12月12日、今日の一曲 『世情』中島みゆき | Cycling Wonder

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プレスポで行く神奈川の道

中島みゆきさんの活動歴は滅茶苦茶長い、なのにいつも写真でみると変わらず美しい。
まるで魔女のようだ。(歌謡界の珠世様みたいだ、愈史郎 (ゆしろう)は誰だ...)w(゚o゚)w
 
まぁ容姿のことは置いといて、たくさんある曲の中でベスト3を選ぶとなると、私は初期の作品に片寄ってしまう。
自分が若者だった頃に聴いた曲がどうしても目についてしまうのです。
 
私の、中島みゆきベスト3は、
1位、時代(1975)
2位、ホームにて(1977)
3位、世情(1978)

 
となります。3位はアザミ嬢のララバイ(1975)と迷います。
1位、2位は鉄板で変わることはありません。
「糸」(1998)や「地上の星」(2000)など名曲は数多くありますが、私にとっての中島みゆきは先に挙げた4曲でほぼ完了です。
他の曲はおまけにすぎません。
 
個人的には、2位の「ホームにて」について語りたいが、まぁ個人的な”感傷”で終わってしまうので3位の曲を今回は選択します。
「世情」が好きな理由は、歌を聴くと「あ~、そんな時代に自分もちょっとだけ引っ掛かっていたんだなぁ」と思えるからです。
メインストリームは去った後で、余韻も消えかけていたんだけど、なんとなく理解出来たという思い出を感じるからです。

 
※「ホームにて」のお薦め


ホームにて 中島みゆき cover(2011/01/27 noripi746)
 
中島みゆきさんのカヴァー動画と言うのは、非常に多くありまして、どんな曲でも同様です。
「ホームにて」も人気の曲で、芸能人のカヴァー動画がYouTubeではよく見られているようです。
しかし、私は 高畑版も手嶌版も嫌いですね、全然いいと思いません。
この曲は、寄り添うような、隣で歌っているような臨場感が感じられるかどうかがキモだと思うので、芸能人の歌う動画はどれも失敗作だと思っています。
リンクに挙げたYouTube動画は、中島みゆきさんが歌っているのではと錯覚するような感覚になったもので、このように歌って欲しいのです、私はね。
何分素人さんの古い投稿なので、もう消えてしまったかなと心配しましたが、まだ有効でした。
悪いことは言わない、私のお薦めが最良のカヴァーです。聴いてくださいな。
 
※「時代」のお薦め
こちらは逆で、薬師丸ひろ子さんのカヴァーが最良版です。
オリジナルが一番は変わりませんが、薬師丸ひろ子さんが歌う「時代」も同じくらい好きです。
この方の”声”と「時代」が良くマッチするのです。
リンクは載せられませんが、YouTubeにもたくさん見つけられますので聴いてみてください。
歳を重ねた最近の声がより良いように思います。
 

※「世情」のお薦め
6歳が歌う 世情 - 中島みゆき / cover 弾き語り
これは画像なしでリンクのみです

 
もう、あまりに鬱陶しいカヴァーばかりなのでお勧めなしにしようとしたら、なんと6歳のお嬢ちゃんが歌う動画がYouTubeにありました。
キーが低くて、歌いにくそうでしたが、終盤で伴奏のお父ちゃんが歌い出すとピッタリでした。
(とうちゃん、娘に合わせたれよ)
そばに弟もいて、微笑ましいホームビデオになってました。
案外、世の中のしがらみとかを意識しないで歌った方が良いかもしれませんね、あまりにも固定されたイメージがありますからね。
でも、とうちゃんがギターを弾けて、子供が嫌がらずに歌ってくれるなんて、羨ましいですな。
(一人になったら、とうちゃん泣きながら歌ってるんですかね、ちょっとムフッとしました)
 
 
■「世情」と日本の学生運動
現在では、香港での民主化デモに重ねて見られてしまうが、「世情」は体制批判をするだけの歌ではないように思います。
 
体制派と反体制派、権力側と反対派、多数派と少数派、対立する状況を解説する歌ではないのです。
 
発表されたのは1970年代の末で、もう世の中では日本の学生運動が沈静化して、過去の出来事になっていた。
 
はっきり言います。
「日本の学生運動は、世間(日本社会)から支持されなかった。学生たちの一人芝居で終わった」
のである。
 
日本の学生運動と言う現象は、日本社会をなにも変えることが出来なかった。
日本の大学生は親のすねをかじって愚かなことをするバカ者であるという認識を、全国に知らしめただけだったのだ。
 
