21-9-13(月)

 今日から緊急事態宣言は9月30日までの延長戦に入る。大船の飲食店もそれに従い9月30日まで休むらしい。一方で今日の東京都の感染者は611人、順調に感染者は減っている。何故こうなったのか世の知者、学者には解らないらしいし、正直に言うが私も解らない。現在のところ国民の半分はワクチンを接種し終わっていることと何か関係があるだろう。そしてお盆、オリンピック、パラリンピックの喧騒が終わったことも。以前「ガースーが自民党の総裁選から身を引いて、粉骨砕身でコロナ対策にあたったら、コロナ禍は終息に向かうかもしれない」と書いたらその通りになってしまった。冗談はともかく、どうも世の中は私のブログを追いかけているような気(ごく初歩的な関係妄想)もするので、あまり悲観的なことを書くのはやめることにしよう。

 現在でも医療現場はひっ迫しているので、第五波がおさまっても緊急事態宣言を解除することは出来ない。私の家族、親戚、知り合いは皆感染から免れているのは神からのご加護としか言いようがないが、そうでなくても「現在まだ神奈川県で緊急事態宣言が出ている」というのは実感としては感じられない。緊急事態宣言で真に国民が自粛したのは2020年のゴールデン・ウイーク前後に日本中に緊急事態宣言が発令されたあの時だけだったのかもしれない。

 話しをちょっと変えるが、私が真に大阪の吉村洋文知事がすごいと思ったのはあの時である。吉村さんは第一回緊急事態宣言の時に自粛要請に応えないパチンコ屋と妥協せず戦って勝った。知る人ぞ知る「パチンコ屋の倒産を応援するブログ」というブログがあって、私も前は時々見ていた。(もっともこのブログは政治のことばかり書いてあって、パチンコのことはほとんど書かれていないという誠に不思議なブログである)。パチンコ屋の売り上げは朝鮮総連を通して北朝鮮に流れているという噂がある。今日も北朝鮮がミサイルの打ち上げをするなど火遊びをしているが、日本は憲法を改正してでもこういうふざけた火遊びをやめさせるべきである。

 もう思い切って書いてしまうが、その噂の真偽はともかくとして、私はパチンコ屋が大嫌いなのである。大船は小さな町なのに、パチンコ屋が三軒もあり、目障りである。(鎌倉うちには私が知っている範囲ではない。また、大船にはガールズ・バーなど風俗店があるらしいが、鎌倉うちにはない。)パチンコなど下らぬギャンブル店があると、何故か風紀が乱れてくる。ギャンブルとはちょっと話しが逸れるが、横須賀市は米軍基地があるため風紀が乱れて中学生でも妊娠する子がいるし、また全国で最も登校拒否児の割合が多いと聞いている。夜8時過ぎの横須賀市の巷など男性の私であっても危険で歩く気になれない。上述のようにパチンコ屋にはいろいろな利権が絡んでいる。政治家は皆それを知っているので“必要悪”として放置している。それと吉村洋文さんは徹底的に戦った。今でこそいろいろな毀誉褒貶があるが、吉村さんのような政治家はもう出ないかもしれない。私の中では“吉村洋文”はヒーローであって、ギャンブルや風俗と戦ってくれる政治家がもっと増えてほしいと思う。

 せっかくだからもう一人名前を挙げておくが、横浜新市長の山中竹春氏にも私は一定程度の期待をしている。私の嫌いな立憲民主党の推薦を受けていること、もともと学者であって(医師ではないが、医学部の教授であったことは事実)政治家としてやってゆけるか不安が残ること、横浜市大医学部からは良い噂を聞かないことなど不審な点はあるが、「カジノを含むIR」などというものは誘致しないでほしい。あんなものが出来たら伊勢佐木町は勿論、桜木町、関内、石川町、みなとみらい地区などが汚染され、横浜の良さが台無しになり、横須賀の2の舞になるだろう。だから山中竹春氏を操り人形にして、カジノ誘致を撤回させ、然る後に彼のパワーハラスメントを暴いて失脚させるのが望ましい。私が書かなくてもそういう方向で動いている人たちが一定程度いるはず。政治というのはそういうものである。

 「知的でないギャンブルは低級」という固定観念のようなものが私の中で抜きがたくある。そんなことを思っていたら、藤井聡太君が叡王戦の5番勝負を制して史上最年少の3冠となったというニュースが入ってきた。藤井聡太君は発達障碍の傾向が明らかにあるが、将棋と出会えたおかげで天才扱いである。(私が発達障碍と書く場合は精神医学的な見立てを書いているだけであって、藤井君を貶める意図は全くない)。藤井君にはすでに挑戦権を得ている「竜王」を是非奪取していただきたい。数多い棋戦の中でも「名人」と「竜王」は別格であり、優勝した場合の賞金は4千4百円(4百万円は消費税であるらしい)と桁違いに高い。ゲームの好きな人はパチンコなどやめて、将棋や競技麻雀などを趣味として、つねに知性を磨いておきたいものである。

 

(私が将棋と麻雀を趣味としてやっていることを聞いた人は大抵「将棋と麻雀とどっちが好きですか」と聞いてくる。私は両方とも同じくらい好きであるが、将棋が論理的、数学的思考力のみを要求してくるのに対して(上級プロはそうとは言えないが)、麻雀はもう少し人間の複雑な事象を扱っているような気がする。いわば文系的な能力が必要とされるのである。かつて米長邦雄永世棋聖と中原誠十六世名人がライバルとしてしのぎを削っていた頃は、将棋はもう少し文系的な要素(人間対人間)という部分があった。将棋を理系にひっぱってしまったのは羽生善治世代の人たちかもしれない。次世代のリーダーとなる藤井聡太君が将棋界をどちらに引っ張っていくのか、私は興味をもって見守っている。)