08月29日、2023年の夏は飯豊と奥会津を巡る5日間(2)計画と前乗り | Cycling Wonder

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プレスポで行く神奈川の道

ここからは、山行の計画と往路と前乗りして会津観光した話を書きます。

■計画
川入登山口からテント泊して飯豊山に登る。
迷ったのは一泊二日か二泊三日か、一泊二日なら飯豊山までだが、二泊三日だと御西岳まで行ける。頑張れば大日岳まで行けるかもね。
着替えや食料でバックパックの重量が増加する。
6月に丹沢の大倉尾根で塔ノ岳登山をテント泊装備で登る練習を3回実施。
12kg以上の重さだと極端に歩けなくなることが判明。
飯豊山の歩く距離と持っていく荷物の整理を考えると二泊三日は難しかった。
まずは山行の成功を優先して一泊二日に決定。
しながら弾丸登山は無理と判断(自宅から川入まで6時間以上運転し続けるため)、前乗りを決めた。
飯豊山の後は、昨年只見線の不通区間(会津川口-只見町間)が復旧して汽車が走るようになったので、只見方面の山と撮り鉄を休みの後半に行うことを決めた。
そこで狙いを付けたのが「蒲生岳」と「浅草岳」どちらも日帰り登山が一般的な山。
蒲生岳は登山コースがほぼ1つ(山頂付近で2通り)。
浅草岳は複数あって、選んだのは田子倉登山口から入り、鬼ヶ面山の断崖写真を撮る只見尾根コース。
飯豊山から下りた後、2山連続の日帰り山行が懸念点だが、計画実行直前での台風7号接近で日程上の余裕がなくなった。
開始日は8/14予定から8/16開始に変更した。
 

こうして出来たスケジュールが↓これです。


※計画実行後の感想
今思えば、計画検討時は「真夏の登山」と言うものに理解が足りず、3山を実行することばかり考えていた気がする。
飯豊山一つだけでも良かったような気がしている。

欲張りすぎました。


■往路検討
長距離移動の時は、「NAVITIME」というアプリで高速代や走行時間の見積もりをしてきました。
今回は「MapFan」でも同様のルート判定をやってみました。

NAVITIMEは経由地の設定が難しく、すぐに下道に下りて無駄な道を走る傾向が強い。
MapFanは無償使用の場合、経由地の指定が5箇所までなので、経由地が多くある場合は、複数回に分けて調べることになる。
自分の走りたいルートをすんなり選んでくれたのはMapFanでした。

★NAVITIMEで東京通過を自分の指定通りにするのは不可能
横浜なので北に向かう場合は東京を南北に通過しなくてはいけない。
2つのアプリで何の制限もつけないと、表示されるのは第三京浜で玉川に行き首都高3号線に入り板橋JCTから江北JCT経由で川口JCTに行くルートを示す。
首都高で中央環状線を走るのは苦手なので、私は湾岸線から新木場で中央環状線に入り東京の東側を北上するルートを走るようにしている。
これまでの経験で上矢部ICから川口JCTまで1時間程度で行けます。私はこれで良いと思っている。
NAVITIMEではこのルートを全く選んでくれません。イライラします。
対してMapFanはすんなりと表示しました。MapFanの評価高いです。

※首都高で東京を南北に通過するルート


●5つのルート情報

検討したルートの情報と走行時間と通行料金を参考情報として載せます。
条件は、出発地=横浜市戸塚区上矢部IC(横浜新道)、目的地=会津若松市鶴ヶ城西出丸P、出発時刻=1:25です。

①全部有料道路で走った場合(ETC=8980、走行時間=4:38)
東北道で郡山JCTで磐越道に移り会津若松ICで降りる。


②白河中央ICまで有料道路で走った場合(ETC=5090、走行時間=4:42)
白河中央ICからR294→R49→K64で会津若松の北東から入る。


③MapFan推奨(経由地指定なし)(ETC=4160、走行時間=5:14)
宇都宮まで東北道で走り、宇都宮から日光宇都宮道路に移り、篠井ICで降りて、以降日光街道R119→R121で南会津を北上して南から会津若松へ


④トコペコの指定ルート(ETC=4020、走行時間=5:54)
有料区間=上矢部IC~五霞IC、矢板IC~白河中央IC
下道(一般道)区間=有料区間以外。新4号国道(R4バイパス)が快適なので高速代を節約、白河中央ICからR294→R49→K64で会津若松の北東から入る。



⑤五霞IC(ごか)以降全部下道を走った場合(ETC=2840、走行時間=6:21)
茨城の五霞ICから新4号国道(R4バイパス)で宇都宮へ、西那須野から南会津方面を経由して会津若松の南から鶴ヶ城を目指す。


