24-6-20(木)

 6月に入っても続いていた、この気持ちの良い晴れの日々は今日で終わり、明日からいよいよ梅雨に入るらしい。(毎日、ニュースを聞かない日はあるが、天気予報だけはこまめにチェックしている。もう猛暑日となっている地域もあるようだが、この時期、都心で多少暑くても横浜は東京より1度、鎌倉はさらにもう2~3度くらい気温が低く、今のところ真夏日にも熱帯夜にもなっていない。)毎晩実家の片づけと売却の夢ばかり見ている。実家の処分は相当私には負担になっている。一刻も早く実家に行って片づけを少しでも済ませたいのであるが、明日は老人ホームで母のケース会議があるなど介護関係の仕事が目白押しで、実家に行って片づけをするのは早くても7月以後になるだろう。ちょうど梅雨の真っただ中になるがやむを得ない。そして、北鎌倉心理相談室と、母のいる老人ホームの介護・お世話と、実家の片づけで飛び回る生活のため、疲れがピークに達しているようで、食欲も落ちてきている。そういうわけで、何か心の琴線に触れるような本でも読もうと図書館に行ったところ、『久米正雄作品集』(岩波文庫、2019)と言うのが見つかったので、早速借りてきた。

 今ではあまり読まれることが少なくなったが、久米正雄は芥川龍之介、菊池寛と並んで大正・昭和初期の文壇の中心にいた人物である。芥川とは親友で、第一高等学校、東京帝国大学英文科の同期である。芥川は、「自分は最初は歴史学者になりたかったが、久米正雄に引きずられて小説家になった」と言う趣旨のことを書いていたが、恐らく本当であろう。久米と芥川はライバル同士で、この度久米正雄の文体を仔細に検討したが、確かに後期芥川の作品と文体が似ている。お互いに影響を与えあった結果、こういうことになったのだろう。(ちなみに私は後期芥川の作品は、日本近代文学史上、最高の芸術と評価している)。芥川龍之介を“守護聖者”としている私にとって、久米正雄は無視出来ない作家である。久米の『学生時代』(新潮文庫)は彼の一高・東大時代の体験を元にしたいくつかの小説を集めたものであるが、青春の息吹が至るところに感じられ、さらにいうならば芥川よりずっと明るい。一つには、彼(久米)が芥川のような“青白きインテリ”ではなく野球、社交ダンス、競漕、ゴルフ、テニス、ピンポンなどスポーツにも一通りの腕前を示したことも一因かと思われる。そしてもう一つ、久米正雄がのめり込み、芥川があまり関心を示さなかったものがある。麻雀である。

 久米正雄も私同様“賭ケグルイ”であったらしく、1926年(大正15年・昭和元年)に『麻雀の話』と言うエッセイまで書いている。短いものなので、当時の麻雀文化がどのようなものであったか興味のある方は一読されたい。これによると、久米が麻雀を覚えたのは、(このエッセイを書いた時点から見て)1年前のことである。それ以後、時間が空くとひたすら麻雀をやっていて、「ようやく普通に他人の手が朧に読め、わずかでも警戒する気になるだけの余裕が生じてきた」と書いているように、上達は相当に早い。雀歴1年と言ってもただ漫然と打つではなく、久米の場合は相当にのめり込んでいることが見て取れる。「この頃では、上海帰りのエキスパート連と卓子を囲んでも、勝敗は別として、そうひどくひけを取りはしない」と豪語している。この時期は麻雀のメッカは上海であり、そこから日本(やアメリカ)に麻雀の環が広がっていったようである。さらに上海の麻雀は北京の麻雀とは若干ルールが違っていて、不便であったようである。そこで「いずれ僕らが中心となり、全日本の麻雀規約を制定して、中外に公示するから、同好の諸君はそれに拠られたい」とも書いている。(これはその後、菊池寛が総裁となって「日本麻雀連盟」(現在でも実在する。ただしアル・シー・アル麻雀である。)が結成されたことにより現実となった。)この時期には「日本の花札と麻雀はどちらが面白いか」(久米正雄は花札賭博で警察のお世話になったことがあった。ただし掛け金がそう大きくはなかったので、無罪放免となったようであるが。)と言う議論があったが、これはもう書くまでもなく麻雀が面白いだろう。

 ちょっと時代が飛んでしまうが、昭和の終わり頃、『プロ麻雀』(評論社)と言う活字主体の麻雀雑誌があった。ここが1970年代後半に「雀聖戦」というタイトル戦を主宰した。読者のファン投票で出場者が決まるとのことで、圧倒的に人気のある“雀豪作家”と言われる人たちが出場した。五味康佑先生、阿佐田哲也(色川武大)先生は勿論、花登こばこ(竹冠に匡、第8期、9期名人)、清水一行、畑正憲らが選出されて、プロ・高段者と言われる人たちとの熱戦を息詰まるような気持ちで観戦した。(ちなみに優勝者は川田隆8段(日本麻雀道連盟)であった。あの頃の川田さんは本当に強かった)。このように“文学”と“麻雀”は切っても切れない関係にある。

 何故大勢の文士の方々が麻雀に熱中するのか?それは恐らく麻雀と言うゲームの中には人生の全てが凝縮されていて、卑しくも人間心理を描かくことを職業としている作家の方が、人間の人生の縮図をそこに見るからであろう。これは誇張でも何でもなく、こうとでも考えない限り、文士の麻雀愛好は説明できない。

 人間の人生と言うのは努力すれば報われるというほど単純なものではない。いくばくかの“ツキ”が人生を支配しているのを多くの作家の方は知っている。最期は久米正雄の言葉で締めくくることにしよう。

 

(麻雀において)偶然(ツキ)の混入の具合が、極めて天然自然なので、勝敗はいずれとも分からないところに、云いしれぬ妙味がある。しかもその偶然を、うまく自然に支配し切って、緩急自在に勝ちを進めて、感じの複雑さは日本の花(札)如き比ではない。

(久米正雄著『麻雀の話』。久米の文章からの引用は上記の岩波文庫によった。)