22-1-9(日)東京都感染者1,224人

 感染力の強いオミクロン株が蔓延し始めているためか、年末年始で人の大移動があったせいか解らないが、今年に入ってから日本でも新型コロナ・ウイルス軍が人類軍を圧倒している。沖縄県、広島県、山口県で蔓延防止措置だか何だかが発令されたらしい。東京都など首都圏でも先手を打って国に要望すべきであると私などは思ってしまうが、小池百合子は何もしない。こいつの打つ手はいつも手遅れで、危機感がほとんど感じられない。都民は最悪の時に最悪の都知事を選んでしまった。これほど無責任で危機意識の低い政治家も珍しい。

 『破戒』を読み始めた。面白い。家にこもってこんなものでも読んでいるしかしようがない。これは被差別部落の話しなのであるが、私は半世紀生きてきて、被差別部落民といわれる人たちに会ったことがない。また部落民であるということで差別されたという実例も知らない。これまで首都圏(とアメリカの大都市)以外のところに住んだことがないので、そういうことを知らないのは幸運であったのかどうかも解らない。大学を出た年に広島大学大学院を受けるので関西まで旅行に行って、そこで同じ身分の受験生の方と親しくなり、その方の家に泊めてもらっていろいろな話しを聞かせてもらったが、広島あたりだと大企業でも差別は相当にあるらしい。あと、出張で神戸少年鑑別所に行った時にも“反差別”を訴える人たちのデモに偶然出会った。(広島も神戸も一応太平洋ベルト地帯なのだけれど、都市化が進めば人間が匿名化されて、差別も自然に解消すると思ったがそうでもないらしい)。

 主人公瀬川丑松は被差別部落出身だが、それを隠して小学校の教員を生業としている。ところがここのところ、自分の出所進退のことが気がつかれるのではないかと言う強迫観念にとらわれて、酷く気が沈んでいる。長野の師範学校で同期であった友人の銀之助も丑松の人格変化を心配している。長野の師範学校ではかつて猪子蓮太郎という心理学の教員が部落民であるが故に不当解雇されてしまい、その後蓮太郎は今で言うカミング・アウトをして日本における貧困の問題や差別の問題に関して鋭い批判をする思想家として論陣をはり、差別容認派の人たちからも一目おかれている。(長野の師範学校と言えば現在の信州大学教育学部のことだろう。こういう旧師範学校系の教育学部の心理学科には結構一流の学者が在籍しているのを知ったのは学習院大学に入学して以後のことであった。そういえば学習院大学の助手をされていた岩立志津夫先生もここで教鞭をとっておられたことがあったはずである。猪子先生の場合、東京の高等師範学校を出て長野の師範学校に赴任されたのであろうか?(もっともそもそもが架空の人物であるが)。この頃の心理学というのはゲシュタルト心理学以前の哲学の認識論とか精神物理学(感覚心理学)のようなものであって、今の心理学とは随分と違うものである。)

 話はそれたが、(心理学の話しになると意味のない解説が長くなる)、瀬川丑松は当時の言葉でいえばある種の神経衰弱にかかっており、「自分が部落民であることが発覚して、社会から放逐される」という強迫観念とも妄想ともつかない考えに始終とらわれるようになって以来、かえって被差別部落民であることを疑わせるような行動ばかりとるようになる。かつて、アメリカの大詩人、エドガー・アラン・ポーが『黒猫』の中で、何かを病的に恐れると、そのもっとも恐れていることを故意(無意識的故意とでもいうのだろうか)に引き寄せてしまう心理を描いている。瀬川丑松もどう考えてもそれにはまっている。

 島崎藤村の“神経衰弱”の心理描写はかなり見事であり、藤村自身が生涯のある時期に同じ体験をしたことを投影しているものと考えられる。藤村は明治学院を出たあと、明治女学校とか言う女子高で教え子との間にスキャンダルを起こして退職させられている。(もっとも学校の若い教員が教え子と恋愛関係に陥って何が悪いのか良く解らないが、当時の観念ではセクシャル・ハラスメントに近かったのかもしれない)しかしその後、再度明治女学校に復帰しているなど、何だかよく解らない事件である。

 藤村はその後も何度か恋愛に絡んで問題を起こしているが、要は島崎藤村という人はナイーブな人(日本語にはない表現だが、“tender heart”の持ちぬし)だったようである。これだと被差別部落民でなくとも生きにくい人生を送ったのだろうと言う想像は働く。もっとも明治のこの時期に、藤村のような詩人小説家を持ったことは、日本近代文学にとっては一つの幸運であったのだろう。