22-8-27(土)

 母の介護その他で疲労がピークに達している。もっともキリストは私を見捨て給わず、この2日間くらい、夜の気温が落ちている(ような気がするだけであって、実際には熱帯夜が続いているし、また今日も猛暑日で気温が32度もある。本当のところ人間の体感などというものはあてにならず、「人間は何にでも慣れてしまうものだ」というドストエフスキーの言葉が真実であると重みを増してくる。)昨日、同期の女の子からメールが入って、上智大学でお世話になった福嶋章先生がお亡くなりになったとのこと。8月1日に永眠、23日(火)に上智大学から発表があったそう。死因も喪主も未発表。ここのところ心身ともにまいっていて、ニュースもほとんど聞かなかったので、あれだけの方がお亡くなりになったので、どれくらいマスゴミが騒いだのか良くは解らない。

 福嶋先生とは賀状の交換はずっと続けていた、と言っても先生の場合、大勢の教え子がいらっしゃるので、お返事をいただける年の方が少なかった。お返事を下さるのは、たいてい先生が何か本をお書きになって、それが私の興味・関心をそそる内容であった時に「今度音楽家の病跡に関する本を書きました。出版社は××です」というような端書がしてあって、それがことごとく私の興味を惹く内容であったので、つい術中にはまって購入してしまった。

 福嶋先生はその生涯にわたって多くの良い本をお書きになった(くだらない本もお書きになったが、笑)。上智大学を定年退任された時に、当時の心理学科長であったクスマノ先生(カウンセリング専攻)が「100冊近くお書きになった」とおっしゃっていたが、100冊ではきかなかったような気がする。最初にお書きになったのは、土居健郎先生編集の『精神療法の臨床と指導』の中の1ケースで、この本は東京大学医学部精神科のグループ・スーパーヴィジョンで提出されたケースを土居先生がまとめて本にされたもので、この時期(1980年より前だったと思う)には類書がなかったので、随分評判になって売れたらしい。福嶋先生のところにもおこづかいが入ったらしく、「あの体験に条件付けされて、本を書いて印税を稼ぐ楽さ加減を学んでしまった」と後日おっしゃっていたが、上智大学を退官された後も、どこか別の大学に天下ることはなかったが、本だけはお書きになっていらした。ここ10年くらい、新刊書がなかったので、先日親友の精神科医と談笑していた時に「福嶋先生どうされたかね」と噂話しをしていた直後のことであった。

 前述のように、福嶋先生は良い本をお書きになったが、どうかと思うような本もまたお書きになった、もっとも下らない本であっても、そこにはどこか人を惹き付けるような魅力があったのも事実である。今日はその中で一冊だけご紹介して終わりにしよう。

 『子供を殺す、子供たち』(河出書房、2005。現在では絶版になっているらしいが、アマゾンの古本屋などで簡単に手に入るので、ご興味のある方はお買い求めになったらよかろうと思う。)と言う題で、これはもともとアメリカで同名の名著があるらしい(そちらは私は読んでいない)。いわばそのオマージュで題名だけ借りているのであるが、当時問題になり始めた「子供」による猟奇的な殺人事件(確か3つくらいのケーースが入っていたと思う、酒鬼薔薇聖斗も勿論入っている)に関する精神医学・心理学的な知見を用いた分析(一部は福嶋先生ご自身の想像も入っていたような記憶がある)であり、学術的専門性を度外視すれば読み物としては非常に面白い。このように福嶋先生の本は大学の教養課程にいる間(高校を卒業して、もう一段高い知識を得たいと思っている人)への啓蒙書として非常に優れている。私の知り合いの精神分析医が、まだ未熟で知識も乏しかった頃『精神分析で何がわかるか』(講談社、ブルーバックス)を読んで非常に感銘を受けたらしいが、「あれは大学1,2年のうちに卒業しておかなければダメだよ」と私がコメントしたのが不満であったらしい。何にしても精神分析や犯罪心理学に関する新書を書かせたらこの人の右に出る人はそうはいないだろう。

 話はそれてしまったが、『子供を殺す、子供たち』(先日も中学2年生の女の子が「死刑になりたい」と言って面識のない人を刺したが、この女子中学生、少年法について何も知らないらしい)の中で圧巻なのは最終章(付録のような扱いであったと思う)の「予はいかにして犯罪心理学者となりしか」という短い自伝のようなエッセイである。福嶋先生は小学校の頃、劣等生で学校になじめず、身体も弱く、不登校気味であった。(本人は自分で「発達障碍の傾向があった」と書いている)病院に入院していた時期も長く、府立中学(都立大学付属高校)に入学した後もあまり学校には行かなかったらしい。しかし、同じ病室の患者さんたちから啓発されるところはあって、また自習はしていたらしく、何年か遅れて高校を卒業した時にはどこの大学の何学部でも簡単には入れれるくらいの学力がついていた。小さい頃から好きで尊敬していた宮澤賢治の研究をしようと東大の文学部に行くか、医学部に行って精神医学を勉強するか迷ったが、高校の先生に「福嶋君は医学部に行って精神医学を勉強したらいいでしょう」との一言で東大の医学部に入学。発達障碍であったのがかえって幸いし、解剖学の骨の名前(ほとんどの医学生にとっては、退屈で興味が持てない)を喜々として暗記したそう。(すでに小学生の時から東京から神戸までの東海道線の駅を全て暗記していたなど、特異な才能があった)。この本を読んだ後、偶然学会で出会って「先生本当に発達障碍だったのですか?」と直接お聞きしたところ、この自伝的エッセイは実話に近いとのことであった。

 この「予はいかにして犯罪心理学者となりしか」は病跡学者の病跡として優れている。しかし福嶋先生の本もいずれは読まれなくなる日が来るのだろう。ここでは紹介しなかったが、専門書の方では未だ読む価値のある本は実は多く、『犯罪心理学研究』などは圧倒させられる迫力がある。

 福嶋章先生は享年86歳、私の母と同い年である。こころよりご冥福をお祈りします。