3が日の最後の日は、やはり生まれた街の散策、そして序に鎌倉うちを散歩した。

 午後3時頃相談室に戻ってくると、賀状が何枚か届いていた。これからまだあと2~3日は賀状が届くであろう。そうしたら本格的に寒中見舞い作戦を開始しなければならない。

 かつて精神病院に勤務していた頃親しかった若い看護婦さんから賀状が来ていた。私と彼女は恋人同士であったことは一度もない。それでもよく一緒にご飯を食べに行ったりお茶を飲んだりした。そういう「絶対にお互いを恋人同士と考えない」という暗黙の了解があったからこそ、細々と賀状の交換が長続きしているのであろう。彼女は今結婚して幸せに暮らしている。

 彼女(Aさんとしておく)は公認心理師の試験を受けるそうである。なんだか久々に明るいニュースを聞いたような気持ちになった。かつて病院に勤務していた頃、集団精神療法を私が主催していて、看護師さんと薬剤師さんにも入ってもらった。(薬剤師さんはすぐにリタイアした。)その中でも抜群の頭角を現したのがM主任とAさんであった。これから病院などで集団精神療法(エンカウンター・グループ型であってもサイコドラマ型であってもいいが)をやろうと思っている公認心理師の方は、誰か看護師さんにファシリテーターとして入ってもらうと上手く行く。お互いに発言の視点、観察の視点など違って、それが非常に私には勉強になった。公認心理師試験(Gコース。現任者のためのコース)はまだあと3年チャンスがあり、我こそはという人は今のうちに受けておいた方がいい。

 アメブロの仲間でも公認心理師を目指している人は多い。最近私が愛読しているBさん(学校の先生であるらしい)は去年公認心理師試験を受けて見事通ったそうである。しかし問題なのはこの資格は職業生活(心理学で生活していくこと)の場を保証するプラチナ・チケットではないということである。臨床心理士の指定大学院制度があまりに酷く、大学院を通って資格を取りさえすれば「こころの専門家」(う、恥ずかしい言葉だ)になれてバラ色の未来が開けるかのようなプロパガンダを振り回した結果、臨床心理士という資格を持った大量のニートを産みだした。これから公認心理師(あるいは臨床心理士、もっともまだ臨床心理士に拘泥して泥沼にはまる人はもうそう多くはないと思うが)を目指す人はしっかりと地に足をつけ自分の出来そうな仕事の場を最初から確保し、ありが巣を作るようにじわじわと活動の場を広げて欲しい。(指定大学院は就職の面倒など見てくれない)。

 その点Cさんは賢く立ち回っているようである。彼女については心理学科を出ているが認定心理士は取っていないこと、PSW(精神保健福祉士)の資格があるということくらいしか知らないが、去年の9月頃転職し、見事心理職(児童判定員のような仕事らしい)として現在働いている。どういうルートでそういう転職が出来たのかは定かではないが、恐らく周囲との人間関係にかなり気を使ってすべりこんだのであろう。(こういう風にコネを利用するのも実力の一部である。)Cさんは現任者講習会を受講したそうなので、あと3回のチャンスを生かして公認心理師になって欲しい。

 最後に、親しい人なのでHNを出すが看護師のまかなたさん。彼女は昨年「精神保健福祉士」とケアマネージャーの資格を取って3冠を達成した。今後「看護師」に軸を置くのかケアマネージャーの方に進むのか迷っているようである。公認心理師は取得するのかどうか解らない。強運の星のもとに産まれた人であるから受ければ通るだろうけれど、現任者講習会出席の時間をどう確保するかが課題である。

 ちなみに私の相談室もこれまでスーパーヴァイジー(お弟子さんのようなもの)とも教育分析を受けるともはっきりしないが、心理の専門職(臨床心理士、公認心理師)を目指して通ってきている人が少なからずいる。そしてそのほとんどが資格を取得して、資格を生かした仕事についている。もっとも私は「ああしろ」「こうしろ」と言う類のことは一切言わないで、スーパーヴァイジーは自由にやりたいことをしているようである。スーパーヴァイジーの自由を最大限尊重した自由放任、しかし後ろからしっかりと見守っていくというやりかたは、霜山徳爾先生のやりかたそのものである。

 若い人には多くの可能性があるので、その芽をつまずに、時々まわりの雑草だけを抜いてゆけば、たいていはすくすくと育ってゆくものである。