21-12-4(土)

 今年の看護学校の講義がようやく終わった。

 最後の講義は「人間にとってこころの健康とはどういう状態を指すのか」と言う内容で精神看護学とか精神病理学を離れて私なりの考えを話してみた。この2年くらいの講義の中では良くできた方であったと思う。10年前、北里大学で講師をしていたころはそんなことばかり話していた。今では「看護師・国家試験対策」のような講義になって、その分実践的になっているのかもしれないが、アカデミックではなくなっているような気がする。他の先生方がどんな話しをされているのか解らない。コロナ禍で2年連続で講師会議が中止になっているので学校の内実もよくは解らない。私はこの看護学校が好きだし、また学生さんも可愛い。やっとなついた頃には講義が終わってしまうのが寂しい、それで毎年戴帽式に出ているのであるが、戴帽式もコロナ禍ということで外部の講師の先生は参加されていないよう。

 先日の講義は実は「この看護学校の最後の講義になるかもしれない」と覚悟して話していた。実は引退を考えているのである。学校側から送られてきたレターパックも全部お返ししたし、この学校にかかわって7年近くになっているが、そろそろ潮時ではないかと思っている。私の希望ではあと5年くらいは仕事を続けたいのであるが、気持ちばかりは若いけれど、だんだん身体がついていかなくなっている。

 講義が終わったその晩は9時間近くも寝て、翌朝6時に起きた。これは私の基準ではとんでもない朝寝坊なのであるが、それだけ精神的に緊張していたのだろう。ここのところ、緊張が酷くなると(寒いのもあるかもしれないが)筋肉が引っ張られるような気がして身体が酷く痛む。そこで抗不安薬(マイナー・トランキライザー、筋弛緩作用がある)を飲んでだましだまし体調を維持している。出席をとった時に気がついたのであるが、老眼(?)が進んで出席簿に書いてある学生さんの名前が良く読めないのである。そういうわけで毎回毎回は良い講義が出来なくなってきつつある。

 引き際を決めるのは真に難しい。私の好きな将棋を例に少し考えてみよう。私が大きな影響を受けた米長邦雄・永世棋聖は順位戦のA級から陥落した(次の年はB級1組のリーグで順位戦を戦うことになる)年に、フリークラスに転回して順位戦から引退した。その後は「将棋を指す」ことではなく「将棋界を運営する」仕事にまわり、日本将棋連盟の会長として、長い間赤字であった日本将棋連盟を黒字化したり、名人戦の主催問題で朝日、読売両新聞を手玉にとって、最終的には朝日新聞と読売新聞の共催に持ち込んだりした。この一連の事件によって将棋の「名人戦」というのは大新聞が取り合いをするほど価値のあるものだ、という印象を世間に与えるのに成功した。相当な策士である。

 話しを戻すが、「A級の棋士」(将棋界最強の10人で構成されている)というのはものすごくプライドが高いのである。例の藤井聡太四冠は現在B級1組で戦っていて、成績が上位なので、順当に行けば来年はA級で戦うことになる。誰かがA級に入るということは、誰か(A級で戦績の悪かった棋士)がB級に陥落するということである。米長先生はそれが耐えられなかったのだろう。

 一方加藤一二三先生はA級を陥落した後も順位戦に残り、B1級で戦うことを恥とはなさらなかった。加藤先生は将棋連盟の運営など出来ないが、将棋が好きで好きでたまらなかったらしく、その後B2→C1→C2と落ちてもあくまで順位戦に残った。そしてC2以下のクラスはないので、そこで成績が芳しくない、ということで引退された。

 米長先生と加藤先生とどちらの生き方が正しいのか私には解らない。私が分かっているのは、もう看護学校で「A級の講義」が出来なくなっているということである。これは歴然たる事実であるから、受け入れるしかない。

 毎年、看護学校の契約更新は4月にある。それまでまだ考える時間があるので、今すぐには結論を出す必要はないが、私は老害と言われてまで仕事にしがみつく気はない。誰かが私の出処進退について助言をしてくれるといいのになあ、と今は思っている。