22-2-7(月)東京都感染者17,133人

 どうもここのところ寝てばかりいる。例のクスリ(抗鬱剤)の調整が今一つ上手く行っていない。ただこうして抑鬱状態に陥って見ると「自分は本当に元通りになれるのだろうか?」と不安になってくる。これは私が病院にいたころも、今こうして相談室で自営していても聞かれる非常にポピュラーな質問なのであり、さらにまた答えも決まっている。

「必ず以前のように良くなりますから、私たちを信じてください」

(ただ、これはいわゆる状況反応型の鬱(木村・笠原のメランコリー親和型の鬱)というしっかりとした見立てがあった上での解答でないといけない。それ以外の鬱だと薬物療法、休養・睡眠、規則正しい食事、軽い運動などだけでは治らない。どういう鬱に対してどういう治療をすればいいのかは違ってくるのであるが、ある種の精神科医は抗鬱剤さへ出せば全て治るというバカな考えで空手形を出している。私の経験からすると、一般的に若い鬱病患者に抗鬱剤を出すのはあまりよろしい処方ではない。(クスリを出さずに「本質的な治療をします」とのたもうバカな臨床心理士もいるにはいるが、もともと彼らには最初から期待をしていないので、腹も立たない)。例外的に双極性障害の鬱の場合にSSRIあたりが一時的に利く場合があるが、躁転の可能性もあり、気分調整剤を出した方が筋がいい処方である。)治療者としての見立てではまあ半年もすれば私は全快するのであるが、患者としての私はそれに不安を感じてしまい「いつまでも治らないのではないか?」とつい疑ってしまう。このあたりの実践心理は体験してみて興味深い。何にしてもクスリで治る鬱と、そうでない鬱(若い人に多い)があることは知っておいた方がいい。

 この「状況反応型」というのは昔の言葉では内因性鬱に近いのであるが、何らかのきっかけ(trigger)がある場合が多い。多くの場合、そのtriggerがなくてもまた別のことがtriggerになったに相違ないので、そういう意味では「抑鬱反応」(心因性の鬱)とも違ってくる。何にしても私の場合、いずれは鬱状態に陥ったのであろうから、誰かのせいではないということである。

 1月ほど前に、若い頃(現在でも若くて美しいが)父の秘書をしてくださった女性の弔問を受けたことがtriggerとなったようである。私は「一応これで父の葬りの作業は一通り終わった」というある種の荷下ろし状態からくる鬱と解釈していたが、どうもそれだけでもないらしい。その女性の方(名前がないと都合が悪いので、仮にSさんとしておく)は最初に父の秘書になった時に、父から「ようこそ大堀学校へ!」とあいさつされたらしい。こういう挨拶をする父(一応大会社の専務)も珍しいが、それに乗っていくSさんも珍しい。父が誰にでもこういう初対面の挨拶をするかどうか私は知らない。多分そうはしないであろう。

父とSさんの会話(大堀学校?)の内容というのは勿論会社の仕事の内容が多かったのであろうが、それ以上に音楽や文芸の話しが多かったようである。Sさんは「専務(父のこと)から私が学んだのは、一言で言えば教養です」とおっしゃった。父は誰か若くて才能のある女性に自分の教養(父は一応東京大学の教養学部を卒業している)を伝授したかったのではないであろうか?私たち兄弟も勿論父が音楽(クラシック音楽)を聴いているのを日常的につきあいで聴いていた。ただ、私の場合は室内楽の演奏家にはそれほどの関心はなかった。交響曲ではフルトウェングラーやカラヤン(重いか)の指揮を好んでいたが、Sさんが父から伝授された室内楽の教養は私の想定レベルをはるかに超えていた。

父はニーチェに関する卒論をドイツ語(!)書いて大学を卒業して、その後はアカデミズムの世界から離れて会社員として一生をおえたが、誰かに自分の音楽の教養を伝授したいという欲望を抑えがたく、Sさんという良き生徒に恵まれたのは父にとってもSさんにとっても幸運なことであった。「大堀学校」は来るものは拒まず、去るものは追わなかったらしいが、Sさんが晩年の父の話し相手をしてくれたことを私はこころから感謝している。

 考えて見れば私も似たようなことをしているのである。公認心理師や臨床心理士志望の学生さんや資格既得者にSV(スーパーヴィジョン)をすると称して、そこを勝手に「北鎌倉心理相談室・研修生コース」とか「大堀門下」とか名付けているが、私の場合も(そして父の場合も)基本的には1対1の指導である。そもそも指導をしているのかどうかすら解らない。ただ相手の話に適宜感想(コメント)を言っているだけの場合の方が多いかもしれない。

 私は下手の横好きで若い人たちを教育するのが好きだ。父もあるいはそうだったのかもしれない。Sさんのお陰で「大堀学校」の存在を知った(そしてその学校の生徒さんはSさんしかいなかったようである)私は、また一つ、父のことが懐かしく思い出されるように最近とみになった。