24-3-9(土)

 大船の巷からまた一軒、本屋が撤退するらしい。ルミネ・ウイング(大船駅の駅ビル)の6階にあるアニールという本屋が今月いっぱい(今年度いっぱい)で閉店する。アニールは一見雑誌置き場のようであるが、一応岩波文庫なども売っていて(私の中では未だ岩波文庫を売っている店は高級、という偏見がある)本屋のていをなしている。私が20年前鎌倉市に家を買って、大船の巷で買い物をするようになって以来、本屋がどんどん潰れて行った。最初に潰れたのは海福(寿司屋)の隣にあった古本屋である。ここは私が引っ越してきてすぐにいつの間にかなくなったので、どんな店であったかよくは知らない。古本屋と言えば前に平塚に住んでいた時に高橋留美子の『めぞん一刻』全15巻を叩き売った古本屋も潰れた。

 高校・大学時代には散歩の序に良く本屋で立ち読みをした。もう40年近く昔の話しであるが、特に欲しい本というものがなくても本屋によって、「おや、こんな本があるのか」という「未知との遭遇」が楽しかった。学習院大学にいたころは、神田の古本屋街はあまり行かなかったが、近場の高田馬場駅から早稲田大学にかけて古本屋街があったので、そこをよく散歩して、掘り出し物を見つけて読んだ。古本屋街を散歩して、思わぬ出会いがあって、買ってすぐに喫茶店に入って読む時のあのワクワクする体験は忘れられない。大学院に入ると、特殊な専門書ばかり読むようになったので、(これはあまり好ましい傾向ではないが、霜山徳爾教授が大量の専門書を読ませて学生を鍛えていたので、暇な時間がなかった)本屋巡りはあまりしなくなったような気がする。(今では専門書が必要な場合、伊勢佐木町の有隣堂本店に行って買ってしまう方が早い)。

 私が北里大学で教鞭をとっていた時には、前期と後期にそれぞれ2回、年間4回ブックレポートを書かせた。大量の本(新書が多かった)を課題図書として指定して、学生さんはその中から気にいったものを読んで感想を書くのであるが、その課題図書のリストがいつの間にか有隣堂北里大学店の知るところとなり、「臨床心理学1・2の大堀彰先生の課題図書はそろっています」とネットで拡散された。本を読んでそれについて何か書くというのは知的訓練の基本である。今の学生さんは本を読まないので、もっと本を読みなさいというのはもう散々言ったので、ここでは書かない。ただ、どんな時代でも一定程度の読書家というのはいるらしい。ロシア文学(ドストエフスキー、チェーホフ、トルストイなど)の芸術的水準が高いのは衆目の事実であるが、これには19世紀当時のロシアの事情があったものと思われる。国民のほとんどが農奴みたいな生活をしていて、識字率が異常に低かったので、本を読むのはエリート階級だけというような状態であれば、「選ばれたる少数」のための文学の水準は高くなるだろう。

 これからの本屋は専門書や純文学(って今時あるのか?)など知的な階級を相手にする本屋と、雑誌やラノベ、アダルトなどしか置いていないゴミ置き場のような本屋に階層分化されてくるのではないであろうか?そして後者はいずれ、ネットにその地位を奪われ、どんどん衰退していくのだろう。大船でこれまで潰れた本屋(アニール、島森書店大船店)を見ると、そのどちらにも徹しきれなかったので潰れたようである。もっともアダルトとフランス書院とラノベしか置いていない本屋もあったにはあったがかなり前に潰れてしまった。あんな本屋に出入りするのは涜神行為に等しいが、知的下層階級の間あった一定の需要すらなくなったのは、スマホの普及と何か関係があるのかもしれない。

 本屋文化論というべきものを書いてみたいと思ったが、力不足で上手く書けなかった。最後に、今後本屋というのが是非必要とされるのか聞かれると、私は懐疑的である。もちろん一定程度のインテリを対象とした本屋は生き残るであろうが、その分本屋の敷居は高くなり、本の値段もものすごく高くなるだろう。(去年岩波訳『新約聖書』の改訂版が出て、たまたまアニールで売っていたが、1万円近くするなど旧版の倍近い法外な値段がついていた。)一方で、最近スマホで漫画が配信されているのをご存じの方もおられると思うが、本屋に行かなくてもいつでもネットで漫画が読めれば、知的下層階級向けの本屋はもう必要なくなるわけである。(スマホの中で「今流行のみずみずしい感性で書かれたケータイ小説!」とやらを読んでせいぜい自慰でもしているが良い。そんなことは私とは何の関係もない。もう一度書くが、そんなものは私とは何の関係もないのだ。)同じネットと言っても、パソコンとスマホはコンテンツそのものがだいぶ違うようで、パソコンとスマホの間で階層分化が起きている。ネットが本格的に我々の生活の中に入ってきたのは今世紀にはいってからであるから、せいぜい20年である。そうした中で、スマホしか使わない人と、パソコンを主に使う人の間で格差が生じているのは面白い現象である。