学生達が何をしたかったのかが、普通の国民には理解されなかったのだ。
 
学生たちは理解してもらう行動をしなかった。
安保反対して、その後どうしたいの?
大学を学生の為にって、我がまま言うなよって話です。
一般の国民にはどうでも良いような話なんですよ。
 
雰囲気に酔ったバカ学生が、ムーブメントに乗っかってどんちゃん騒ぎをしていたようなものです。
現在で例えれば、ハロウィーンパーティの続きを、渋谷のスクランブル交差点でやっているようなものと同じです。
本人は楽しいかもしれないが、帰宅を急いで渋谷駅に向かう人には迷惑以外の何物でもない。
(楽しそうなので一緒に踊ってしまうかな)
 
安保闘争は、1960年代の運動がメインだったが、当時の岸首相は不平等な、それまでの日米安保条約(地位協定)を是正しようとしていたのだ。
米軍の特権をなくそう、より対等な関係に変えようと考えていたのだが、学生運動の騒乱によって、思うようにいかなかった。
 
私が思うに、次の首相となった池田勇人が、岸氏を引きずり下ろすために、仕掛けた政治闘争に学生をうまく乗せたのではないかと思っている。
池田勇人は、所得倍増計画などで評価されているが、とても胡散臭い人なのだ。
岸首相の時には、日米安保改定案に反対していた。
自分が首相になったら、日米安保に反対しないと態度を180度変えているのだよ。
ろくでもない人にしか思えないんだな。
 
結局、昭和の学生運動は、日本の政治家の権力闘争の道具として利用されたのだと私は解釈している。
それが、次第に一人歩きして、いつのまにか過激なテロリスト集団に変わってしまった。(革マル派や連合赤軍など)
だから、当時の学生運動を美化するように語る、老人のコメンテーターなどはろくでなしと思って間違いない。
無駄にエネルギーを消費して、有益な他の各種活動を邪魔しているにすぎない。
(左派系マスコミとは、そういう独りよがりが特徴です)
 
 
■学生運動と高度経済成長
高度経済成長期を支えたではないかという指摘があるが、とんでもない間違いである。
今でこそ、大学への進学率が高く、経済的な問題がない者以外はどこかの大学に入れる時代である
しかし、学生運動が起きた昭和30年~40年代では、まだ高卒が普通で十分就職が可能な時代であった。
むしろ必要とされた労働力は高卒がピッタリしていた。
戦後日本の高度経済成長期を影で支えたのは地方の高卒者たちなのである。
日本の高度経済成長期とは戦後1955年~1973年の約20年間を言います。
学生運動は、1960年の安保闘争から1970年の全共闘運動までが盛んであり、1972年に起きた浅間山荘事件でほぼ終了です。
学生がヘルメットと手ぬぐいで大騒ぎしている間に、日本の経済は成長したんですから、学生の力なんて関係ないですよ。
理系の学生が貢献したとは思いますけど、文系の学生は糞ですよ。
学生運動に熱心に取り組んだ者は一般企業に煙たがられ、就職した先はと言えば、マスコミ関係である。
新聞社、TV局で延々と自慢話を続けているのですから、くだらない連中なのだよ。
 
「世情」の発表は1978年で、中島みゆきさんが26歳の時の作品です。
60年安保闘争では、国会議事堂で樺美智子さんが亡くなったが、中島さんは8歳で関係ない。
関係するなら70年の全共闘闘争になるが、これは完全に学生の一人芝居だった。この時中島さんは18歳。
学生に共感したとはとても思えません。
 
日本の学生運動の時代にはインターネットはなかったのです。
マスコミの言うウソに対するカウンターはいなかったのだ。
見方を変えてみると、最近の話では安保法制の改版に対して、異議を唱えた学生の集団がありましたね。
”シールズ”とかいう連中ですが、彼らに大衆は賛同したでしょうか?しなかったですね。
 
マスコミが擁護したにも拘らず胡散臭い団体として警戒されました。それは、ネット社会のおかげです。
もはやミレニアム世代には、マスコミの言うウソを見破る術を身に着けていたのですよ。
彼らの運動が一般の学生に広がることはなく、厄介者扱いで消えてしまいました。
 
