24-4-15(月)

 上智大学の正門から四谷駅にかけての土手の散歩道を歩きながら、霜山徳爾先生が「この桜を来年も見ることが出来るだろうか?」とおっしゃったのを覚えている。あの時霜山先生は60代の後半であった。私もその年齢に近づいてきて、先生のお言葉の意味がいくらか解るようになった。

 昨日、逗子教会で礼拝が終わった後、大船駅に出て、鎌倉女子大に向かう川沿いの桜を見た。すでに葉桜となっている木もあって、「今年の桜ももう見納めだな」と思った。私は多分来年もまた同じように桜を見るだろう。しかし、母にとっては今年の桜が最後の花見になるかもしれない。

 一昨日、老人ホームに母を見舞った。母に面会に来るのは私だけであるらしい。実家がどうなっているのか心配していたので、もう相当に荷物を片付けた後となっている実家の写真を何枚か見せた。「この家は良い家なのにね」と母は少し寂しそうであった。固定資産税をこれ以上支払うのが難しいので、近いうちにこの家を売ることになると思うと私もまた寂しかった。

 父は転勤族であったので、マイホームを持つのは相当に遅れて、50を超えたあと、念願の持ち家を持った。あの頃は私も若くて、週末など時々泊まりに行って、サラリーを稼ぐ身分になっていたので、時々実家の皆をレストランに連れ出して夕飯をふるまった。あの頃は祖母(父の母)も一緒だった。私が母のことばかり書くので、私と母との絆が相当に深いかのように思われているらしいが、私はむしろ祖父母になついていた。母との関係は悪かった。その母の最期を看取るのが私になるとは実は思ってもみなかった。

 ゴールデン・ウイークには弟と義理の妹(弟のお嫁さん)が来て、車で父と母の古着を売りに行くのであるが、母は自分の死に装束(お棺に入る時に着る服)を指定し、その時には新しい下着を着せて欲しいと指示を出した。下着や寝間着、靴下などは売れないので、大量に実家に残っていたので、寝間着を2着ほど老人ホームに差し入れしたが、あまり関心を示さなかった。それより「これから葬式などあるのだから、お父さんの喪服を彰に上げる。それはとっておきなさい」と言われた。実家を売ることはもう規定路線で、それをこれから変更することは不可能であるが、母はもう一度実家を見たいと言っていた。運が良ければ(?)母の葬儀を実家でやることは可能であろう。しかし、大きく足腰を骨折し、車椅子生活者となっている母が、これから段差の多い実家に戻ることは不可能である。「ここ(老人ホーム)を出るには死ぬしかないんだね」とぽつりとつぶやいた。全般に会話の少ない面会であった。父と母の結婚式のアルバムなどを持っていったが、「ああ懐かしいね」と言ってはいたが、すぐに閉じてしまった。「あまり思い出にとらわれないで、捨てるものはどんどん捨てて、最後には業者に入ってもらって家を片付けなさい」とも言った。とかく思い出にとらわれやすい傾向があったので、それを戒めたのであろう(私は中学生の頃から、すでに小さい頃の思い出に品を捨てることに躊躇する傾向があった)。昼食時になったのでお暇した。最後に握手したが、母の手はなんだかひどくやつれていた。

 老人ホームの事務所に行って、先日の母の転倒事件に関する釈明を受けた。母が1階の自動販売機で飲み物を買おうとしたが、小銭入れからお金を落としてしまったので、それを拾おうと前のめりになった時に、車いすから転んで額に大きなケガをしてしまったということであった。ユニットから出る時に職員の方に「付き添いましょうか?」と言われたが「一人で行ってきます」と母自ら言ったなど、大きな事故になってしまったが、老人ホームの側にこれと言った瑕疵はないように思えた。「小学校の校庭に木があったら、子供たちは木登りをしたがるだろう。当然転倒の可能性があるので、最近では子供が怪我をするのを恐れて、学校側は「木登り禁止」にしてしまうそうであるが、あれはどうかと思う。何もかも禁止された安全な場所しか子供に体験させないのはかえって良くない。老人ホームもただ「死なない、ケガをしない」ことを最優先させて、危険なことを全て職員がやってしまったら、大層つまらない場所になってしまうだろう。ただ、最近ではPTAだか何だかが、老人や子供が怪我をすると、「老人ホームが悪い」「学校が悪い」とかクレームをつけてくるのでしょうね。」と申し上げた。今年度に入って、老人ホームの重要事項説明書が改訂されたことについても「良い介護をしたいと思えば人件費がかかるし、そうなればホームの費用も多少は高くなるでしょう」と理解する姿勢を示したが、クレームをつける人も結構いるらしい。(もっともこういうものは厚労省で保険点数を決めるので、文句を言ってもどうにかなるものではない。母をホームに入れる手続きは全て私がやったが、ここは思った通り「高くても質の高い介護をする」ということを理念として運営されているらしい。良いホームに入れて良かった)。相談員(左手の薬指には、新しい指輪が光っていたなど、「勝ち組」になったらしい)が「他に何か要望がありますか」と聞いてきたので「安らかに、眠るように」という私の基本的なコンセプトを伝えた。

 帰りにホームの庭を見ると、満開の桜が咲き誇っていた。そういえば先日花見の会があって楽しかったと母が言っていた。母の部屋の窓からは大きな桜の木が見えるなど、このホームでは一番いい部屋であるらしい。去年の「花見の会」は具合が悪くて参加できなかったが、来年の「花見の会」は参加できるだろうか?