22-4-25(木)

 前回の記事はそこそこ反響があったようである。また、学生看護師さんへの別れの花向け(私なりの、最後のプレゼント)として今でもテストに出しておいてよかったと思っている。

 看護婦さん(今の言葉で言うと女性看護師さん。一体だれが“看護師”などという性別不明の汚らしい言葉を作りだしたのか解らない。昔は女性看護師を看護婦さん、男性看護師さんを看護士と呼んでいて、何の不都合もなかった。ところが例のポリテイカル・コレクトネス運動が悪霊のように厚労省に忍びこんできて、せっかく長い歴史と伝統のある“看護婦”“看護士”という言葉改変し“看護師”なる言葉をごり押ししてきた。序に“精神分裂病”という言葉も“統合失調症に置き換えられた。私はこの文化破壊者、共産主義者に聞いてみたいのであるが、看護婦ならフランス語に訳せるが(infirmiereで多分いいだろう。通常は多分女性名詞であることを強調してla(定冠詞)かune(不定冠詞)をくっつけて使うのだろうが。このように文化を重んじる国では性別を大事にするものである。看護師とかいう言葉は美しいフランス語は断じて認めるべきではない。)看護師など翻訳不能であろう。それはともかく若い看護婦さんは案外出会いの場がないようである。それでいて、若い学生看護婦さんの頭の中は恋愛と結婚でいっぱいである。これは20年前に私が看護学校の教壇に立って以来、変化することはなかった。そしてそれは極めて健全な現象なのである。ポリテイカル・コレクトネス派の皆さんも、今からでも悔い改めて「神は御自分にかたどって人を創造された/神にかたどって創造された/男と女に創造された」(旧約聖書『創世記』)という単純明快なる事実を認めて欲しい。神が敢て人間を「男と女に」創造されたというのは素晴らしい知恵であり、年頃になると(年頃を過ぎても?、笑)自然そのものが異性を求めるように出来ているのは、人間に「愛」(恋愛、性愛)の尊さ、すばらしさを教えるための摂理なのである。

 相変わらず話しの脱線が多いが、若い看護婦さんは出会いの場がないので相当に苦労されている。そこで手近なところで、同僚の看護士さんや医師、薬剤師とカップルになることになる。ちなみに前に勤務していた病院の総婦長(最近総師長という性別不明の言葉に置き換えられた)も臨床心理士である私に、「綺麗なナースたくさんいるのだから、大堀先生も再婚されたらいいのに」としきりに薦めた。その総婦長は私と付き合っていた看護婦さんを解雇したので私は激怒し、妥協不能の喧嘩になったことをこの総婦長さんご存じないらしい。ただ、これだけ(男性医療スタッフとの結婚)だと、やはり相手として総数が少ない。そこで患者さんと結婚するというパターンが結構ある。

 精神科病院以外の看護婦―男性患者さんのカップルがそれほど上手くいくかどうか実は良くは知らない。ただ、さほど魅力のない平凡な若い女性も、白衣を着て、患者さんを看護しているのを見ると、やはり「白衣の天使」に見えて、男性患者の憧れの対象になり易い。美しき誤解・幻想であるが、たいていの恋愛は美しき誤解である。看護婦サイドにとってはこの武器を使わない手はない。私も実は過敏性大腸で自分の勤務していた病院に入院したことがある。精神科病院であったが、特別室のベットが空いていたので、入院させてもらった。その時に担当だった看護婦さん(実際には同僚でもあるのだが)が私の日頃仲良くしていた色黒の髪の長い綺麗な人だったので、彼女は私を看護をするふりをして、良く私の病室に遊びに来ていた。今でも何となく恩義を感じて賀状の交換も続けている。一応念のために書いておくが、彼女は今では結婚して、幸せに暮らしている。

 看護婦さんのことはともかく、私たち心理師の場合、患者さんとの恋愛は許されるであろうか?これは伝統的に許されていないのである。患者さん(一般的にはクライアントと言われる)は何か深い悩みがあったり、病気にかかっていたり、いずれにしても心に傷を負って我々のところにやってくる。カウンセリングが軌道に乗ってくると、患者さんは我々治療者に対して、何とも言えない感情を抱くようになる。これをフロイトは“転移”と名付けた。それは甘えとも依存心とも恋愛とも言えない、何とも言えない感情である。精神分析ではこの感情は幼い頃患者さんにとって大事だと思っていた人に向ける感情が治療者に対して向けられたと考える。そして、この転移を分析することこそ治療者の使命なのである。クライアントが治療者と個人的な関係を持つ(デイズニーランドに一緒に遊びに行く。お汁粉を食べるなど)ように誘われた場合でも、これに乗ってはならない。これをフロイトは「禁欲原則」となずけた。もちろん性関係をもったり、結婚するなど論外である。ただ、治療者も人間であるから、綺麗な患者さんに誘惑されたら、その誘いに乗りたくもなるだろう。こういう感情を「逆転移」と言い、これに乗ってしまうことは頑として禁じられている。(臨床心理士資格認定協会の倫理規定でも明白に禁じられている。)治療が上手く行かなくなるからである。

 患者さんが看護婦さんに向ける恋愛感情も転移かそれに近いものと言っていいであろう。逆に看護婦さんが患者さんに向ける感情はある種の逆転移と言っていいであろう。そして、看護婦さん、看護士さんが患者さんと恋愛関係に陥ったり、あるいは結婚したりすることに関して法的にも倫理的にも禁じる教えはない。つきあいたければ付き合えばいいし、結婚したければすればいい。

ただ、精神科においては、恐らく治療が上手くいかなくなるであろうことは想像に難くない。私はそんなことを考えて、前述の試験問題を出したのである。