22-6-26(日)

 今週も”主の日“(普通の言い方をすると日曜日。聖書によると”週の初めの日”(日曜日)にキリストが死者のうちから復活されたので、草創期のキリスト教会は“パンを裂いてともに分かち合う儀式”(今でいえば聖餐式やミサ)を行ってキリストの復活を記念していたそうである。それが2千年も続いて、遠い日本でも日曜日にはキリスト教の教会に行くことになっているというのは凄い伝統である。)なので私も少しゆっくり出来る。

 先週は1週間大変であった。横浜での母の介護を1週間休ませてもらって、月曜日には眼科に行った。クスリはまだ余っているのであるが、母の状態がいつ急変するかもわからないので、精神的に全く余裕がない。姉はとうとう介護に伴う精神的負担に耐えられず介護放棄の暴挙に出たが、その分弟が月に1回代理受診に行ってくれることになり、木曜日には妹も実家に来てくれたらしい。

 薬局に行って薬剤師さんと話しをする。眼科(緑内障)の薬をもらったにもかかわらず、眼科の薬はどうでもよく、ずっと睡眠薬の話しをしていた。ここのところ介護のストレスで眠れず、ブロチゾラムは勿論、ニトラゼパムやエスタゾラム(いずれも半減期が長い)など乱用していたのを親友の精神科医に激怒されてブロチゾラムとジアゼパムという平凡な処方に戻してもらった。確かに私は横浜市立大学助教授(当時)の井関栄三先生から精神科のクスリの使い方の手ほどきを受けたが、我々公認心理師に欠けているのはクスリの作用に関する知識ではなく副作用に関する知識であろう。しっかりとプロの薬剤師の指導を受けようと、この日から“かかりつけ薬剤師”をつけてもらった。若いころから不眠が酷かったのが、ここに来ていくらかましになって、クスリなしでも眠れたし、眠れない時に頓服でジアゼパムを微量使うという程度まで回復したが、3年間にわたる介護生活で睡眠はボロボロになった。精神科医、薬剤師に従って1週間、睡眠は落ち着かないが、とにかく仕事に穴をあけない程度には眠れている。この辺は「餅は餅屋」だけのことはあって、精神科や心療内科にかかっている人は医師と薬剤師の指示に従った方がいい。私がこう書いてもあまり説得力はないが。

 ちゃんと医師と薬剤師の指導に従ってクスリを飲んでいるのに、今一つ睡眠時間が安定しないのは(私は午後9時に寝て、午前3時~5時に起床する生活を理想としている)季節の急変にある。24(金)に、それまで梅雨ではっきりしなかった天気が急に真夏のように暑くなった。私は天気予報でそれを確認し、さらに木曜日、金曜日はセッションが少ないので、梅雨でたまった洗濯物を大量に洗濯して干した。急な雨が降らないことも解っていたので、昼食後、3時間ほどお昼寝をした。かなり深く眠れたらしく、MUFJ証券の新しい担当者の方から連絡があるまで熟睡した。普通疲れをとるために横になるのは「仮眠」と言うらしいが、私にとっては「お昼寝」に近かった。(ちなみに人間は昔は一日に2度寝ていたらしい。系統発生的に見ても、お昼ご飯を食べた後2~3時間くらい寝るのは理にかなっている。イタリアのレストランではランチの時間が終わると、レストランの人は午後5時頃まで寝て、その後デイナーの準備にとりかかるらしい。)イタリア人やフランス人などラテン系民族は食べる楽しみを最大限まで極めている。彼等にとって夜1時などは“宵の口”であるそうだ。

 24(金)は鎌倉ではぎりぎり“真夏日””熱帯夜“は避けられたが、25(土)にはとうとう今年に入ってから初めての真夏日となって、昼間は32度くらいまで気温が上昇したらしい。なんだか”梅雨開け10日間“風の暑さであった。私はこの1週間の相談室のメインテナンスに疲れ切っていた。昨日も東京ガスの人がコンロの修理の見積もりに来た。こんな状態で起きていられるわけがなく、正午から午後6時まで、休憩室でお昼寝をした。医者が朝昼晩と微量にジアゼパムを飲むように言ってくるので、ストレスは軽減されるが、その分、いつでも仮眠が取れる。もっともセッションの入り方が不規則なので、医者もこういう形での処方にしたのであろう。相談室には休憩室があっていつでも仮眠が取れるので、セッションの合間なども頭の疲れをとった方が良かろう。

 さて、ブログを書く前は中森明菜の「伝説のコンサート」について思うところを書く予定であったが、もうそろそろ疲れてきたので今日はこれで終わりしたいと思う。ただ一言だけ書いておくと、もう30年近く前に事実上引退した(に近い)歌手の、「伝説のコンサート」が4K画質のリマスター版(アナログ人間の私には意味不明)になったというだけでファンの皆様は大騒ぎである。私は実はネットでもう5回近く見ているのであるが、確かに凄い才能である。天才と言ってもいいかもしれない。

 前も書いたが、私は自分は中森明菜程の天才でなかったことを実は神に感謝している。あの才能は半端ではない。天才というのは大抵何らかの精神科的な病気の被害者である。

私は小学校時代から苦しめられてきた不眠症と闘うくらいが精いっぱいで、これ以上病気を抱え込むのはまっぴらごめんである。