多くの高校生は何故偏差値の高い学校に行きたがるのであろうか?実はある時期まで私はそれを知らなかったが、どうやら「良い会社」に就職したい、というのがその動機のようである。(ここで言う良い会社とは、給与を沢山くれて、福利厚生の面でも充実しているというような意味。)あるいは「国家公務員上級試験に通って財務省に入り、行政の中核をにないたい」というような人もいるかもしれない。何にしても「高い給与」「高い地位」「高い名誉」というようなものが動機であるようだ。そういう動機を私は全面的に否定する気はないが、もう少し「自分の適性」というようなものを考えて、「自分はこういう人間になりたいので、こういう学校に行きたい」というような素朴な、しかし一番大事な動機で進学先を考えてみてもいいのではないであろうか?私はそのようにして大学を選んできて、そしてその結果は非常に満足すべきものであった。学習院大学も上智大学も、偏差値が今高いのか低いのか良くは知らないが、少なくとも私にはあっていたし、私はこれらの大学を、私という人格を形成する上で上手く利用したと思って感謝している。

 さて、秋篠宮紀子様は悠仁様を東京大学に進学させようと狂奔している。とても正気とは思えない。秋篠宮家は眞子様も佳子様も学習院大学への進学を避けているが、ひょっとして、「親のようにはなりたくない」という反抗心の顕れであろうか?何にしても自分の母校を愛せない人(秋篠宮様、紀子様)は気の毒な人だと思う。悠仁様の場合、将来天皇陛下として即位すべき運命のもとに生まれたのであるから、私たち庶民とは違ってアイデンテイの問題で悩む必要はない。(悩む必要はない、というのは実は悩みの種でもあるのであるが)。天皇陛下をはじめとして、皇室の方に必要なのは、国民、それも貧しかったり社会的弱者であったりする方々に寄り添うことである。また国民の模範として品位のある生活や立ち居振る舞いをすること、そのためには高貴な家庭のご学友と共に青春時代を過ごすことである。これらは全て学習院において体験できることである。勿論悠仁様が高校に進学された時に、「東京大学農学部の××先生のもとで生物学を研究したい」というようなはっきりした動機があって進学を希望されるならば、また話しは変わってくるが、幼稚園、小学校、中学・高校くらいまでは学習院で学ばせるべきであった。勿論学習院より東大の方が偏差値が高い。しかし何故そうであるのかを考えると、東大の場合は国家公務員上級試験に通って高級官僚になるうえで圧倒的に有利であり、そういう目標があるのであれば学習院大学ではダメだからである。しかし果たして悠仁様は国家公務員上級試験を受験するおつもりなのであろうか?紀子様はそんなことを国民が望んでいるとでも思っているのであろうか?東京大学の偏差値は高いかもしれないが、教育の目的によっては学習院大学の方が良い場合もあるのである。

 国際基督教大学も恐らく学習院大学より偏差値が高いであろう。ここは英語教育が充実していて、上智大学出の私が唯一英会話で一目置く女性はここの大学院を出て、アメリカの方と結婚して、現在では何か研究職をされているはずである。三菱UFJ銀行(笑)や住友商事など優良企業に入社して、バリバリ働くキャリア・ウーマンになりたいという希望があれば、ここは良い進学先である。しかし眞子様も佳子様も大学を卒業された後、キャリア・ウーマンになったという話しは聞かない。そして眞子様の研究課題である美学・美術史の分野でも、佳子様の研究された認知心理学の分野でも、学習院大学の方が優れた教授陣と研究環境を整えている。もともと国際基督教大学は英語教育以外にこれと言ってみるべきものはない。土居健郎先生(精神分析・精神衛生)や田川建三先生(新約聖書学)など大物教授を招聘しても、短い期間で去られているのは、ここで言う「キリスト教」がかなり偏狭なプロテスタンテイズムに凝り固まっているからである。だから思想的にしっかりしたものがなく、ただアメリカかぶれしただけのチャラい男(読者よ、悟れ)でも卒業出来てしまう。もっとも眞子様の場合は最初から留学を考えての大学選択であったのかもしれない。佳子様もその真似か、留学されたが、その英語力は相当に惨めである。

 だから「偏差値ランキング」という幻想に惑わされて、学習院を避けた結果が今、秋篠宮家に呪いのように降りかかっている。眞子様も学習院大学に進学されれば、それなりに良い縁談が設定され、今のような不祥事になることはなかったと思うと、返す返す残念である。もっとも「勝利の女神」は悔い改めた人間に対しては寛容で、罪から離れようとする人間をさらに咎めるようなことはしない。あと10日ほどで令和の時代が始まるが、秋篠宮様・紀子様も目を覚まして、今こそお子様方にとって何が必要な教育であるのかもう一度お考えくださればと私は期待している。