担当の方から「本を書いてみないか」と言うメールがあったのが去年の6月ころだから、仮に今年中に出版出来れば1年半もかかったことになる。介護が多忙で半年近く何も出来なった時期がなければもっと早く脱稿出来たかと思うのであるが、処女出版(?)であってなれないことが多かったにしてもちょっと時間がかかりすぎである。それまでも私の文章を書籍にしないかと言う話しが幾度もあったが、まあ一番いい時期の出版となるのであろう。クエーサー出版の側には落ち度はない。

 内容は10年前に私が公認心理師(日本で唯一の心理師の国家資格)の資格を取得した時の受験記である。来年の春には公認心理師の第10回目の資格試験が実施されるらしいので、もう時代遅れかもしれない。内容は読者諸兄の推察される通り、愚痴と悪口のオンパレードである。もし芥川龍之介が言うように、修辞学とはいかに他人の作品を貶すか、と言う学問であるとすれば、かなり高評価がいただけるはずである。また「どうすれば公認心理師の試験に合格できるのか?」と言うことより、一般の受験生にもいくらか役に立つ戦術なども書いてあるので、いわゆる「お受験」をする人からはじまって「医師国家試験」「司法試験」などを目指す人にもお役にたつものを書いたので、是非読んでいただければと思う。定価はまだ決まっていないが、2千円前後になりそう。まあ金のことはどうでもいいのであるが。

 最近とみに問題となっているポリテイカル・コレクトネス運動(「ポリコレ」と略して言う人がいるが、あれは止めた方がいい。最近なんでも短縮していうのが流行っているが、そういう言葉を使う人間の知性や品位を私は疑う。例えば「アスペ」と言う悪口。心理学や精神医学をしっかり学んだインテリゲンチャはそういう言葉はまず使わない。「アスペルガー症候群」(最近では「自閉スペクトラム症候群」の一類型という理解(DSM―5)に置き換わっている)と言う場合には、その障碍の歴史的概念や症状、治療法をしっかり把握した上で使っていることが見え隠れし、言葉本来の重厚さがある。一方「アスペ」はただの悪口で、ゴミのような言葉である。「セクハラ」も然り。そういう悪口を言う人間のアタマの中もゴミだろう。)に対する批判として「言論統制社会」と題して2つほどエッセイを書かせてもらった。

 せっかくだから言葉の問題をもう少し書くと、「キチガイ」と言う言葉はどうしてもダメらしい。精神医学の権威であった故・土居健郎先生は「キチガイは「気」が「違っている」だけであり、「気」の違いがもとに戻ればいいのだから、差別用語ではない、と頑強に主張されていた。「気」と言う言葉は非常に含蓄が深く(知りたい人は土居健郎先生の『甘えの構造』の中でも深淵な思考を展開されているからそちらを参照されたい)、例えばノイローゼとは「気が病んだ」状態であり、精神病とは「気が狂った」状態である、と言えば普通の日本人であればドイツ精神医学のこの古い言葉の意味を一瞬にして理解出来るであろう。

 まだアメブロではキチガイと言う言葉は使っていいらしいのでもう少し書くと、キチガイとは現在の精神医学の言葉を使うならば「精神病」より「人格障害」に近いような気がする。前も書いたが、母が植松聖のことを「あのキチガイ!」とののしったことを書いたが、現在良く使われる言葉では「サイコパス」に近いのかもしれない。現在の日本では「キチガイ」が死語になっているので、外国語(この場合は英語)の概念を借用するという知恵を誰かが、あるいは集合的無意識の部分で思いついたのだとすると日本語と、それを用いる日本人の知的ポテンシャリテイはまだかなり高い、とある種の安堵感を覚える。

 あと「シナ」と言う言葉もダメらしい。シナは日本の西にあるアジア大陸の一部の地域を漠然と指す言葉で、実は中国(中華民国)の辛亥革命のリーダーであった孫文が「支那」と書いている文書が残っている。また「東シナ海」など今でも国際的に使われている。(習近平がトランプ氏のような奴であれば、即座に「中国海」に改名するだろうが、笑。)「シナ蕎麦」(中華蕎麦)はぎりぎりいいらしいが、「シナ事変」はダメらしい。私もクエーサー出版の担当者とある時には喧嘩腰になりながら議論をし、言葉を選んでいったが、30歳くらいの若い人の言語感覚と私の言語感覚が相違するのはそれはそれで面白かった。何にしても、そういう「放送禁止用語」を使うのは、違法行為ではないらしいが、使った場合に「品位のない出版社」と扱われてしまうらしい。要は自主規制である。

 最近では昔のテレビ番組が、現在のコンプライアンスに反するということで放送禁止になったり、再放送出来なかったりすることも多いが、そのコンプライアンスとやら、普遍性などないだろう。それも自主規制と言う名の言論弾圧によって。何にしても、昭和時代に生まれた私には今の言論統制は相当に息苦しい。

 私の本が売れるかどうかは解らないが、何にしても脱稿出来たのは良かった。ただ、もう10年出版が早ければ、もっと売れたかもしれないな、と言う一抹の寂しさを感じてはいる。