23-5-7(日)

 つゆのやうに雨がふりつづく。しとしとしとしととやみもない。今年の連休は最初と最後に雨にたたられ、中日(なかび)、特に憲法記念日、みどりの日、こどもの日の3連休は良く晴れた。ほとんどの日は午前中仕事をし、午後には体力を落とさないために散歩に出た。初夏のように暑い日が多かったので、散歩をするとそこそこ疲れて、午後9~10時頃には臥所に入って、午前5~6時頃には気持ち良く起きられた。目まぐるしく変化する天気と、長期にわたる介護のため、疲れが澱のように溜まっていたようであった。それでも毎日2時間にわたる散歩のため、寝疲れないことはなかった。

 北鎌倉に散歩に行くと、外国人(フランス人)を多く見かけるようになった。フランス人はインテリが多いのか、北鎌倉とは相性がいいらしい。(私はフランス語は旅行しても困らないくらいは出来る)。誰もマスクをしていない。その他の晴れた日に平塚や逗子海岸に行ってみた。逗子海岸は若い人でいっぱいで、皆マスクをしていない。この時期だとサーファーが多いようである。海岸沿いのファミリー・レストランで食事をしようと思ったが、あまりに混雑しているので見合わせた。私は現在母の介護中であるし、かつてほど海沿いのファミリー・レストランで食事をするのが楽しいと思わなくなったので、そうそうに引き上げた。

 鎌倉駅西口では江ノ電に乗るのに行列が出来ていたそう(私は行っていない)。このゴールデン・ウイークはこれまで我慢をしていた若い人たちが一気に外出に出て、恐らく小町通りも大変な人出であっただろう。私はこの喧騒が一段落したら、行きたい店が一軒小町通りにある。エチカという名の喫茶店で、食事はさほど美味しいとは言えない(不味くもない)が、大量の書籍がおいてあるのである。そこのマスターは私と趣味があうらしく、私が目をつけている本は大抵おいてある。(カフカ全集がおいてあったのには感動した。それとつげ義春コレクションにショーペンハウエルの『意思と表象としての世界』の完訳等々)一度昼下がりに紅茶とケーキを食べながら文学談義に華を咲かせたい。

昨日、イギリスのチャールズ皇太子が国王に就任する戴冠式がウエストミンスター寺院で行われたそうで、私もネットで少し見たが、カンタベリー大司教の説教がへたくそで、私には何が言いたいのか良く解らなかった。何にしても大英帝国の国王の権威は英国国教会(ヘンリ―8世が離婚を成立させるために、カトリック教会から別れたのがその始まりと思うと、何だか歴史の皮肉を感じる。解る人は解ると思うけれど、カミラ夫人のことね。)の権威に依存している(これを王権神授説という)のは良く解った。共和制と言うのは結局上手くいかないのかもしれない。話しがそれたが、何が言いたいのかというと、戴冠式に出席している人のほとんどがマスクをしていなかったということである。

連休中のいつだったか忘れたが、WHOのテドロスが「世界的な感染の危機は一応去ったと判断する。勿論気をつけなくてもいいというわけではないが」という趣旨の声明を発表した。日本でも明日からは新型コロナ・ウイルスは第2類から第5類に格下げになって、季節性インフルエンザと同じ扱いになるらしい。(ただもう一度ワクチンを打つことになっているらしい。これで6回目である。私は無料ならば最後の一回だと思って「毒を食わば皿まで」と打つ気ではあるが、有料ならばもう受けない)。

去年の末だから「宇宙戦争」の3年目になるのだろう、私のまわりに5人の感染者が出た。(そのうち3人は医療者。サラリーマンは1名、公務員が1名)。しかし皆さほど重症化せずに短期間のうちに完治している。ただ、このウイルスにやられると相当に身体に応えるらしい。私はまだ基本的な感染対策を続けるつもりである。

しかし「宇宙戦争」という題のブログを書くのは今日限りで終わりにしようと思う。何度か書いているが、この「宇宙戦争」という題名はH.G.ウエルズの“The War of the Worlds”のオマージュであり、元来は「異なる、相容れない世界(複数形)との闘い」とでも訳すのが適当だろう。「人類の世界」と「火星人の世界」(あるいは「新型コロナ・ウイルスとの闘い」)。小学生の時に子供向けに書かれた本や、トム・クルーズの映画(私は見ていない)を見た人は知っていると思うが、地球には火星にはいない(が人類にとってはたいして害もない)ばい菌がいて、そのためタコのような火星人が一夜のうちに全滅し、人類は守られたという終結になっている。今後も新型・コロナ・ウイルスは人類を脅かし続けることであろうが、コロナ・ウイルスがどんどん弱毒化していくのに対し、人類はどんどん免疫力をつけて行って、結局ウイズ・コロナの生活が普通になってゆくのだろう。これが人類の勝利なのか新型コロナ・ウイルスの勝利なのか、私には解らない。私はただ当事者として歴史を書き続けただけである。本格的な総括はこれからやらなければならない課題として残る。そしてこのウイルスをばらまいた張本人を国際的な法廷の場に立たせないと、死んでいった人たちの霊が浮かばれない。

私があと10年間、もしブログを書き続けることが出来るとしたら、闘わなければならない相手が2つある。1つは金融資本主義、もう一つはポリテイカル・コレクトネス運動である。2つとも拝金教、唯物思想、共産主義など人類の純度を堕落させる運動であり、今日それについて詳しく書こうと思っていたが、もうそろそろ疲れてきたのでこの辺で終わりにする。

「宇宙戦争」を愛読してくださって、いろいろな形で応援して(本当に大量のメッセージ、メールをいただいた)くださったり、感想を下さったり、ただ「いいね!」をつけて下さった方にはこころより感謝したいと思う。私はこの戦争の最中、地球が新型コロナ・ウイルスに侵略されてしまう恐怖を何度か感じたが、結局ノーベル賞科学者である山中伸弥教授が戦争の初期に指摘されていたように「人類そのものが変容するしかない」(ワクチンにより免疫をつけられた人類は、もうすでにかつてのイノセントな人類ではない)というあたりが落としどころになったのかもしれない。