24-3-26(火)

 昨日、大船駅前の薬屋で、歯磨き粉を2本ほど買った。この店は「歯磨き粉は2本までは安く買える」(3本以上になると値引きされない)「毎週月曜日はセールがあって、すべての商品が5%引きで買える」という良心的な経営をしているので、月曜日になるとついここに来て買い物をしてしまう。(もちろん店側もしたたかで、それが狙いで客の囲い込みをしているのであろうが。)私のような庶民にとっては金というのはそんなものである。

ところが昨日薬屋にポスターが張ってあって、どうも大谷祥平君のポスターらしいのである。何の宣伝かは良く見なかったので解らないが、昨日まで彼がこんなところにまで上陸しているとは知らなかった。ここのところネットでいろいろ調べるので、大谷君の顔も覚えてしまったので気がついたのだろう。何にしても、薬屋だから、何か彼のクリーンなイメージを利用しての宣伝(私には上手く思いつかないが、「この歯ブラシを使えば大谷君のように綺麗な歯になる」というがごときものだろう)に相違ない。このポスターに写真の顔(肖像権)を使わせることで、彼も多額の金を得たに相違ない。何にしても、“大谷祥平”というのはあらゆる面で非の打ちどころのない、まっさらな人間でなくてはならない。しかしこれはこれで無理なのではないか?

 今朝(というか、アメリカでは昨日の夜になるのだろう)、大谷君が例の「違法賭博事件」に関して釈明を行った。大谷君は「自分は違法賭博に関与していないし、自分の口座から通訳の水原一平さんの負け分が支払われたことは全く知らなかった」と語り、とりあえずこの事件は多くの野球ファンの望むような幕引きになるのかもしれない。ただ、大谷君が自分の口座のパスワード等をいかに親しく信頼しているとは言え、水原さんに教えていたというのは私はどうしても不可解である。やはり私が先日書いたように「大谷君が水原さんの違法賭博の借金を義侠心で肩代わりした」というのが一番ありそうな仮説のような気がする。(そして仮にそうであっても私は大谷君を責める気など全くない。何かメンバーが不都合なことをしてしまった場合、それを「チーム大谷」がみんなで口裏をあわせて庇いあうというのはいかにも日本的な解決法である。ただ、それがアメリカのような訴訟社会では通用しないことを知って、あわてて弁護士が別のシナリオに書き換えたのだろう。)

 すべてまっさらでクリーンな人など一人もいない。聖書の中にもこんな話しがある。ファリサイ派(昔モーセが定めたユダヤ教の律法遵守に熱心であった。自分たちだけはクリーンであると信じている一種の狂信者。)の人たちが、姦通の現行犯で捕まった女性を「こういう女は石打ちの刑にするべきだとモーセが書いているが、あなたはどう思うか?」とイエスを詰問する。これは巧妙な罠であって、イエスがこの女を許せば、イエスはモーセの律法を無視する不道徳な人間であることになるし、もし「石打ちの刑にしていい」と言えば普段唱えている愛の教えと矛盾することになる。イエスはただ一言「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と答えると「これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と立ち去った」とある。(ヨハネ伝8章参照。もっともこの部分は最初のヨハネ伝のテキストにはなかったのを後世の人が加筆したものであるが、今はそれはどうでもいい話しなので、省略する。)この話しは「我々は皆間違いを犯すものである」「すべてまっさらでクリーンな人間などいない」(私の知っているあるカトリック教徒の女性がとんでもない嘘を言った、それも神に誓ってしらを切ったので、私が告解の秘跡を受けるよう勧めゆうたところ、「私は何も悪いことをしていないから告解の秘跡は受けない!」と言っていた。恐ろしい世の中になったものである。)ということを教えてくれている。アメリカは憲法にも書かれているようにキリスト教が国教となっているが、いつの間にかユダヤ的ファリサイ主義が国教になってしまったらしい。私は日本人なので、大谷=まっさらでクリーン、水原通訳=ギャンブル狂いの悪の根源、というような一神教的な2元論にはくみしない。もっとも水原さんも罪をかぶる代償にドジャースからかなり握らされているのであろうが、こういう闇取引の方が私はアメリカ的な悪のように思える。

 何にしても「金を持つ」というのは恐ろしい誘惑である。非常に多くの人達が大金を貯めることにより精神的に破綻している。金銭を愛することはあらゆる悪の根源である。大谷君が金銭よりも水原氏の友情を信じていたのだとしたら、それはあるいは正しいことなのかもしれない。ただ、金というのは一度たまり始めると雪だるま式に膨れあがるものである。これを防ぐにはどうすればいいのか?私はやはりどんどん寄付をしてしまい、自分の手元に大きなお金を残さないことだと思う。

話しを変えるが、今年の正月早々能登半島は大変なことになっている。能登半島の面積は神奈川県全土とほぼ同じであるらしい。そこに20万前後の人が生活している。人口20万というのは我が鎌倉市と同じくらいの人口である。いかに能登半島が過疎地域であるかわかる。こういう地域であれば、少額の寄付であっても、それなりにものを言うはずである。 

私は金持ちではないので、少額でもいいから、末永い援助を続けていきたいと思っている。