23-7-29(土)

 『受験生の手記』(久米正雄著)を久々に読み返した。現在の受験生が読んでも面白く読めるだろう。ただ、主人公が何故志望校(この場合旧制一高)に入学したいのか、最期まで良く解らなかったし、主人公自身もそのことについては疑問をもっていないようである。今の大学受験生も皆似たようなものであるけれど。

 話しは変わって、今年の夏は相当に厳しい。受験生たちも大変なんだろうなあと何だか同情してしまう。私は中学3年の夏休み40日間に500時間勉強をするという目標を立てた。それが達成できたのかどうか、記憶が定かではないが、お盆明けに家族で箱根に旅行に行って、最終的には500時間まではいかなかったが、それに近い目標は達成できたというあたりが本当のところであったと思う。そして9月になって2学期が始まると、生徒会におけるある事件がきっかけで、「何故人間(というか、現在の日本人)は「いい学校」に入るために努力しなければならないのか?」という学歴社会に対する根本からの疑念が沸き上がってきた。当時、私は学芸大学付属高校に行きたかった。この学校は進学実績がものすごく良く、今でも東大、早慶などに毎年多くの学生を入学させているはずである。良い高校に入る目的は、良い大学(深く考えてみると良い大学という言葉の意味は解らない。しかし当時は中学生であるからたいして深い思考が出来たとは思えず、“世間で言う良い大学”という程度の意味。)に入るためである。では何故良い大学に入らなければならないのか?ここで私の思考は停止してしまった。ひょっとして、人生で初めてヤスパースの言う「実存開明」を体験したのかもしれない。しかし、私はその思考に蓋をしてしまった。とりあえず目の前に高校受験が迫っている。中学1,2年の時に目指していた都立田園調布高校はすでに射程距離に入っている。(蛇足だが、この頃から私はものすごくケチで、国立大学付属高校や都立高校を目指したのは学費が安いというのが大きな理由であった。あと田園調布高校は私の家から徒歩10分と極めて近かったので、日比谷高校、九段高校、三田高校のある11群(高校のグループ)も射程距離だったのであるが、家から遠かったので受験する気がせず、敢えて小山台高校、田園調布高校のある14群を志願した。何にしても大学までは行くつもりであった(これもこの頃から「何のために大学に行くのか」も良く解らなくなってきた)のであるが、「真の勝負は大学受験の時」と闘いを敢えて先延ばしにして、安い学費で大学受験への挑戦権が得られるところを狙った。)とにかく「高校に入ってから考える」と、「何のために良い大学に入るのか」という幻聴のようにつきまとう疑問を一生懸命振り払っていた。

 夏に500時間も勉強すると、頭がゆでタコのように煮え立って冷静さを失うが、同時に高校受験に必要な学力は大体身についてしまう。学芸大学付属高校は結局落ちたが、首尾良く都立田園調布高校にはひっかかって(私立の海城高校も受かったが、学費が高いし遠いので辞退した)私の高校生活が始まったが、この頃から悪い仲間(文芸部の仲間)と付き合うようになり、不良文学青年となった。文豪森鴎外が「一体日本人は生きるといふことを知っているのだらうか。小学校の門を潜ってからといふものは、一しょう懸命に此学校生活を駆け抜けようとする。その先には生活があると思ふのである。学校といふものを離れて職業にあり附くと、その職業を成し遂げてしまはうとする。その先には生活があると思ふのである。そしてその先には生活はないのである」と書き残しているが、それには多いに共感した。

 多くの人たちが「良い大学」(短大・各種専門学校を含む)「良い中学・高校」に行きたがるのは、どうも「良い大学を出ておけば、良い会社(これも定義が不明であるが、一部上場企業(プライム企業)、例えば三菱商事、三井住友銀行、出光興産とかみんなが知っている有名な会社。何が良い会社かを真剣に哲学的に考えてはいけない。)に入れる可能性が高くなるからだ」とある時気がついたが、その時にはもう40歳を超えていた。

 ただ、こうして夏の暑い日も黄昏時になってきて、少し風が出てきて涼しくなり、頭が冷静になると、この考えも間違っているような気がしてきた。日本人が皆サラリーマンになるわけではない。自営業の人もいれば開業医もいる。(ちなみに『受験生の手記』の実家は開業医である)。私が中学の時に親友であった生徒会長の父は自営業者であった。だから彼は別に「いい高校」「いい大学」にこだわる必要もないはずであったが、高校を卒業して、私のまわりの不良文学青年ども全員の浪人が決まった時に、大学のことを一番心配したのはこの元生徒会長であった。「大堀、大学どうする?」と聞いてきたので、「まあ何とかなるんじゃないの。」とか言って一番のんびりしていたのは私(サラリーマンの息子)であった。その後2年して、その親友は神田5大学の中のある大学の法学部に進学したが、その大学にしか入学出来なかったことに終始劣等感を感じて、結局6年在学した後中退した。

 久米正雄の小説に戻るが、主人公も周囲の受験生も「一高に行って、その後どうする」というこれと言った明白なビジョンはなく、ただ「一高に行く」ことが自己目的化している。あるいは「一高の学生さんなの。凄いわね!」と周囲の人たちに驚嘆してもらいたいというつまらぬ虚栄心に溺れている。そしてこれは現在の多くの日本の受験生にもみられる現象ではないかと思う。