24-6-10(月)

 都知事選挙が6月20日に公示され、7月7日に投票が行われるそうである。私は東京都民であった頃から、都知事選を結構楽しみにしていた。特に政治的意識が高いというわけではなく、日頃自分の考えを聞いて欲しくてウズウズしている方々の演説、(それも決して当選することはない変わった候補者のお考え)を楽しみにしていたのである。その極北はやはり大日本愛国党総裁、赤尾敏先生であろう。彼は戦前は国会議員であって、アメリカとの戦争には反対していたなど骨のある方である。(ただしソ連との戦争を熱心に主張していたらしい。)こう書いてはいるが、私は赤尾敏先生のことは尊敬していた。決して当選することのない選挙に出馬し続ける執念、毎日上智大学への通学途中、渋谷か銀座に行くと必ず聞くことが出来る彼の”憂国の情“にあふれる演説は私のこころを打つものがあったことは否定出来ない。(赤尾敏先生のおっしゃることは、当時は極右の荒唐無稽な妄想だと思っていたが、現在考えるとさほど間違ったことはおっしゃっていない。ちなみに現在法政大学で教鞭をとっている越智啓太君なども都知事選を結構楽しんでいたなど、あれは一種の国民的エンターテイメントの要素があった。)

 さて、今回の都知事選挙に立憲民主党の蓮舫が出馬する予定であるらしい。(赤尾敏先生ならば「皇都を赤都とするな!都庁に赤旗を立てさせるな!」とおっしゃるだろうが、もうお亡くなりになったので、私が代わりに言っておく。あんなのを都知事にしたら大変なことになる。これを読んでいる皆さまは蓮舫と小池百合子にだけは絶対に入れないで欲しい。まだ選挙期間に入っていないので、法律違反にならない今のうちに言っておこう。

 私が最初に蓮舫を知ったのは、民主党が政権を取り、事業仕分けとやらをやった時である。「こいつらは日本の国家の根幹を破壊しようとしているな」と言うことは政治のことを良く知らない私でもすぐに解った。ここでの「スーパー・コンピュータは1位でなければ駄目なのですか?2位では駄目なのですか?」と言う迷言(?)は多くの国民の嘲笑の対象となった。(そしてこの後、スーパー・コンピューターで栄えある“世界一”になったのは中華人民共和国(共産シナ)であることが国会で明らかとなった。)それと2重国籍問題疑惑でも叩かれ、現在は台湾の国籍を放棄したらしい。しかし、この人が忠誠を誓っているのは日本でないことは勿論台湾でもない。(立憲民主党の議員はたいていはそうであるように)共産シナの国益で動いていることは、政治音痴の私でもすぐに解る。

 15年前、白い服を着て、さっそうと官僚を叩いて事業仕分けをする蓮舫は結構人気があった。しかし今回は完全に勇み足であろう。あの頃に比べて容色も衰えている(こう書けばp.c.派に叩かれるだろうが、もともとグラビアアイドルで売っていた蓮舫は散々“女のメスの部分”を利用してきたので、そいつをルッキズムで叩いて何が悪い)し、演説もただヒステリックな自己正統化と現在の都政の批判(小池都政をリセットするそうである)ばかりでつまらない。少しは赤尾敏先生でも見習った方がいいだろう。

 この「白い服」(白く塗られた墓、マタイ伝23章参照)と言うのは蓮舫のトレード・マークであって、彼女の政治と人格の全てを語り尽くしている。「自分はつねに正しい(白い)。世の中に悪や不幸(黒)があるとすれば、それは金権腐敗の自民党(あるいは小池都政)があるからである。したがって”清く、正しく、愛深い“自分が都知事になれば、全てはクリーンで真っ白になる。」これはまごうことなく”女子高校生の論理“である。

 女子高校生と言うのはあれはあれで結構面白い存在である。彼女らは「自分たちだけはinnocent(無罪で清らかな)存在である」と信じこんでいる。そして「世の中に“JKビジネス”のような汚れたものがあるのは、(多くの場合金を持った中年の)男性が汚い性欲を持っているからである」と言う命題をユークリッド幾何学の言う公理のように信じてこんでいる。実際には自分の身体を売る女子高校生がいるからJKビジネスが成立するのであるが、この点には目をつぶる。このあたりも蓮舫の思考法と良く似ている。

私の臨床家としての経験からすると、高校生と言うのは発達心理学的に見て女性の性的観念が最も肥大化する時期のようである。(ただし”性欲“そのものはさほど強くはない。この時期に性関係をもってしまう女性はよほど性欲が強いか、性欲を抑える力があきれるほど弱いかどちらかである。)要は自分の身体が”仔を産む“身体に変化していくことに精神がついてゆかず、性行動に抑制的になる(昇華)分”性そのもの“に対する興味は観念的に肥大化する。あくまでもそれは”観念的“なものなので、その分おぞましい妄想となりがちである。女性が実際に(生物学的に)性欲が強くなるのは、女性ホルモンが減少する(その分、相対的に男性ホルモンが強くなる)更年期直前あたりである。女子高校生に話しを戻すが、この時期の女性ホルモン(特にエストロゲン)の分泌が活発になるのは身体的な現象なので抑えることは出来ない。そこで、「自分は性的に清らかで、悪いのは世の中の男たちのセクハラだ」と言う防衛機制を働かせることになる。しかし、これは一時的なもので、その後社会に出たり、大学に入ったりすると、自分もまた”いやらしい“(?)性欲を共有しているという事実を序々に受け容れるようになるなど大人の女性に成長する。そして世代交代が行われていくのである。

都知事選挙の話しであるが、蓮舫はまだこの「女子高校生的思考」から抜け出しておらず、その独善性を保持している。こういう人は面白いし、また一定程度社会に必要であることも私は認めよう。しかし、“清濁併せ呑む”ことが必要とされる政治の世界ではやってゆけないだろう。都知事選の有権者に女子高校生は少ないだろうし、また“女子高校生的思考”を持った未熟な女性もそう多くはないだろう。したがって、蓮舫は絶対に都知事にはなれない。最近蓮舫は人気がないので、立憲民主党も邪魔になってきたので都知事選で話題作りをさせるのをはなむけに「落選→引退」と言うことを画策しているのかもしれない。これが男の政治の“非情な”論理である。

何にしても、7月7日の日曜日は私はネットから目を離せないだろう。焦点となるのは「蓮舫は負けるかどうか」ではなく、「何時頃負けが決定するか」である。