22-3-21(木)

 昨日は春分の日、お彼岸の中日であった。暑さ寒さも彼岸までと言われているが、今年の冬は気温のアップダウンが激しくて、私には随分と身体に応えた。

 一昨日(3月19日(火))は日銀の金融決定会合があって、17年ぶりにマイナス金利政策が解除された。17年前など良く覚えていないが、ちょっと資料を見ると、2006年に日銀は0金利政策を解除し、金利が若干上がっている。次の年も少し上げたよう(それもスズメの涙ほどではあったが)であるが、2008年にリーマンショックが起きるとなすすべもなく0金利に戻し、さらにいつ頃からであるか定かではないが、マイナス金利政策を導入して今に至っている。

 2013年に自民党が政権を奪還し、アベノミクスなる経済政策をスタートさせたのと同時に黒田日銀総裁が(通貨供給量を倍にするなど)「異次元の金融緩和政策」を導入した。(その他にもいろいろやったらしいが、私は経済の専門家ではないので良く知らない。要は2%前後の物価上昇をおこさせ、(そんなことが出来るのかどうか定かではないが)インフレによってデフレを退治するということらしい。)

ここのところの円安によって、私のような市井の民の目にも明らかにスーパーの食材などの値段が上昇しているのが肌に感じられるようになったが、今回マイナス金利解除の決め手になったのは、恐らく春闘で賃金上昇が明らかになったことだろう。春闘とは一応資本家(株主?経営者?)と労働者(プロレタリアート)が賃金の上昇をめぐって闘争が行われ(階級闘争のつもり)ことである。妥結すればいいのであるが、しない場合には労総者側がストライキやサボタージュを行って資本家(プルジョアジー)にダメージを与えるものと一応は考えられている。しかし今回の春闘では経営者側が労働組合(連合?)の要求を全てのんで、賃上げの要求を受け入れた。これは大手大企業の話しであって、中小企業や私のような個人事業者に恩恵がめぐってくるのにタイム・ラグはあるだろうが、今後日本全体が緩やかなインフレと所得上昇に見舞われるであろう。かつて岸田総理の唱えた「新しい資本主義」を私はバカにした。しかしもしこういう方法でデフレを脱却するということならば、さほど間違った政策でもなかったのかもしれない。岸田総理がこの「新しい資本主義」政策を良く分かっていなかったとしても、周囲のブレーンは理解していて、岸田を操り人形にしてこういう政策を行わせたのかもしれない。何にしても私は少々ほっとした。家の裏の喫茶店に行ってN村証券の担当者に電話したところ、日銀の発表の直後から株価が上昇に転じ、また何故か円安が進んだらしい。良く解らない経済の話はこれでおしまい。

昨日は敬宮愛子様が学習院大學文学部国語日本文学科(要は昔の国文学科)の卒業式であった。愛子様は最初の3年間はオンライン授業で随分ご苦労されたようであるが、最後の1年は学習院の目白キャンパスに通って、中世文学のゼミに出たり、友人と遊びにいくなど大学生らしいキャンパスライフが行えたとのことでよかった。学習院大學の国文科には古い貴重な写本などが結構残っていて、国文学を極めるには良い大學、学部選択である。(私が知っている範囲では実践女子大学の国文科にもそこそこの資料(と教授陣)がそろっていて、お買い得大學である。)指導教官である中野貴文先生も「大学院に進学させて、手塩にかけて育ててみたい」という好印象を持ったようで、「大学院に進学されませんか?」と愛子様に打診したようである。天皇家の方が学習院大學の大学院で学ばれるというのは良いモラトリアムであって、私の後輩にあたる川島紀子様(現秋篠宮紀子様)もそういう道を選ばれた。学習院大學の大学院に進学しても多くの場合職がないのであるが(私が卒業した年には哲学科博士前期課程は15名もの大学院生を合格された。哲学科の場合、学部卒でも大学院卒でもどのみち仕事がないので、志願者をほぼ全員合格させたようである。)、愛子様は職にありつく必要がないので、自然が多く残っている広大なキャンパス(これが学習院大學の隠れた魅力である)で、のんびりと中世の写本の研究をするのもいいかもしれない。

一昨日、昨日と良いニュースが続いたが、最後に大学院進学について一言書いておこう。私は大學2年の時にすでに大学院進学のことを考えていた。指導教官の永田良昭先生に相談すると「大学院に進学するなら2つのことが大事だ」と前置きして「大学院で何を研究するか」と「修了したあとどうするのかが決まっていれば大学院に進学してもよろしい。そして語学2つをしっかりやっておくことだ」とアドバイスされた。永田先生は私を手元(学習院大學大学院)に置いて育てるか、京都大学の大学院に進学させたかったらしいが、最終的に私は霜山徳爾先生の率いる上智大学に進んだ。

大学院に進学する場合、自分が行きたいといくら思っていてもダメであって、指導教官に「この若者を育ててみたい」と思わせる必要がある。中野貴文先生も愛子様を学者として育ててみたかったのだろう。「大学院に行きたくなったらいつでもいらっしゃい」という趣旨のことをおっしゃるなど未練たらたらであったらしい。何にしても、新年度を前にして、2つの明るい出来事があったのは良かったのだろう。