23-11-23(木)

 昨日、老人ホームに母を見舞った。ここ1か月ほど、ブログを更新できなかったが、私はそれなりに仕事をしている。ただ、母の介護に時間をとられて、ブログまで手が回らない状態である。

 母の介護が始まってからもう5年目になる。最初は「住み慣れた家で、痛みもなく、安らかに最後を迎えたい」と言っていた(これは多くの老人にとって割とオーソドックスな希望である)が、妹も弟も介護に無関心(こういう人は一定程度世の中にいるらしく、私の家が何か特別な事情をかかえているというわけでもないらしい。一生懸命母の容態を話しても「それが私と何の関係があるの?」という態度をとるのだ。それも必ずしも悪意があるとかサイコパスとかいうわけでもないらしい。)で、姉と私で交代に看ていたが、1年半前に姉が介護ノイローゼになって脱落という事情もあって、この1年間は老人ホームで暮らしてもらっている。

去年の秋、父の3回忌を終えて、老人ホームに入ったとき、母はひどくやつれていた。私の予想では「おそらくあと半年も生きるのは難しいだろう」と思っていた。胃ろうなど無駄(に私や母には思える)延命治療は一切拒否したし、その旨ホームに伝えた。(最も延命治療はただ苦痛を長引かせるだけという認識は多くの日本人の意識らしく、非常に評判が悪い。飽くまでも延命治療を希望するのは多くの場合家族であって、その家族の事情(何か税金と関係があるらしい)により例外的に延命を希望することがまれにあるというだけのことのようである。)

 老人ホームにはいってから母の容態はずいぶんよくなった。まずこれまで飲んでいた大量の薬をバッサリ減らすことができた。(精神科の治療などであちこちで大量にクスリを飲まされているような場合、一旦入院させて全部クスリを切って、必要最低限のクスリだけを飲ませて退院させるという手がある。私は統合失調症でない限り、若い人にクスリ(特に抗鬱剤)を飲ませるのには実は反対である。抗鬱剤が効く鬱状態というのは実はあまり多くない。話しを戻すが、病院に勤めていた時に、他のクリニックの患者さんにセレネースとリタリンが一緒に入っていたのを見て、私はあまりの“凄い”処方に驚嘆した。)そこの老人ホームは一日3食の食べ物と、10時と3時におやつが出るので、母は急激に元気になった。しかし、“あの時”は案外早くやってきた。母が昼食時(午後0時には歩けていたが、0時5分には倒れていたそうである)に転倒し、大腿骨をやられて車椅子生活者になった。これまで祖母と父を看取ってきたが、車椅子生活者になるとたちまちADLが低下する。“その時”が来るのは私はすでに予感していたので驚きはしなかったが、その後はなはだしい足腰の痛みを訴えるようになった。鎮痛剤もMAXまで使っているが、医者としてもそれ以上の治療は出来ないらしい。

 昨日見舞った時、母は「老人ホームは生かさず殺さず私を処遇してくる。(足が?)痛くくて痛くて仕方がない。早く死なせてほしい」と30分くらい同じことを訴え続けた。私は介護生活が始まった当初から現代の医療に相当の不信感を持っている。もっとも、母が(被害妄想的になっている)言うように、老人ホームが「生かさず殺さず、母を延命治療で苦しめている」とは思っていない。ただ、もう安らかに死ぬことだけが唯一のなしうる処置であるならば、安楽死について真剣に考えてもいいような気がする。ただ苦しい期間を長引かせるだけの様々な処理(これによって救われている人は大勢いるのだし、そういうものを発明した医学生物学・生理学者が善意でやっていることは私も認めている)に何の意味があるのだろう。死だけが救いである人に、自己決定権による安楽死をなぜ認めてくれないのか?これはおそらく老人ホームの人たちの多くが持っている疑問であるらしく、その話しは彼らは注意深く避けてくる。

 『ブラック・ジャック』という漫画がある。鬼門に入った医師で、医学博士の手塚治虫氏が書いていた。一応解説すると(と言っても私もあまり真面目には読んでいないが)ブラック・ジャックは天才的な外科医であって、毎回相当難しい難病(実在しない病気も結構あるらしい)を手術する。相当な変わり者で、医学部を出ている(?)のに医師免許を取ろうとしないで、法外な手術代を患者に請求する。(もっとも実際には彼の目的は金ではないらしく、「人生、意気に感ず」という何かヒューマニズムのようなものが動機で手術をしているらしい。)ただ、依頼者要求通りに手術が成功した時であっても、それが依頼者の真の幸福にはつながらないという結末の話しが結構多い。ブラック・ジャックにはドクター・キリコというライバル(?)がいる。ドクター・キリコは安楽死肯定派で、何か特殊なクスリ(?)によって、患者さんの要求どおり楽に死なせてくれる。もっともドクター・キリコの中ではかなり厳しい倫理規定(?)のようなものがあり、どうしてもやむを得ない場合しか安楽死を引き受けない。ブラック・ジャックもドクター・キリコもその方法論が違うだけであって、2人とも患者さんの苦痛を和らげることを目的としているという点では共通している。

 昨日の母との面会は本当につらかった。介護生活も5年目になってくると、いささか精神に変調をきたすらしい。

 

(オランダでは安楽死に関する法律があって、苦痛がはなはだしく、もう死んだほうが幸せな患者さんには死という最後の逃げ道が許されている。もっともこの場合でも相当に厳しい規定があって、単に「死にたいから死なせてやる」というものではない。私の世界史の知識は相当にあやふやであるが、オランダはオーストリアから宗教戦争によって独立した国であったはずであるから、おそらくはプロテスタント、それもカルヴァン派が国教であろう。こういうものは宗教的背景を抜きに論じても仕方がないので、一応記しておく。)