23-4-19(水)

 もう30年以上前になるので、前世紀の話しになるが、学習院女子大学(当時は短期大学であったが、いつの間にか4年制に昇格した)の斎藤文嗣先生という助教授の方が学習院大学心理学科に週に一コマ、演習を担当しに来ていらした。当時の学習院大学心理学科は、1年、2年のうちはピアジェ、スキナー、フェステインガー、ハイダーなど心理学徒として当然読んでいなければならない実験心理学系の基礎的な論文を英語で読まされた。あの2年間のおかげで(実験)心理学の英語の論文を読むのはたいして難しいことでも苦痛なことでもなくなった。3年生になると自分の興味・関心のある分野の演習を取得できるのであるが、臨床心理学の演習は事実上、斎藤文嗣先生の演習しかなくて、私も斎藤先生の演習と生涯の師となる永田良昭先生のゼミの2コマを履修した。私は講義は結構“自主休校”をしたが、この2人の先生の演習は必ず参加した。(2人とも京都大学の出身で、京大出身の先生方は何故か出席を取らないという伝統があった。)それでも私はこの2人の先生の演習が楽しみで仕方がなかった。

 斎藤先生は河合隼雄氏を非常に嫌っていて、私も河合さんは好きになれなかった関係で急速に親しくなり、あの頃学習院大学の裏門の方にあったアパート(秋篠宮紀子さんも当時住んでいらした)に良く遊びに行って、心理学とも何ともつかぬ指導を受けていた。実際斎藤先生から受けた影響は未だに相当に大きい、ちなみに彼は臨床心理士資格認定協会を蛇蝎の如く嫌っていて(この辺も私と感性が似ている)最後まで資格をお取りにならなかったんじゃないかな。私もひねくれ者であるが、この斎藤文嗣先生は“筋金入り”の変人であった。

 話しは代わって、あの頃はまだ大学がつぶれるというのが現実に起きるとは考えにくかった。あの頃の女子高校生は一般的に女子短期大学の英文科か国文科を卒業して、会社で3年間働いて、めでたく寿退職をするという時代であった。4年制大学より短大卒の方が就職が良かった。そこで首都圏でもっともプレステージの高い女子大学は青山学院女子短期大学であった。(現在は4年制に昇格し、短大は廃校になっている)。男女雇用均等法もなく、女性社員はお茶くみとコピーをして、5時になったら帰宅してよかったなどのんびりした時代であった。一方で慶応や上智に行って、優良企業でバリバリ働く女性もいたなど、若い女性の生き方にバリエーションが許されていて、あの頃の方が女性は幸せだったのではないかな。そういうのんびりした時代に斎藤先生はすでに大学の大量倒産を予見していた。

 まだ少子高齢化という現象もなく、バブル助走期で、MARCHクラスの大学を卒業しておけば7割方は一部上場企業(今のプライム企業)に就職できた。斎藤先生が何故あの時に現代社会の大学大量倒産時代を予見出来たのか私には解らない。学習院女子短期大学などぬるま湯のような学校だからそれが見えたのかもしれない。当時は短大でも教職課程があって、そこで「教育心理学」「青年心理学」の2コマと一般教養の心理学を何コマか担当するので心理学の教員は短大にも1人は必要とされていた。斎藤先生は京都大学大学院を修了されたあと、学習院女子短期大学に引き抜かれた。斎藤先生はさらに「地方の短大から潰れていくであろう」とも予言された。

 あれから30年、恵泉女学園大学に続き、神戸海星女学院大学が学生の募集を停止した。神戸海星女学院大学のことは良く知らないので、HPで早速検索すると、カトリック系お嬢様大学である、それも宗教色が強すぎるという印象を受けた。学生募集停止については今のところHPでは確認できない。これは大学大量倒産時代の前触れだろう。2つの大学に共通しているのは、キリスト教系女子大学であること、それと首都圏や京阪圏など多くの大学のある地域にあったということである。まだ地方ではお茶くみコピーOL養成大学が必要とされているようで、この点「地方の短大から潰れる」という斎藤先生の予言は外れたが、誤差の範囲内だろう。

 カトリックはある時期まで“近代”を受容しなかった。自分達の世界で自己完結していた。(聖母マリアの無原罪のやどり、法王と公会議の無誤謬性、「晴佐久神父・十字の祈りは万能」など枚挙にいとまないが)。今、私の目の前にはエミール・ラゲ神父訳の新約聖書があるが、マタイ伝先行説などいろいろ妄想(と言って悪ければ護教論)の注釈が沢山書かれていて、読んでいて失笑を禁じ得ない。1960年代の第二バチカン公会議がなければ、カトリックは現在生き残ることが出来なかったであろう。

 鎌倉にも清泉女学院大学付属の小学校、中高があって、うら若い乙女がここで学ぶのはいいにしても、多くのシスターの言うことは現実から乖離している。女性がある時期(中学生・高校生時代)に女子高で学ぶのには私は実は賛成である。この時期(自分が精神的にも肉体的にも“子を産む身体、子を育てる精神”になる時期)に女子だけは保護されて教育された方がむしろ健全に育つ。ただ大学4年間は違う。

 神のなさることは時にかなって美しい。こうした4年制女子大学がどんどんつぶれていくのに、私は一種の“摂理”すら感じる。