23-8-31(木)

 私の母はテレビ・マニアで、以前は新しいクール(直近の場合、9月~クリスマス前後)に始まるドラマの初回は全て一応視聴して、その中で面白い(と母が思うもの)はを連続して最後まで見ていた。老人ホームに入る前は日本のドラマだけではなく、イギリスの『ダウントン・アービー』とか、題名は失念したが、オスマン・トルコ帝国を題材にしたスレイマンとかいう皇帝(この人は実在の人物らしく、世界史の教科書などにものっている)を主人公にした、日本で言えば大河ドラマのようなものも熱心に視聴していた。そういうわけで、テレビでどんなドラマをやっているかは母にとっては極めて大事な情報である。老人ホームに入って以後も、2週間に一回、水曜日に発売される「テレビ・ライフ」は母にとっては最も権威のある雑誌であり、私も2週間ごとに近所のコンビニエンス・ストアでそれを買って、母の見舞いに行くのが習慣と化していた。昨日はちょうどその水曜日に当たったので、「テレビ・ライフ」を買ったものの、あまりに暑いので、今回ばかりは郵送で老人ホームの母のもとに届けることになった。

普段なら「テレビ・ライフ」など関心がない(?)私であるが、今回はこの夏の時期のドラマの最終回の特集をやっていたので、当然森七菜主演の『真夏のシンデレラ』の最終回についても何か記事があるはずだと期待したが、完全にスルーされているのには驚いた。仮にも「栄光の月9」で放送され、今回は「令和の正統派トレンデイー・ドラマ!」とのことで、フジテレビも相当に力を入れて宣伝していたはずであるが、前回はとうとう視聴率は4.7%と言うことで5%を割り込む数字となった。ネット上も森七菜の悪口でいっぱいである。来週を入れてあと3回放送され、今のところ打ち切りの予定はないとのことなので、あと1か月の間、森七菜は「針のむしろに座らされている」地獄のような日々を送らなくてはならない。どうしてこんなに酷いことになってしまったのであろうか?

森七菜は確かに演技は下手である(私は見ていないので、本当は演技についてどうこう言う資格はないのであるが)かもしれないが、浜辺美波や黒島結菜より下手ということはあり得ないだろう。「演技が小学生の学芸会並み」と酷評されているが、今の男子の俳優(特にジャニーズ系)も女優もみんなおしなべて学芸会並みなのだから、森七菜だけがピンポイントで叩かれるのはおかしい。今の芸能界は裾野が広がっていて、(多くのタレントがいて、誰が誰だか部外者には良く解らない)それが総じて学芸会並みの演技をしているなど、プロと素人の区別がつきにくくなっている。一方で高校野球などを見ると、控えの投手であってもプロ野球の投手のような速球を投げたり、投球術が凄かったりする。「あんな球を打つのは難しいだろうな」と素人の私ですら思うのだから、プロ野球のスカウトたちも血眼になって選手獲得に走っているに相違ない。話しを戻すが、今の芸能界の敷居は極めて低いので、昔の山口百恵や三浦友和のような本当の“プロ”が演技する恋愛ドラマを期待するのはそもそもが無理なのである。

 さて、『真夏のシンデレラ』の場合、確かに視聴率は低く、脚本も支離滅裂であるが、登場人物が多すぎて、それが皆同じような顔をしている(ように昭和生まれの私には見える)ので、ストーリーが解りにくいのが不評の原因として挙げられると思う。これは8人の若い男女を中心としたラブ・ストーリーということになっていたが、前回は間宮祥太郎君(建築会社の御曹司)の同僚(山崎紘菜)が突然登場し、来週はみんなでライブに行くらしいなど、さらにストーリーが解りにくくなっている。視聴者が一時に把握出来る人数はせいぜい7人くらいまで(これは心理学の常識である)なので、もう少し人数を絞ってそれぞれのパーソナリテイを深めていくなど工夫が必要である。やはり「結末はどうなるか解らない」というようなふざけた脚本家に依頼すべきではなかった。

 もう一つは、これはコロナ禍に入ってネット空間から情報を得ているうちに気がついたのであるが、森七菜は「いじめ蟻地獄」にはまっているのではないであろうか?今の若い人たちはこの金融資本主義の中で搾取され、学校では偏差値で輪切りにされ、フラストレーションが極度に鬱積されている。そんな中、何か(それはほんの些細なことである場合が多い)がきっかけて「あの子はいじめていい」という社会的合意が出来あがると、その子(今回の場合、森七菜)をバッシングすることによって欲求不満の解消を図るという構図が出来上がる。小・中学生も一人一台スマホをもっており、皆でSNSなどを楽しんでいる現在、クラスの誰かがいじめられて自殺する、というのはこういう構造からくるのではないであろうか?子供たちは皆自分がいじめのターゲットにされまいとびくびくしているので、ジャイアンのようないじめっ子がのび太の悪口をSNSで書くと、スネ夫のような連中は皆付和雷同していじめに加担することになる。問題は文科省があまりこの「いじめ蟻地獄」と言う現象を理解していないので、それを抑止する方法もないと言うことである。

 インターネット社会において、いじめが過激化するのは、いじめる側が匿名化され、誰にいじめの責任があるのか解らないがゆえに起きている現象であることを多くの識者はもっとはっきりと知るべきである。