24-5-15(水)

 さわやかな五月晴れの日々が続いているが、なんだか気分が重い。例の“鬱状態”がまたいつやってくるか解らないし(ノートを見ると、昨年のこの時期は抗鬱剤を結構使っていた。今年は冬の寒い時期に鬱状態が酷かったが、今年度に入ってからはさほどでもない。もっとも代わりに心臓のあたりが常時痛む。)「梅雨に入る前に実家の片づけを少しでも進めておかなければならない」というせきたてらたような気分が強迫観念のごとく消えることはない。さらに今年はイースターの日にぎっくり腰をやったためか、夕方になると足先の冷えが例年になく酷い。(整体師によると、無理な生活を続けていたため身体が歪んで、血流が悪くなり、足先まで血液が届かなくなっているのが原因とのことであるが、本当のところは良くは解らない。何にしても整体の施術を受けてから2,3日は良くなるが、すぐまた身体が冷えてくる。)

 そういうわけで、相変わらず夕方8時に寝て朝2時に起きるという生活で凌いでいる。昨晩の深夜は例の『からかい上手の高木さん』が放送されたのをTVerで視聴した。小豆島の景色が本当に美しいし、中学生同士の恋愛がほほえましいことは認めるが、だんだん飽きてきたので、そろそろ終わりにするのは正解かもしれない。中学生と言うのはやはり行動範囲も社会的視野も狭く、これ以上引っ張るのは難しかっただろう。昨日は、父親の都合で2年生の終業式を最後に島を離れ、パリに行かなければならなくなった高木さん(月島琉衣)と西片君(黒川想矢)の最後の日々を描いていた。

 来週で終わりと思っていくばくかほっとしていた(テレビを視聴したくない理由の一つに、一定の時間を拘束されるというものがある)ら、ここのところしきりに映画版『からかい上手の高木さん』(5月の下旬に封切られるらしい)の宣伝をしている。小豆島を離れて10年、故郷に帰省した高木さん(永野芽郁)と西片君(高橋文哉)のその後の関係を描くいたもので、どうも映画会社はこの映画を見させるためにわざわざこの深夜番組を制作したらしい。

 しかし、私はこの映画を見に行く気には全くなれない。中学・高校時代の恋愛と、(結婚を前提とした)大人の恋愛は別物である、というか少なからず性質が違うからである。私も人並みに日本の公立中学に通い、そこで人並みに異性に関心を持った。隣のクラスの、名前を出すと誰かに迷惑をかけるといけないので、仮に45番としておくが、高校受験の時に使っていた時計の“45”という文字にさえ時めいたものである。そういう体験は私にとって初めてであった。そして終業式の日、45番と私は涙を流して別れを悲しんだ。実は中学時代を通して、彼女とは一言も口を利かなかったが、こころは通じていたようである。こういう恋愛は成就しない方がいいだろう。

 私は上智大学大学院を修了した後、浦和少年鑑別所に勤務して、恐らく5百人以上の非行少年と出会ったが、女子少年(法務省矯正局の業界用語)にとって14歳~19歳前後(中学・高校時代とほぼ重なる)の性体験はほとんどが外傷的にしか働かないらしい。これは強姦云々と言う意味ではなく、今の日本でこの時期に性体験を持った多くの女の子は、その後の人生が歪んでくるのを私はいくらでも見た。ましてや妊娠中絶などしたら、精神的な苦痛は耐えがたいものになるだろう。

 一つだけ症例を挙げて終わりにするが、ある大手大企業に勤務する父親を持ったものの、父親が海外勤務で単身赴任であった時期の長かったある女の子のことを知っている(症例の性質を変えない程度に、いくらかの改変が加えられていることは言うまでもない)。兄弟たちと年が離れていたこともあって、家庭になじむことが出来ず、ある名門大学付属高校に入学するもの、何か精神的に満たされないものを感じていた。彼女は高校時代から過食・嘔吐を繰り返し、結局その高校の交友関係で知り合った大金持ちのボンボン(不良少年)と性関係を持ち、妊娠した。両家が何度か話し合った結果、彼女は大学に進学せず、そのボンボンと結婚して、1児の母となった。彼女の不始末は周囲の人が全部背負ったにもかかわらず、彼女はそれに対してさしたる感謝の念も持っていなかったが、「何とかこのまま上手く行くのではないか?」と私も期待した。ところがその「出来ちゃった結婚」で授かった子が大学を出るのと同時に、彼女は離婚した。離婚の原因は夫となったボンボンの不貞であった。彼女は現在精神病を発症しているらしく、私が精神科を受診するよういくら勧めても聞き入れようとしない。そして彼女の離婚の後始末をしたのも、周囲の大人たちであったが、それに対する感謝の念もない。

 勿論西片君と高木さんのように幼馴染が大人になって結婚するということがないとは言えないし、中学・高校時代の恋人が今の配偶者と言う人もいるだろう。ただ、学生(のような責任感のない姿勢)で性関係を持ち、そのままずるずると結婚しても上手くはいかないだろう。私が映画館に永野芽郁を見に行く気がしないのもまた、そのような理由からである。