今年度最後の日曜日、私は近所のファミリー・レストランに来て朝食を食べた後コーヒーを飲んでいる。一見優雅ではあるが、ここのところの抑うつ気分も依然激しい。もっとも私の経験ではしっかりと規則正しい生活を機械のように続けて行けば大体半年以内には治る。

 こういう時は朝起きる習慣をつけるために“例の”「朝の連続テレビ小説」とやらを使えばいいのであるが、今、私の家にはテレビがない。あの地震のあった年(平成23年、2001年)のテレビの地デジ化の時に思い切って処分した。そういう人は多かったのではないかと思う。あれ以来、テレビは急速にその地位をスマホに譲るようになってきた。地震の時にテレビが何の役にも立たなかったことも大きな要因となった。あの時はテレビと大新聞などマスゴミ、そして携帯電話のワンセグもつながらず、意外なことに役に立ったのはラジオであった。そうした体験を通して、テレビはインターネットは勿論、ラジオよりも低い地位しか与えられなくなった。今の若い人は情報を得るのにスマホを主に利用している。ネット上の情報は、それはくだらないものもある。恐らくは95%くらいは見る価値がないものであろう。しかし一般人が自由に情報を発信し、そして受信できるようになったのは、大きな進歩なのであろう。もし平成という31年間続いた時代を総括するならば、テレビ(及び腐敗・堕落した大新聞)の急速な退潮、そしてネットの急激な発展の転機となった時期と位置づけられるであろう。

今、私のパソコンの左にはスマホが置いてあるのである。これは一体どういう機械なのであろうか?かつての携帯電話から進化した代物であることは事実であるが、スマホを持っている人なら皆気がついていることであるが、これはある種の小型のパソコンである。一人が一台、携帯用のパソコンを持ち歩くのが普通になった時代は私たちをどこに導くのであろうか?その転換点となる時代を生きている私は、それを歴史への証言として書きのこさなければならない義務がある。

 頭の具合が良くない(例の気分の変調のせい)ので、最後にもう少し気分が愉快になることを書きたいと思う。昨日で『まんぷく』が最終回を迎えたそうである。私はこの番組を一回も見なかったが、NHK制作ということで、条件反射的に攻撃しないでおいて良かった。評判が非常に良いのである。NHKの朝の連続テレビ小説は悪運が強く、酷評されていた『半分、青い』の次の番組がもし質の低いものであれば、私たちはこの悪しき放送局の解体に向けて世論を盛り上げることが出来たのであるが、佳作であったとのことで非常に残念である。どうも一般的にNHK東京制作(年度前半)よりNHK大阪制作(年度後半)の方が名作が出やすい傾向があるようである。関東より上方の方がやはり文化レベルは高いのかもしれない。中でも『あさが来た』(平成27年,2015年)の出来の良さは衝撃的ですらあった。波瑠と宮崎あおいのダブル主演で、明治・大正の激動期を生きた2人の女性の生涯を描いたこの作品は、テレビのない私でもある方法でほぼ全話視聴した。AKBの歌ったテーマソングは今でも鮮明に覚えている。この時も前作『まれ』がどうしようもない駄作であったので、NHKの息の根を止める絶好のチャンスであったのに、ミイラ取りがミイラになってしまい、すぐに攻撃を中止して夢中になって視聴した。昔の朝の連続テレビ小説では、『ふたりっ子』も印象的な番組で良かったような気がするが、あれもNHK大阪制作だったかもしれない、確認はとれないが。

 さて平成が終わり、明日元号が発表になるが、その記念すべき日に第100作目の『なつぞら』が放送開始になる。広瀬すずが主演という以外に今のところ私が知っていることは何もないが、平成の御世の間に「朝の連続テレビ小説」を酷評して葬るという私たちの計画は残念ながら挫折したようである。私のブログの読者はもうお解りかと思うが、私はこの朝の15分ドラマのことが、実際には気になって気になって仕方がないのである。小学生が好きな女の子をいじめたりするのと同じ心理である(笑)。というわけで〇〇(新しい元号)10年くらいまでは私と「連続テレビ小説」とのバトルは続くと思われるが、どうか長い目で暖かく応援して欲しいと思う。