23-3-28(火)

 現在深夜3時。さきほど和室の布団から起き上がった時には、一体何がどうなっているのか解らなかった。昨日の午後に久々に時間が空いたので、美容院に行ってシャンプー・カットをしてもらい、その足で大船駅~砂押川沿いを散歩し、花見を楽しんだ。鎌倉には桜の名所がいくらでもあるが、今週いっぱいくらいが見ごろであろう。この川は大船駅の真下を流れているのであるが、川の北側は横浜市で南側は鎌倉市の管轄下にある。いずれにしてもこの川べりの桜並木は見事であり、思わず「関東上流江戸桜!」と口づさみながらの散歩となった。川の桜並木沿いには鎌倉女子大学がある。鎌倉女子大学はFランクだという噂もあるが、私はその噂を疑っている。ここは幼児教育に強く、全国でも珍しく「こども心理学科」がある。保育士、教員、管理栄養士などの資格を取るには良い学校であろうし、10年くらい前にここを受けて落ちた知り合いの女子高校生がいたので、やはりFランクではないだろう。いわゆる「関東上流江戸桜」も資格取得を売り物にしているが、こうなってくると専門学校とあまり変わらないが、これから先、こうした大学群と専門学校がどう棲み分けをしていくかは注目に値する。

 先日、看護学校の講師会議が4年ぶりくらいに開催されて、東京まで行ってきたが、少子化の影響で、看護大学を志望をシフトする学生も多く、単科の看護学校も学生を集めるのに必死であるらしい。しかし、「なるべく早く看護師になって、臨床の現場で働きたい」とか「救命救急で働いたり、フライトナースになりたい」などの希望がある場合は看護専門学校(正看護師コース、もういい加減准看護師制度は廃止した方がいいだろう)の方が良いだろう。学問的研究、例えば「新しいターミナルケアの理論を極めたい」というような人は看護大学への進学に向いている。私が上智大学の大学院に入学した時も「臨床の現場で働きたければ上智もいいでしょう。しかし大学の教員になりたければ都立大学の大学院をお薦めします」と今は亡き福島章先生からアドバイスを受けた。要はFランク(?)であっても、自分の将来就きたい職とその資格を取るためのサポートが充実している大学なら、志望価値がある。そして“大学”と銘打つからには実は何人か「学者」がおり、何らかの学問(哲学・文学・歴史などや、その他社会科学、自然科学)に関心を持ち始めた時には、そういう出会いに恵まれるチャンスは必ずあるのである。私は日本人の多くに学問を研究する(lernenではなくstudiren)する喜びを知って欲しいが、「そんなものは関心がない。資格が欲しい」とおっしゃる若者がここのところ増えているらしいので、専門学校や“関東上流江戸桜”もFランク(私はこれも疑問に思っているが)と言われる学校も存在価値がある。何にしても青春時代に学んだことは何であれ、決して無駄にはならない。

 さて、恵泉女学園大学が学生の募集を打ち切り、廃校となることが決まったそうである。「自分の通っていた大学が廃校になったらいやだろうな」(もっとも都立田園調布高校は是非廃校になってもらいたいと思うくらいいやな思いでしかない。あそこに行ったため、私のアタマは一時的にではあるが壊れてしまった。建学の理念など何もなく、かといって進学校に徹することも出来ない中途半端な高校で、都立高校にしては珍しく4年制の学校であった。3年間通うとアタマが壊れて、1年間リハビリをして(一般には浪人と言う)、その後大学に入るというのが多くの学生がたどる運命であった。)というのが素直な感想である。ここのところ女子大離れが著しく、今後こういう大学も増えてくるのであろう。ここの大学の失敗は2つある。

 一つはキャンパスが都心から離れすぎていたこと。そのため園芸などに力を入れるだけの広いキャンパスを持つことが出来たなどメリットもあったが、80年代以後、「東京の大学に進学したい」と上京してくる学生をとりこめなかった。文化庁が京都に移転したものの、いまだやはり地方の高校生にとって「東京の学校で学ぶ」ことは魅力である。中央大学の法学部が極めて優れたファンダメンタルをもっているのに偏差値で出遅れている(いた?)のは、やはり八王子への移転と言う失敗からきている。

 もう一つはここ(恵泉女学院大学)はキリスト教系の学校なのに、荒井献など極左の無神論者を学長に迎えるなど最悪の選択をしてしまったことだろう。荒井献について紹介しよう。彼は東京大学の大学院を出た後、ドイツに留学して、当時流行していたナグ・ハマデイ文書や、外典の『トマスによる福音書』などを研究して、それを日本に紹介し、帰国後は東京大学の教授として迎えられ、日本基督教団の信徒の癖に、それとなくサヨク系・無神論系の神学を忍び込ませた本を沢山出版した。今でもグノーシス派(異端と言われている)では日本では権威だろう。そんなものを研究しているうちにアタマが壊れてしまったらしく、それでも権威に弱い日本人には何かひとかどのものに見えたのだろう、東大を定年退官後、恵泉女学院大学に学長として迎えられた。もっとも彼はいくらか役に立つ本も書いており、『イエスとその時代』(岩波新書)などは私も面白かった。もっともこの本は田川建三氏が書いたもの剽窃らしく、タイプライターを打つスピードが田川建三氏より早かったため、荒井献の業績になってしまったらしい。その他『人が神にならないために』『新約聖書の女性観』など枚挙にいとまのないくらい酷い本を沢山書いている。

これは私の想像にすぎないが、恵泉女学園大学の学生を何人も家に読んで、豪華なデイナーを食べながらボジョレ・ヌーボーを飲んで、イエスの教え(というか異端的な神学思想)について食後コーヒーを飲みながら歓談する、そんなタイプの学者だろう。キリスト教と言うのはそんなに生易しいものではない。イエスは人類の罪を贖うために十字架の苦難を味わった。その苦しみが彼にはついには解らなかったのだろう。

 最後に、私のブログは現代の金融資本主義に毒された日本人に真の覚醒を喚起させることを目的として書かれている。クリスチャン系の学校でも遠慮なく叩く。今度叩くのは国際、ならぬ反日基督教大学(ICU)あたりになることは慧眼な読者は推察されていることであろう。

 これから大学や専門学校に行こうとしている人は、よほど慎重に進学先を選んだほうがいい。今はただ、恵泉女学園大学の卒業生たちには気の毒であるが、ああいう学校には最初からかかわりを持たないよう、高校生たちには助言をしておきたい。進学先を決める前に良く調べるのだ。

 

(荒井献が極左の無神論者(彼はこれを必死で隠蔽しているが)である、などと言うことはよほどの専門家でないと解らないだろう。だから高校3年生になって、キリスト教系の大学、短大、専門学校を受ける場合、一度北鎌倉心理相談室に来て、私の助言を受けておいた方がいい。何故か私はこの分野に関しては膨大な知識がある。)