24-5-6(月)

 連休中は泊まり込みで実家の整理に行かなければならなかったなど忙しく、連休らしいことをあまり出来なかった。しかし昨日は、教会で知り合った元・小学校の先生(実名を明かすわけには行かないが、かといって名前がないのも不便なので、便宜的にVさんとしておく)の家の「健康麻雀教室」にアシスタントとして招かれて、日曜日の礼拝後に楽しいひと時を持った。Mさんご夫妻とその娘さんがVさんの家に遊びにいらして、Vさん(夫)が講師、Vさんの妻と私がアシスタントと言う形で、半荘1回3時間くらいかけてのんびりと闘牌した。Mさん(夫)は一応ルールを知っているという程度、Mさん(妻)と娘さんは全くの初心者であったが、わずか半日で皆相当に上達したばかりではなく、夢中になって遊びに興じた。

 雀豪作家の五味康佑さん(芥川賞を持っている)が、その名著『五味マージャン教室』の中で以下のようにお書きになっている。

 

「賭けマージャンだけはなさらないでいただきたい。ぜったいに専門家にかかれば勝てるものではないのだから。そのへんの、マージャンの恐ろしさも、この本で知ってもらえれば幸いである。

 なんにせよ、マージャンは健全娯楽として、家族や気のあった仲間同士で楽しむべきものだ。」

 

 この『五味マージャン教室』というのは、それまで麻雀の“戦術論”などと言うものが全くなかった(麻雀は多くの場合、賭博の道具として使われていた)時代に書かれた史上最初の戦術論と言う凄い本なのである。そして私は公開しないが、この本で書かれている“戦術”なるものは今でも通用するものが多い。この本を手に入れるのは現在では相当に困難である。だから、この本を手に入れることが出来たというだけで、その人は相当にツイている=勝利の女神に好かれている=麻雀が強いということになる。

 麻雀は将棋や囲碁と違って、ツキと言うものが勝負を左右する。昨日の半荘でも最初は初心者の娘さんが大ツキしたが、(子供の日だったから?)、その後Mさんの奥さんが親マンを自摸和了したころからツキの流れが変わってきて、結局Mさんの奥さんが大勝した。これが令和の時代の新しい麻雀の楽しみ方だと思うと、昭和時代の汚い賭け麻雀を知っている私にとっては感無量なものがあった。

 私が麻雀を教わったのは父からである。父は大学時代は麻雀を知らなかったが、大学卒業後、ある都市銀行に就職した。昭和たけなわ、その頃は会社に入ったら、接待麻雀と接待ゴルフをするのが当たり前であった。父は最初は初心者だったから、当然負けただろう。そこで私たち兄弟(私、姉、弟)に麻雀を教えて、練習相手に使っていたらしい。だから私は小学生の時から麻雀はある程度出来た。

 その後、高校に入って、私の頭は完全にイカレてしまい、友人の家で麻雀にあけくれるようになった。薄汚い下手な麻雀であったが、自分では強いと己惚れていた。(麻雀とカウンセリングだけは、どんなに下手な人でも「自分は上手い」と己惚れていることが出来るらしい。麻雀は上述のように“ツキ”があるし、カウンセリングもいろいろな事情が好転し、自然にクライアントが良くなってしまうということが結構あるのだ。)

 そんなある日、私はこの『五味マージャン教室』に出会った。私はむさぼるようにこの本を読み、いかにそれまで自分が未熟で恥ずかしい麻雀を打っていたか思い知らされた。正直に書くと、私はこの本を読んだ後も賭け麻雀をやっていた。(賭けないでやることの方が多かったが)。しかし、私はその後、一銭も賭けていなくても、千点(リーチ棒)20円であろうと50円であろうと、100円であろうと、全く同じ麻雀を打つようになったなど、ある種の“品位”とでもいうべきものを身につけた。

 前も書いたが、私が学生時代の頃から麻雀には2つの決して交わることのない流れがあった。一つは麻雀を賭博の道具として使う流れで、小島武夫や、ヤクザ相手に賭け麻雀をやって20年間無敗であった桜井章一などがその代表選手である。一方、麻雀を純粋にゲームとして楽しもうという流れがあり、若い人を集めて「年間順位戦」を開催していた古川凱章や、東京大学を出て麻雀の世界に入った井出洋介氏などが代表選手である。もっとも五味康佑、阿佐田哲也(麻雀の神様と言われている直木賞作家)と言う文化人がいて初めて、競技麻雀、健康麻雀と言う麻雀をギャンブルから解放する流れが生まれ、最終的に現在の形に至っている。

 以上、昭和時代からの麻雀の在り方について書いてきたが、私は一時賭け麻雀に手を染めたものの、今では完全に健康麻雀派であり「賭ケグルイ」と言うタイトルに偽りありである。私は今年に入ってから身体の具合がひどく悪く、特に夕方から夜にかけて、足先から底冷えがやってきて、同時にクラクラと眩暈がして、仕事も休み休みでないと出来ない。また、脊椎間狭窄症とぎっくり腰のため、背中から足にかけて断続的に凄まじい痛みが走り、夕方の散歩と称するヲーキングを少し休んでいる。そんな中、Vさんの“健康麻雀教室”に誘われた。午後から開催するというので断ろうかとも思っていたが、今の私は少しでも人の役に立ちたいと思う。そしていざ麻雀を教えている最中には、身体が満身創痍なことも、実家の片づけや母の介護が激務になっていることも忘れていた。(その代わり、今日はほとんど朝から仮眠室で横になっていたが)。やはり麻雀(と株式投資)をやっている間は、私は忘我の状態になってそれに打ち込めるのである。これもある種の“賭ケグルイ”と言ってさしつかえないかと思って、こうして記録を書いている次第である。

 

(五味康佑先生の墓は鎌倉の建長寺にあるのは意外に知られていない。私の家から歩いて30分程度である。コロナ禍の前に一度墓参りに行ったことがあるが、今度墓参りに行く時にはBさんの健康麻雀教室での出来事も報告しよう。五味先生は令和の時代の新しい麻雀の在り方を喜んでくださるに相違ない)