24-4-8(月)

 私を株式投資という(純然たる)ギャンブルにのめり込ませた責任の一端は、今は亡き父にある。もう前世紀のことであるが、私が学習院大学を卒業する前後に、父が日本経済新聞の土曜版を何週間分か持ってきて、グランビルの法則(株式投資の戦術には大きくわけて「テクニカル分析」と「ファンダメンタル分析」があるが、グランビルの法則は「テクニカル分析」の最も初歩的で、この方法を知らないで株式投資をする人はいないであろう。グランビルの名前こそ知らなくても、株式投資をする人は誰もが「移動平均線」「ゴールデン・クロス」「デッド・クロス」などの言葉は常識として知っているはずである。)を教えてくれた。ゴールデン・クロスは強い「買いサイン」で、一方デッド・クロスは強い「売りサイン」である。一通りのことを学んだ後、いくつかの銘柄のチャート(証券会社に口座があれば、簡単に手に入る)を見て学んだ。その時、株式投資のことなど何も知らない大学の文学部卒の私は「世界中の人がこのチャートのことも、グランビルのことも知っている。したがってこれは株式投資の“必勝法”ではない。確かにゴールデン・クロスで買い、デッド・クロスで売れば儲けは多少は出るであろう。しかしその「儲け」というのは非常に小さいものになってくるのではないか?」という疑問を持った。過去のチャートを研究すると、確かに私が考えた通りなのである。したがって、株式投資で成功するためには最低グランビルを学ばなくてはならない。しかしグランビルを知っていたからと言って、株で儲けることが出来るとは限らない。これは将棋で言うところの“定跡”である。ちなみに将棋で言う定跡とは必勝法ではなく、「損が最も少ない手」と定義されている。私の30年にわたる株式投資の歴史は、このグランビルの法則を超えるより高度な“必殺技”の探求の歴史であった。そしてこの道で一流になるのは難しく、いくらキャリアがあっても負ける時は損を出してしまう。

 今年の2月に「介護鬱病」から逃れるため、温泉に行って湯治をしてきた。若い人のほとんどいない、老人ばかりのひなびた温泉であるが、ホールに行けば新聞は置いてあったので日本経済新聞を読んでいたところ、初老の3人組のおばあさんたちに「株で儲けて、その金で温泉に来ているのかい」とからかわれた。私にはとてもそんな実力はない。もっとも私の場合、どこかそういう雰囲気を醸し出している。新聞を読んでいると「三菱商事とKDDIがローソンの株をTOBにかける」という聞きずてならない記事がのっていた。すぐに温泉宿から証券会社の担当者に電話を入れ、湯治を一旦切り上げて、鎌倉に戻ってきた。もっと長く滞在すれば、介護鬱病からも解放されたであろうが、世間は私をほおっておいてはくれない。担当者と緊密に電話をして情報交換をし、そして先週の金曜日にようやくローソンの株が売れて一勝負終わった。儲けはほとんど出なかったが、これ以上引っ張ることは難しいであろう。まあ大きく損が出たわけでもないので、これで良かった。私が言いたいのは、温泉宿でしづかに療養すべき時にも、東京証券取引所は私を自由にはしてくれない。これをギャンブル依存と言わずして何と言おうか。

 私の場合、株式投資以外のギャンブル(パチンコ、競馬、競輪など)は全くやっていないし興味もない。父は私と私の兄弟がギャンブルに耽溺しないよう気を使って育てたとみられ、幼い頃よく日曜日にゲーム大会をやっていた。パチンコに似た「コリント・ゲーム」という遊戯に特に人気があり、家族全員が参加して、優勝すると賞品(多くの場合お菓子)がもらえるというので、みんなかなり真剣になって遊んでいた。ある日曜日、2歳年下の弟が(幼少期の2歳違いというのはかなりの年齢差がある)負けて賞品をもらえず泣き出してしまったこともあった。今となっては懐かしい思い出である。

 世間の人(例えば前述の3人のお婆さんたち)は株式投資の方が競馬より高尚であると信じこんでいる。競馬の新聞を読んでいるより、日本経済新聞を読んでいる方が知的で高級に見えるらしい。しかし、本当は私のやっていることも競馬とあまり変わらないのかもしれない。大体日本経済新聞なんて、かつて渡辺淳一が『愛の流刑地』とかいう官能小説を書いていたのだから下らない新聞なのだろう。渡辺淳一や日経新聞の読者は、『愛の流刑地』は純文学だと思いこんでいるが、実際にはただの官能小説である。日本経済新聞など隠れて読むべき新聞である。

 最後に少し真面目なことを書くが、私は今後恐らく一生株式投資を辞めることが出来ないであろう。これをアデイクション(病的依存)と言わずして何というべきか。そして金融資本主義の世界においては、「株で稼げるのにそれをしない」というのは罪悪とみなされる。かつてマックス・ウエーバーはその名著『プロテステイズムの倫理と資本主義の精神』の中で、組織化された禁欲(世俗内禁欲)の行きつく先は「精神のない専門人、心情のない享楽人、このnichts(英語のnothingとほぼ同じ意味)人間性のかつて達したことのない段階にまですでに昇りつめたとうぬぼれるだろう」と呪いの言葉を持ってこの本を締めくくっている。

 あと5時間で今日も「東京証券取引所」で有価証券の売買が始まる。子供たちがギャンブルにはまらないよう気をつけて育てた父が、私にこの“究極のギャンブル”を教えたのはいかなる天の配剤なのであろうか?