私の選択は④です。
福島県に入ると主要市街地以外は全部バイパスみたいな道なので、日の出前なら快適に走れます。
白河まで東北道であとは一般道で十分だと思いました。
MapFanが提示した日光街道経由は新鮮でした。一つの国道の端から端まで走るだけなので案外簡単かと思います。
なので有料道路を全部走るルートは絶対無駄だと思いました。お金があるなら否定はしませんけどね。

※ルート検討時Gogleマップに写っていた珍しい光景
東北道への合流ルートを検討するためストリートビューを見ていたら偶然事故現場が載っていた。



■会津観光(1)-鶴ヶ城
福島県(福島市の山側)に生れ、中学まで福島にいたにもかかわらず鶴ヶ城に初めて来ました。
何と言う郷土愛のなさ。
磐梯山とか猪苗代湖なら何度も訪問しているのですが会津若松市となると案外行きません。

写真では何度も見たことがある鶴ヶ城。
TBSアナウンサーの安住さんが絶賛した西出丸駐車場に停めました。

(1)落城と外観復元
家臣が止めろというのに外戚から来た殿様(容保:かたもり)は引け目から引き受けた京都守護職。
長州や薩摩から嫌われまくる。
孝徳天皇は良かったけれど、信頼した天皇は不振な死を遂げ、明治天皇に変わってしまう。
明治天皇にうまく取り入った長州は錦の御旗を手に入れる。
立場が逆転する会津と長州。明治新政府に楯突いた反乱軍として会津は戊辰戦争で成敗された。
会津松平氏の居城が「鶴ヶ城」です。

明治になってすぐ鶴ヶ城は解体され、堀も埋められた。
生き残った家臣たちは北海道に転封された。

容保は日光東照宮宮司となる。
その後、会津の商人がお城の土地を丸ごと買い取り、開発を阻止。

後に会津若松市に寄贈された。昭和になって復元された。
新政府軍の大砲で穴だらけになった写真しか残っていないため、復元は外観のみである。
↓良く知られた西側からの写真

↓北東側から、裏御門越し(今は石垣だけ、当時は東走長屋に通じる建物あり)


↓東側から

↓石垣の違い

↓復元の様子

説明文


(2)本丸レイアウト
天守閣の前に広がる芝生広場が昔の本丸御殿跡。現在だと跡形もない芝生広場のためピンとこない。

↓私は西出丸Pから本丸へ入りました。



(3)本丸(場外)
西出丸Pから入り裏御門より本丸場外に入る。
天守の入場時間には到着が早過ぎて暫くは場内に入れないため本丸内を散策する。

↓西側から

↓北西の角

↓大手門

↓北側


↓東側

南西の角に「荒城の月」の歌碑があった。作詞は土井晩翠で、鶴ヶ城も関係があったと書かれていた。

堀を囲む石垣や櫓の石垣を見る。とても精巧に出来ている。

↓二の丸側

↓左下手前に茶室

↓芝生広場(本丸御殿跡)

南走長屋の下にある鉄御門を出たところで天守の南西の石垣を見る。走り長屋に続く石組は時代の違いをはっきりと示していた。

↓天守の南東

↓出入口、この時は時間が早すぎて入れず

天守を回り込んで二の丸に続く橋に行く。堀の反対から本丸の堀側の石垣を見ると見事な景色だった。


(4)南走長屋
天守から南側の堀まで続く長屋作りの張り出し、完全復元されている。兵の移動や食料の備蓄用に使ったようだ。


(5)東走長屋
レイアウト図では天守の東側(二の丸方向)にも走長屋があったと記されている。

確かに長屋が建ちそうな幅の張り出した石垣が続いている。復元されるんでしょうかね。

(6)西出丸P
お城に隣接する通りの北出丸信号から西出丸Pに着くまでを歩いてみたので並べてみる。
①北出丸の堀を回り込む


②桝形クランクを通り過ぎると北出丸

③北出丸の後もクランク道が続く

④次に見える堀は西出丸の堀

⑤堀を越える道を進むと西出丸P


(7)本丸場内博物館
場内博物館の入場時間になったので本丸内に入る。
5階建て?になっている3階に鶴ヶ城の歴代領主の情報が説明されていた。


★芦名氏
私は、最初の芦名氏にくぎ付けとなった。
大抵の人は、隣りの金の前飾りで有名な伊達家の兜に釘付けとなるため手前の芦名氏は印象にない。

説明にもあるように、芦名氏の起源は現在の三浦半島にある横須賀市芦名である。
自転車で走り回っていた頃、芦名の十二所神社を訪れたことがある。
そこの説明板に昔会津の殿様の代理の人が来てお祭りをしたと書かれていて、どんな関係なのか不思議に思った。
多分会津の芦名氏繋がりだろうと思う。
↓横須賀市芦名にある神社


