22-3-13(日)

 相変わらず“介護鬱”が酷い、子育てと同様、介護は“待ったなし”で、鎌倉でこうして休んでいる時も常時出動態勢なのである、何かがあったら出撃しなければならない。だんだん精神的にもたなくなりつつある。父が帰天する前後は父が死ぬまでの看取りは姉に任せて、それ以後の葬式等は私がやるという役割分担があった(厳密にそういう約束があったわけではないが、結果としてそうなった。今考えてもそういう分担が一番良かっただろう、偶然とは言え最善の分担が出来たのである)。今回はどういう風になるのか良くは解らない。頭に気が上っているためか、こんなに暖かくなっているのに寒気がして、炬燵に入っている、そして入っているとすぐに寝てしまう。寝ている間は大抵悪夢を見ているためか、熟眠感がなく、すっきり起きられない。

昨日はとうとう精神科のクリニック(というか友人の家)に駆けこんだ。ちょうど診察が終わったところで、心理検査室で一緒に食事をしながら3時間ほど雑談した。もう午後になっていたので、さほど症状が悪くなってはいなかったが、2人で話しあってとりあえずスルピリドは外してジアゼパムを適宜飲むという形でやってみることにした。前も書いたかもしれないが、修士論文を仕上げた後、“荷下ろし鬱”にかかった私は土居健郎先生に抗鬱剤ではなくマイナー・トランキライザーを処方された。彼(土居さんではなく私の友人)とはもっとも気のおけない友人ではあるが、なんだか疲れてしまって、3時頃にはお暇した。

鎌倉に帰ってくると、鎌倉女子大学の学生さんと思しき女の子たちがみんな着物を着て、晴着姿で大船の駅に向かっている。卒業証書をもって記念撮影をしている女の子たちもいた。昨日は鎌倉女子大学は卒業式であったらしい。こういうものを見ても普通に「綺麗だな」と感じられない、何が楽しいのか解らない、そもそも楽しいという感覚が思い出せない。「この娘たちは今日これから謝恩会に行って、2次会はカラオケで盛り上がるのだろうな」と思った瞬間、恐ろしいことに気がついた。今年はこの娘たちは、謝恩会もカラオケもあきらめなければならない、コロナ禍で蔓延措置防止なんとかがまだ出ているので、楽しい卒業式はこれで終わりなのである。私が2年前に教えたあの子たち(この学年は何故か個性的な子が多く、印象に残る娘が多かったが)からも「謝恩会中止」の手紙が来ていたし、また学校側も早目に決断しなければならないのだろう、「来年度の入学式は身内だけで開催する」旨の手紙が来ていた。小学校では始業式、終業式をオンラインでやらなければならず、さらに校歌を「心の中で歌う」ように強要されているらしい。こんな日々が何年も続くと気が触れてくるだろう。私の鬱も、介護が長引いているだけではなく、このコロナ禍の影響も大きい。

さて、こうしてリハビリの一環としてブログを書いてみたが、普段の3倍くらいの時間がかかって、内容はほぼない。あまりに酷い内容なので、投稿するのをやめようかと思ったが、このブログは私と読者の大事な交流の場だし、せっかく書いたのだからアップすることにした。

この1週間くらい、季節が大幅に前に進んで暖かくなってきている。そこでなるべく散歩に出て気晴らしをしているのであるが、体温の調節も上手くいかずにとにかく足元が冷える。鬱の要因はいろいろあるのであるが、私にとってこの病気の一番恐ろしい症状は思考制止(と言って、考えが前に進まないこと)である。