22-6-6(月)

 6月になった。鎌倉では今日、これから大雨が降るらしいなど、とうとう水無月らしい天候となってきている。2年ぶりに世間のものが元に戻っているので、私も歩調をあわせて北鎌倉心理相談室を(徹底した感染対策をしながらではあるが)再開して2か月になる。結論から言うと、再開してもまだマスク着用、3密を避ける、外出後はアルコール消毒をする、相談室を定期的に換気するなどいろいろな制約があるものの、よかったと思っている。

 先日はメガネ・スーパー大船店に行って、生まれて初めて「遠近両用メガネ」なるものを買った。保険などいろいろあわせて5万円くらいかかったが、作ってよかったと思っている。この「メガネ・スーパー」なる店、相当にブランド志向が強く、4千円もかけて徹底した視力検査をしたり、補償を3年間に延ばすために1万円しはらわされたり、メガネを作った後もいろいろなアフター・サービスがあるなど特典がついている。土曜日にとりに行って、それ以来今日まで使っているが、思ったより違和感がない。このメガネを買った動機は何と言っても看護学校の講義を続けるためである。綿密に作った講義録を見ながら、相当に遠くにいる学生さんを当ててて答えさせるということが「宇宙戦争」が始まって以来出来なくなってきたので、講義のためだけにも買おうと思って我慢していたが、一度できてみると四六時中使っていても大丈夫のようである。例外的に『新約聖書翻訳委員会訳・新約聖書』・通称“岩波訳”(私の嫌いな荒井献とそのお弟子さんが翻訳している)の本文はいいのだが、細かい注を読む時にはメガネを外している。細かい注釈が沢山ついているのがこの翻訳の魅力である。そういえば2度目に老眼鏡を買った時の動機もこの注を読むためであった。私は聖書はフランシスコ会訳か岩波訳でしか読まない(最近田川建三訳『新約聖書・本文のみ』も使っている)が、こういう注釈や解説のしっかりした“書物”しか私には役に立たない。岩波訳は絶版になっているらしいので、今のうちに手に入れておいた方がいい。(この間BOOK―OFFに行ったら売っていた。なかなかこういう偶然には出会えないものである。これからお読みになる方は岩波訳が見つからなければ田川建三訳をお買い求めになるとよかろう。こちらは予想に反して(?)増刷を繰り返しているし、慣れると読み易い。)

 聖書のことはともかく、今日はOFFなので健康麻雀教室に行ってみることにした。雀荘というのはそれこそ3密なのであるが、ここに来る人は年より(私より20歳以上年上の方がほとんど)が多く、年配の方は3度目のワクチンを打っている方がほとんどなので、解禁した。家にいて本を読んだりDVDを見たりしていると精神的に病んでくるので、一番大事な趣味はとっておいた方がいい。2年間も我慢したのだから、これくらいはいいだろうと思う。将棋もようやく精神的にも時間的にも余裕が出来て羽生義治先生の子供向けの入門書を再読し始めた。この本は子供向けではあるがバカに出来ず、完読した場合には恐らくアマチュア初段の実力がついているはずと言われている。私が“将棋アマチュア初段”にこだわるのは例の伊藤かりん(元乃木坂46)のこともあるが、それと「棋士・米長邦雄の病跡」(仮題)を書いてみたいとずっと思っていたからである。何かと奇行の多かった米長邦雄・永世棋聖であり、確かに精神的にバランスの悪いところがある(自分の浮気の体験談を本に書くのは止めた方がいい)が、それと米長先生の棋風(正統な“居飛車”“矢倉”を得意とするオーソドックな戦法で勉強になる)を何とか関連づけたいのであるが、それだけの棋力がないので、最低でも初段を取得した後書こうと思っている。

 3年近くずっと行けなかった歯医者にも昨日行ってきた。ただ、虫歯が相当あちこちにあるそうで、これを治すには定期的に通うしかないと言われた。コロナのこともあるが、母の介護が大詰めを迎えているので、とりあえず悪いところだけを治してもらった。

介護生活も3年目に入るが、私は今、人間はどのようにして死んでいくのか関心を持っている。こういう体験はなかなか出来ないし、また私も人間として母が死ぬのはそれなりに悲しいのであるが、人間は必ず死ぬのであって、それを否認したり無視したりする人や介護放棄をする人は哲学には向かないだろう。哲学者の中島義道先生(専攻はカント哲学)は一生の間死と向き合っていたが、中島先生ももう相当なお年であるはずである。カント哲学の中に救いがあったのかどうか私は知らないが、一つだけ言えることは、両親の介護というのは、一生のうちに1回はやっておいた方がいいということである。これをやっている人とやらない人は明らかに角一枚くらい心理臨床家としての実力が違ってくる。