忘れないように記しておく。
19歳で描いた漫画が雑誌に掲載されて
そのまま上京してデビューして
ドカーンと大ヒット作家になったわけではないにしても
独学でそれなりのところをくぐり抜け
全力疾走出来る大きなステージをその都度獲得して
自分の表現を形にして来ました。
ありがたいことに
知る人ぞ知る的なある意味カルトな漫画描きの立場の
こんな僕でも気がついたら
誰かがWikipediaなるものを拵えてくれて
簡単なプロフィールならば
検索すれば見られるようになっています。
で、唯一漫画描きとしての師匠吉田聡先生が
今年「読み切り・湘南爆走族」でデビューしてから
画業40周年だということでお祝い等あるのですが、
そう言えば今までザックリとした記憶しかなかったことに気がついて(特にデビューした時期や掲載雑誌の発売時期等)自分の漫画描き歴をキチンと振り返ることをしてみました。
僕が本格的に原稿用紙にペンとインクで漫画を描いたのは大阪芸大の受験に落ちて短期のバイトをしながら遊んでいた19歳の時。
コンビニで買った画用紙の束に駅前の画材屋さんで買った道具で25ページの読み切り作品を4本描いて
当時1番読んでいた今はなき「少年KING」の新人賞に
まとめて応募しました。
自分でも作品を送ったことをすっかり忘れて
遊び呆けていた秋頃に電話で作品が新人賞を取って
雑誌に掲載されることになったと言われました。
で、その雑誌が年明け1月に発売されたので
僕の漫画描きデビューは1988年の1月14日ということになりました。
で、ここからが不思議な巡り合せというか
少年画報社でのいろいろ大変な時期を過ごし、
デビューの際の流れの中で自分の周りに作家同士の繋がりがまだまだ無かった状態で画報社を出ないといけなくなって、自分1人の力だけで次の場所を開拓せざるを得ない状況になりました。
全く縁の無い方面の方々からも一応お声を
かけていただくこともありましたが、
何故かその段階での自分の実力を試したくなって
改めて新作の読み切りを25ページ描いて大手の
出版社を片っ端から回りました。
その中で一社だけ
小学館の少年サンデーの編集さんの目に止まり
その作品を締め切りギリギリのとある賞レースに
加えていただけてさらに入賞、しかもそのまま連載。
というわけで
小学館より漫画描き再デビューが
1991年1月5日発売の週刊少年サンデーに
なりました。
まさかのこのグレートな扱いには全く応えることが
出来なかったこの連載は連載中にいろいろあって短命で終了しました。
しかしその後は増刊サンデーやコロコロコミックや
学年誌等でもたくさんお仕事させていただきました。
それからも
いろんな会社からいろんな作品や単行本や
ゲームのキャラクターやアニメのコミカライズなども
ありましたが体調を壊して休養期間になります。
で!ここからが今回書いた記事のテーマ、
長い休養期間を経て50歳を期に新しく松村魂として始めたオリジナルソフビ制作販売が、準備期間にいろいろかかりましたが作品を完成させて初めて人様に披露したソフビデビューの日が2020年1月12日。
なんとなんと
僕の作品が世に出るタイミングが何故か
1月だということが今頃わかって
自分でも呆気に取られてしまいました。
というわけで実は今年54歳なので
漫画描きとして世に出てから35周年ということを
ヒッソリ感慨深い気持ちで噛み締めております。