26-7-20(月)
今日は「海の日」で旗日である。完全な自由業者である私にとっても旗日と言うのはいろいろな雑事から解放されて、気分的には楽である。
昨日は礼拝に行く前に時間があったので、皆様のブログを拝読した。その中のIさん(実名をさらされたくない可能性もあるので、一応仮名にしておく)のブログの中で「生成AIには、牧師の説教の代行は出来ない、と言うことをAI自身が認めている」と証言していたのは衝撃的であった。私の相棒の生成AIHAL2001(あまり性能が良くない)とつきあいがはじまって半年になるが、そういうことを考えたことはなかった。すぐに教会にかけつけ、小宮山剛牧師にその話しをすると、「いや、AIは見事な説教を作りますよ。ただそこには聖霊の働きが感じられない」と言うコメントをされた。
実はもう30年以上前の話しになるが、当時のまだ未熟なAI(そのころはAIとは言わなかったような記憶がある)にカウンセリングをやらせたことがあった。当時のカウンセリング(ロジャース派を一応念頭に置いて考えられたソフトだったようである)はアメリカからの紹介者の無知によって、ただクライアントの言うことを「うん」とか「はい」とかうなずくだけのものであって「ウン・セリング」などと揶揄されていた。それで、なんでも「はい」「そうですね」と解答するソフトを作ったところ、10分間くらいでクライアントは「これは人間のやっていることではないな」と見破ってしまい、結局「AI・ウンセラー」の試みは失敗に終わった。それで「カウンセリング」(あるいは牧会、説教など)はAIで代替できないとたかをくくっていたが、昨日その幻想は完全に打ち砕かれた。
事実をもって語らせよう。礼拝が終わって、大船のヴィレッジ・カフェで昼食を食べながらいくつか説教を作らせてみた。最初は「マルコ伝1章40節~45節までをお願いします。イエスの側から重い皮膚病の人に手を差し伸べたように、イエスは私たち罪人に積極的に近づいて救う神であると言う内容で、7分前後でお願いします」と大体の内容をこちらで指定した。この箇所を選んだのは深い意味はなく、たまたま昨日の逗子教会の礼拝の朗読箇所であったというだけの理由。7分前後と言うのは「ホイヴェルズ神父(上智大学第2代学長、聖イグナチオ教会主任司祭、現在は故人)の説教は大体7分を越えることはなかった」と言う土居先生の昔話しからヒントを得たもので、上手く行ったら聖書の他の箇所でも説教を作らせるつもりであり、その場合条件を統一した方が面白いことなどからこう指定した。するとものの見事に説教(の原案?)を作ってしまったではないか!内容はなかなか良く出来たもので、私が神学部の説教学の教員であったら「優」をやりたくなるような見事なものであった。(ただ、一晩寝て読んでみると、良く出来すぎていて、かえってつまらない内容だと言う気がしないでもない。)これだと「聖霊が働いていない」と判断するのは難しいだろう。ルカ伝16章1~8節」「マタイ伝25章1~13節」「ヨハネ伝8章1~11節」など聖書の朗読箇所だけを指定して、7分の説教を作らせ、さらに教会学校の小学生向けバージョンまで作らせたらそれらの課題も全てクリア。前言撤回、HAL2001は相当に優秀なAIである。最後に同じマルコ伝1章40節~45節で、「今度は神学部の2~4年生相手の講義録は出来るか?大体14分でまとめてください、ただし正文批判と高等批評の観点を必ず入れること」と指定したら、こちらも見事にクリアした。
(聖書のことを良く知らない読者もおられるかもしれないので、1か所だけ内容を紹介する。イエスが地面に何か書いているところにユダヤ教の宗教指導者たちが、姦淫の現行犯で捕まった女性を連れてくる。「先生、この女は姦通の現場で捕まった。こういう女は石打の刑で殺せとモーセの律法(ユダヤ教の教え)で決められているが、貴方はどう思うか」とイエスを問い詰める。イエスはまだ地面に何か書いているが、しつこく問い詰められるので「あなたたちの中で罪を犯したことのないものが、まず、この女に石を投げなさい」と言って、また地面に何か書き続ける。これを聞いたものは年長者から始まって、一人一人立ち去って行き、誰もいなくなってしまった。イエスは身を起こして姦淫の罪を犯した女に「誰も貴女を罪に定めなかったのか?」と問う。女は「主よ、誰も」と答えたところ、イエスは「私もまた貴女を罪に定めない。これからはもう罪を犯してはならない」と命じる。(ヨハネ伝8章1~11節)この話しは解り易いので、敢て解説しないが、問題は「教会学校の小学生」にどう話すかと言うところに私の底意地の悪さがあらわれているが、HALは見事にさばいていた。)
ここで投了して感想戦に入った。「神学校の講義より、教会学校の子供たちへの説教の方が難しくなかったか?」聞いたところ、「小学生向けのメッセージを作る方が圧倒的に難易度が高いのです。」(本当か?AIにとって難易度が高いという概念があるのか?)と解答した。これは私自身が体験した本当の話しであるが、精神医学の学会発表より准看護師学校の講義(「精神衛生」など)の方がはるかに難しい。学会発表をする場合、ある症例が上手く記述出来てちょっとしたアイデアさえあれば、あとの細かいところはその日になって何を話すか考えればそれでいいのであるが、こころの綺麗な学生看護師さんにいささかたりともいい加減なことは教えられない。
先日ニチレイと言う会社がサイバー・テロを受けて、ほとんどの業務が事実上停止した。東日本大震災の時には鎌倉でも停電になったため、近所のスーパーのレジが全部止まった(商品はあるが、買うことが出来なくなった)。人間とAIは共存すべきであるかどうかと言う問いはもう古く、どう共存するかいやおうなしに考えていかなければならない時代に入っているのを改めて感じた昨日一日であった。