師走に入った、ここのところ朝の冷え込みが凄い。先月の後半くらいから、持病の末端冷え性が酷くなってきた。いろいろ立て込んでいて、今年は年内に賀状は書けないかもしれない。何かその代わりの挨拶の方法を考えている。
昨晩は湘南地区の開業精神科医、公認心理師の忘年会があった。(ちなみに私は幹事)。最後まで開催が危ぶまれたが、結局開催出来て良かった。昨日は若い女医さんの参加もあって、華やいだ雰囲気もあった。この会は年に2回しかないのであるが、可能な限り続けてゆきたい。
今年のお代替わり、アメリカにおけるp.c.運動と来年の大統領選挙など話題はつきず、私は聞き役にまわっていたが、最後の30分ほどは精神分析医(アメリカで精神分析の資格をとってきたと聞いている)がケースを提供して、みんなでコメントを出しあうというケース研究会のような雰囲気になってきた。ケースの内容について書くことはここでは控えるが、彼はつくづくユング派(チューリッヒ)に行けば、もっと花開いたのにと残念であった。(もっとも彼はユングも読んではいるのであるが、トレーニングの方法が違って、どうしてもフロイト的な分析をやってしまう。この点、どういうトレーニングを受けえるかはちょっと気を使っておいた方がいい。)
日本で“自称”ユング派になりたければ河合隼雄氏の『ユング心理学入門』をとりあえず読んで、その後は河合氏の本は読まず、ひたすらユング自身の書いたものを読み、そのうち河合隼雄氏の前述の本は相対的に思えてくるようになるであろう。そうなった時にあなたはユングをおぼろげながらも理解し始めているのである。(河合氏の本は、理系の悪思想に汚染されているので、入門時はしかたがないが、なるべく早くそのレベルを脱する必要がある、ということ。)
私もこのケースについてコメントした。ヤスパースによる統合失調症発症前のプロセスについてまず述べ、
「フロイトがこう書いている、というような自己正統化の方法は「聖書にはこう書いてある」というような自己義認と同じでくだらない。ヤスパースは「哲学的な教義(?)になるぎりぎりの手前のところ(思考が高度に高まっているところ)にとどまり続けることがすなわち哲学をするということだ、という趣旨のことを述べている。それはつらいことには違いないがそれに耐えるしかない。何かの教義に救いを求めるのではなく、神(真理)そのものに直接に触れていくことがもっとも大事なのでは?」と申し上げると、「その考えに100%賛成です」と精神分析医に言われた。
ヤスパースは精神病理学者としても哲学者としても超一流の業績を残した。そして、同一人物である以上、精神病理学者としてのヤスパースと、哲学者としてのヤスパースの距離は案外近いのかもしれない。
(今朝起きてちょっと調べてみると思った通りで、『現代精神医学事典』の「ヤスパース」の項目(加藤敏先生がお書きになっている)に「ヤスパースは哲学に転じた後も、精神医学をやめたわけではなく、『精神病理学言論』は9版まで改定が続けられた」と書いてある。何にしても知的な仲間との会話は多くの知見をもたらせてくれるし、それがまた臨床に生きてくる。くれぐれも「河合隼雄先生はこうおっしゃった」というような枕詞は使わず、自分で考える(selbstdenken)ことが大事である。)