24-2-10(土)

 立春も過ぎて、世間の人は3連休であるらしい。明日が建国記念日で月曜日はその振替休日である。私もそろそろ動きださなければならない。今年の冬は暖冬であったが、寒波がきつい日が断続的にあったりして、かえって自律神経の調整が上手くいかず、私のまわりでも相談室でも季節性の鬱にかかる人が結構いた。人間もまた、その下部構造の部分はやはり動物であるということである。

 この間に東アジア反日戦線の桐島聡氏が鎌倉市の病院(湘南鎌倉中央病院)で死んだ。

 5年に一度、大船警察署に行って運転免許を更新するのであるが、そこにはずっと桐島聡氏の写真が指名手配されているので、何となく親しみすら感じていた。そこに貼られているのはさほど知的ではないものの、いかにも善良そうなお兄さんの写真であって、連続企業爆破事件の犯人というイメージとはほど遠かった。この事件は70年代の前半にあったらしく、私は小さかったので、あまり記憶にない。70年安保が過ぎると、学生運動の闘士たちは大学卒業後も行くところがなくなり、日本赤軍などより過激な集団に加入し、「よど号ハイジャック事件」「浅間山荘事件」などを起こして、国民からの支持を喪っていった。「連続企業爆破事件」というのもそのころの事件だったのだろう。あの頃の学生たちは「日本帝国主義はかつて侵略戦争をして、東アジアの人たちに迷惑をかけた。いつかはその償いをしなければならない」と小学校のころから反日日教組に教えこまれて洗脳されていた。桐島は事件当時、まだ明治学院大学の学生で、こうした日教組の教育に忠実であったということであろう。二十歳半ばにして狂った思想により人生を台無しにされたのは真に気の毒である。

 桐島が本格的に学生運動(という名の反社会的運動)にかかわり始めたのは大学に入ってかららしい。明治学院大学というのは不思議な伝統があって、ここは何か「平和を学ぶ」(と称してサヨクの思想を学ぶ)コースがあるらしい。ここはキリスト教の学校であるのだが、キリスト教の中でも「サヨク」の指導者が悪霊のごとく忍びよってきて、若い人たちの人生を狂わせている。東京の白金にメイン・キャンパスがあるのだが、私の問題にしている国際学部は戸塚にあるので、鎌倉からも近い。私はかつて今は懐かし英会話のノバで、明治学院で平和研究をしているという女子学生と英語で議論したが、彼女は「大学の授業はつまらない。昔の戦争の話しばかり。私は未来の平和な社会について学びたい」と激昂していたので、「かつてあった戦争を反省し、その中からどのようにしてそれを防ぐことが出来るか考えるのは平和研究として意味がある」と申しあげたが、彼女のように「クリスチャンなら平和、平和、平和。平和なら憲法9条。憲法9条なら立憲民主党に投票!」というプチサヨクはまだ鎌倉、大船地域にも結構いて、真っ赤ではないのであるが、ピンク色の腐った護憲運動をやっている。(カトリック・ケンキョなどどうしようもないバカ)そして50年の時を経てSEALDsの奥田愛基君もまたここの卒業生である。

 SEALDsが偏差値30(?)の全寮制の高校を出た平和を願うクリスチャンの若者達の中から自然発生的に生まれてきた新たな学生運動だというのは嘘で、共産党の別動隊であることは今や常識である。奥田愛基君がそうした運動をしていたのは故・安倍晋三氏が総理であったころであるからひと昔くらい前になる。彼は明治学院大学を出た後、一橋大学の大学院(ここにもピンク色のサヨクの教授がいるらしい。偏差値30の若者が一橋に入れるのだから、結構な世の中になったものである)に進学して平和研究をつづけたが、今では就職先がなくて困っているだろう。SEALDsのような痴れ者を学者として採用する大学があるとは思えない。彼はマスゴミやキリスト教団体に利用されるだけ利用されて、あとはゴミのように捨てられ、誰も責任をとらないという点では桐島聡と一脈通じるものがある。

 私は桐島聡も奥田愛基も憎む気にはなれない。ただ、彼らを利用して、彼らの人生を台無しにさせた大人たち(共産党、キリスト教平和団体)などをどうしても許すことが出来ない。ロシアーウクライナ戦争が2年にもわたって続いている現在、「憲法9条さへあれば日本の平和は守られる」と主張している連中はバカか、バカを装って何か邪悪なことを企んでいるに相違ない。そしてそういう大人たちは、若者の愚行に対して決して責任を取らないのである。

 

(奥田愛基も悪いといえば悪い。北朝鮮が日本の無辜な人たちを拉致し、ミサイルの実験を繰り返しているのなら、日頃主張しているように、何として北朝鮮に行って、金正恩と酒を酌み交わしてこの問題の解決に尽力すべきである。彼の場合は道徳的・倫理的に悪いというより、もっと露骨に「頭が悪い」というべきなのかもしれないが。)