(8)展望
天守の最上階は展望台となっており会津若松市内を見渡せる。
やはり興味は飯盛山は見えるかです。城の北東方向に見える山が飯盛山でした。


■会津観光(2)-飯盛山
鶴ヶ城の次は「白虎隊自刃の地」である飯盛山を訪れました。
ここは確認しておかないといけない場所です。
山の中腹まで長い階段を上るのが億劫で、思わず歩く歩道を使ってしまいました。



★白虎隊自刃の地
現在の感覚で言う16歳くらいの若いサムライの玉子たちが、南東の方角に見えた鶴ヶ城が燃えているように見えて
自決を決意し、十数名が命を落とした場所です。
隊士の墓標が並んでおり名前を見ると「太郎」が多い、きっと長男なんでしょう。
隊士たちの墓標の横に、容保が詠んだ短歌の歌碑があるが、怒りを感じた。

容保と言う愚か者の為にどれほどの人々が苦しんだのだろう。
京都守護職など断じて引き受けるべきではなかったと思う。
腰抜けと罵られようと、薄汚い譜代大名の策略に乗るべきではなかった。
「武士のプライド」、そんなものは関係ない家臣を思えば自身だけ屈辱に甘んじれば良かったのだ。
私は松平容保をろくでなしの間抜けと思いました。
健常な体の少年が短刀でお互いを指し合うという行為がどれほど哀しいか改めて考えてしまった。
つまらないプライドに拘る愚かなトップ程人を苦しめるものはない。

★さざえ堂
二重らせんの木造建築があったので入ってみた。


特に感想はないが、これと同じものをタダで体験できるのが、神奈川県秦野にある。
自転車野郎には有名なヤビツ峠に向かう途中に「菜の花台」という休憩地がある。
ここに木造の展望台があるのだが、構造が二重らせん構造なのです。


■喜多方ラーメン
11時過ぎに飯盛山を後にして喜多方市へ移動。
登山口に向かう前に有名な喜多方ラーメンを食べようと考え喜多方市内の南側のコンビニでどこに行くか考えた。


コンビニのすぐ近くに「源来軒」が見えたのだが、12時過ぎなのに「ス―プが終了したので今日の営業は終了」の表示が見えた。


ならば「坂内食堂」に行こうと思って喜多方市役所の駐車場を目指すが平日で観光駐車が出来なかった。またまた失敗。
ぐっと回って通りを走ると「大安食堂」なら入れそうだ。

駐車場に車を停めて店内に入る。(少し店外で待たされました)
何の食券を買ったか覚えていないが、「食べられて」良かった。


13時過ぎに店を出て川入へ向かった。
途中、ラーメン店の「一平」と「大三元」を見てみたら一平は定休日で、大三元は「スープ終了で営業終了」でした。
平日の喜多方ラーメンは午前中でないと食べられませんよ。



■川入・御沢キャンプ場
R459→K383と走り、日帰り温泉「飯豊の湯」で温泉に入り、終着地である御沢キャンプ場に16時過ぎに到着。

翌日からの飯豊山向けの準備と車中泊のセッティングをして横になる。


★段ボール
今回の車中泊の特長は、段ボールを活用したこと。
3山用に下着とウェアを分けておき、使用前と使用後で箱を分け、なるべく混在しないようにした。


ただ移動で車を走らせただけで車内の荷物は左右に揺れてしまうのでぐちゃぐちゃになりがちなんですが、段ボールで分けてしまえば段ボールごとゆれるだけなのでぐちゃぐちゃにならない。積み上げたまま走ってしまうと、走行中に落ちてしまったりするけど段ボールなので多少変形しても問題ない。
旅行が終わったら畳んで仕舞うも良し、ボロになったら紙ごみで処分すればよい。我ながら良い方法だったと思った。

★結露と虫対策
真夏なので窓を閉め切って寝ると、暑さで起きてしまう。そこで窓は少し開けるようにしていますが、虫が入らないよう網戸を使っている。
100均で手に入る後部窓用サンシェード(大抵は折り畳むことでコンパクトになる)
の針金接合部をペンチで捲りフィット3のサイドウィンドウ用に長さを変更する。
少し開けた窓枠にはめ込んで虫の侵入を防ぐ。

※なお、虫対策には乾電池で動作する

「どこでもつかえる アースノーマット」を使ってます。



ここまでは良かったんですけどね、上手く眠れませんでしたよ。
残念です。



ではでは(⌒O⌒)