24-6-8(土)

 昨日はまだ梅雨に入っていない鎌倉の降水確率は0%に近く、晴れ時々曇りの予報で、さらに曇りの時間が比較的長く、日差しがさほど強くはない。絶好のお墓参り日和となった。鎌倉霊園まで私の家からだと1時間弱でアクセス出来る。10時半頃には霊園に着いた。ここは山の上の公園墓地で、先日知ったのであるが川端康成の墓もこの広大な霊園のどこかにある。墓は思った通り相当に荒れていて、1時間ほど雑草と格闘したが、たいして綺麗にもならなかった。もっとも今後ここにお墓参りに来るのは私だけであろうから、墓石の左右にある植物を片付けてしまってもいいと思っている。

 私には子供がいない。小さい頃から自分の子供を持つ(というか誰かの父親になる)のが嫌で嫌でたまらなかった。父親を嫌う息子は多いが、ここまで嫌われるほど厳しい教育はやはりすべきではなかった。大堀家3代(祖父、父、私)は断絶することになり、弟に息子(私の甥)がいるにはいるが、墓じまいを考えているらしい。もっとも大堀家など別に名門でもないし、大した家系でもないが、「家名の名誉」という観念は我々3代は持っていたようである。要は侍の家系なのである。

 「結婚は家と家との結びつき」と言う観念が若い頃は嫌いであった。私も人並みに結婚式は妻(カトリックの信者であった)の意向でクルトルハイム聖堂(上智大学の中にある小さなお御堂)、披露宴は父の意向でホテル・ニュー・オータニで行い、面倒な手続きは全て私がやった。あれがまあ「結婚式」「披露宴」と言うものだったのだろう。しかし、どうしても「大堀家と××家(迷惑かかかる人もいるかもしれないので、名前は伏せる)」のご婚礼と言う観念が気に食わず、オータニの担当者に「カトリックの秘跡がどうこう」と言う議論をふっかけたが相手にされなかった。今から考えると相手にされないのは当然であり、「家と家の結びつきとしての披露宴」と言うのは恐らく日本の深い伝統の中で育まれたものであり、「カトリックのサクラメント」などと言う付け焼刃の外来思想では太刀打ち出来ない”伝統の重み”があるのである。一時カトリックにかぶれたが、信者にならなくて本当に良かったと今でも思う。

 さて相変わらず前書きが長いが、墓参りの後、鎌倉の街に出て、整体師の治療を受けた。その方(女性)は結構皇室マニアであるらしく、秋篠宮佳子様のお相手がどうこうと言う話しに1時間弱つきあわされた。お相手は島津家(薩摩藩の殿様の家系)の御曹司で、学習院大学を卒業した後、現在ではメガバンクに勤務しているそうである。その血筋がどうこうと説明された。私には良くは解らなかった。

 私が学習院大学の心理学科に在籍していた時に、確かに島津さんと言う女子学習院出身の後輩の女の子がいた。あの頃はパソコンは勿論、ワープロもあまり普及していなかったので、レジュメは手書きで書くのが一般的であった。島津さんはものすごく景気のいい、大きな字を書くので、ゼミの斎藤文嗣先生に「そう状態で書いたみたいですね」とからかわれた。彼女も皇太子(現在の天皇陛下)のお妃さま候補であって、あの頃その他何人か候補者が学習院大学に在籍していた。その島津さんのご親戚のようである。

 私も一応学習院大学卒(最終学歴は上智大学大学院修了)であるが、私のように大学から学習院に入学してきた者は「本当の学習院」としては扱われず、内部進学者との間には「目に見えない」壁があった。当時の皇太子様とは一年ダブっていて、秋篠宮様とも1年ダブっているが、私が皇室の方々と「ご学友」になれる可能性はなかったと整体師さんに言うと、彼女は酷く失望したようであった。

 それはともかく、この年になると、結婚とは「個人と個人の結びつき」ではなく「家と家の結びつき」であることが良く解る。私も少しは世間知を身につけたということであるが、そうなった時にはもう結婚の可能性はなくなっていた。(最も今の生活に満足しているので、あまり再婚したいとも思わないが。)話しを戻すが、島津家に佳子様が嫁ぐという場合に、一番大きな障壁になっているのは実は小室圭だそうである。島津家の親戚の方から「小室母子のような奴と姻戚関係になるのは・・・・」と言う反対の声が結構あがっていて、御曹司の方も「まあ仕方がないか」あまり乗り気ではないとのこと。(もっともどこまでが本当か確認の方法がないが。)

 今これを読んでいる方が適齢期か、適齢期でなくても結婚のことを考えているとしたら、相手の家柄はしっかりと見ておいた方がいいことを助言しよう。あまり文化的水準の違う家の方との結婚は避けた方がいい。昨日私は帰り際に「佳子様なんてあんな我がまま娘、私だって願い下げだ」と著しく冒涜的な言葉を吐いて整体師さんを驚かせたが、あまり“家の格”の高い人との結婚もそれはそれで避けた方がいい。もっとも佳子様は私とのお話しを上手く断って下さるに相違ないが、私にだって選ぶ権利はある。

 佳子様は国際基督教大学に入ってからおかしくなった。ICUというのはもともとその創設にGHQがかかわっていて、「日本の天皇制を弱体化、あるいは崩壊させ、日本を永久にアメリカの属国にする」と言うことを内密の目的として創設された(らしい)。ICUを卒業された頃の佳子様は獣のように攻撃的な性格に変貌していたが、最近は落ち着いていらっしゃるようである。もう三十路を迎えるのだから、ご結婚のことをお考えになっても当然だろう。

 姉の眞子さんが小室圭と結婚した時に、佳子様は一貫して眞子さんの行動を支持していた。しかし、今となってはそれが佳子様の縁談の最も大きな障壁となっているというのは、仏教で言う“因果応報”と言う言葉を想起させざるを得ない。やはり悪いことをするとそれなりの報いは受けなければならないよう、神様が取り計らっているようである。