 
■中島みゆきは、時代の傍観者である
このように、当事者は、青春の1ページの思い出作りに一生懸命なんですが、自分がピエロであることはよく分かっていないのです。
青春の真っ只中にいて、悦に入っていたのである。
 
A - B

  C
 
という三者がいるとします。
直接対峙するのはAとB、揉めたり、協力したり、共感したりする。
Cはそれを見ている。
Cの取り得る態度は3つ。
1つ目、上から見下ろして、「なにやってんだ」と批判したり、解説したりする。
2つ目、A又はB側に立って、相手を攻撃する。立場を反対に変えたりもする。
3つ目、AとBの様を、同じ目線で傍観する。どちら側に片寄ったりはせず、中立の位置で眺めた様を中継する。
 
中島みゆきの歌は3つ目なんじゃないかと、見たままを素直に表現したら、こうなりました。
自分には「こう見えましたよ」っていうことを歌っているのかなと言うことです。
それは、どちらが良いとか悪いとかではないのである。
 
中島みゆきさんの歌は、積極的にどちらか側に肩入れしたりはしない。
どの曲もみなそう。
しかし、冷めた目線で見ている訳ではない。
何となくですが、眼差しはどちらにも優しい気がします。
「争わないで欲しいが、今は無理だね」
「時間が解決してくれるかな」
っていう感じ。
 
「世情」では、どちらが良いという安易な判断は示されていない。
どちらも「変わらない夢」を見たまま彷徨っているのだという。
ある思いに取り付かれたものには、もはや良い悪いという判断に価値はない。
(どう思われようとかまわない)
 
どちらにも組しない第三者の視点に立てば、争いは滑稽以外の何物でもない。
 
「世の中はいつも変わっているから、頑固者だけが悲しい思いをする」
変わらないと主張するA、変わるべきと叫ぶB
 
傍観するCには、AもBも、”所詮”頑固者なのだよ。
 
「シュプレヒコールの波」とは”群衆”と言うことでしょう。
自分の考えを持たず、流れに乗る者たちがシュプレヒコールに思えるのではないのかな。
 
群れたがる日本人の様みたいではないか。
 
 
■別の力
この歌は、本人の意思とは別の力でイメージが植え付けられたような気がします。
 
金八先生のドラマ最終話が印象深くて、学生運動という偽りのターボもあってか、自己陶酔の極みに陥るという大失敗を、大多数の日本人はしているのである。
 
この歌が流れると、人々は金八先生の加藤優と長髪の武田鉄矢を思い浮かべる。
何に抗議しているのかはよく分からないが、なんか揉めている。
「世の中は、い~つもかわっているから~...」
と流れる。
(あ~、あいつは頑固者だからなぁ...)
となるのである。
 
流れに乗るのが上手だよね日本人は。
 
で、流れに乗れない私はいつも損をする。
 
 
ではでは(⌒_⌒)v 










●マスコミの糞
最近知ったニュースでは、朝日新聞が営業赤字に転落して、低迷が解消できそうにないんで責任取って社長が辞めるそうだ。
私の家も朝日ですが、私はほとんど読みません。熱心に読んでいるのは今年の春から同居している妻の母(80歳代後半)です。
家にいて暇だというのとボケ防止です。私は広告目当てですね。
それもコロナの影響なのか最近は広告が少ないです。「あれ?いつから毎日新聞に変わったんだ」みたいな感じで広告がないです。
景気の悪さを実感します。今頃ならボーナス目当てに車の広告が入るんですがね、決算セールとかね、今年はないです。
民間の企業や個人事業者は大変なんですね。
 
YouTubeの高橋洋一チャネルを見ていたら、日本のマスコミが規制で海外から守られているというのを知りました。
マスコミの株式取引に規制があって外国からの介入が難しいそうだ。
他にも色々規制で守られている。しかも、軽減税率の対象にもなっている。
ある意味国によって手厚く守られていると言えるのだ。
それなのに、あの朝日新聞が営業赤字とは、なぜなんだ。
結局、自力取材の能力が低く、単に役人からのリーク情報を新聞にしているだけと言うことで、お金を出して読みたい記事が書けないからだという。
 
なるほどな、と妙に納得してしまった。
他の大手新聞も同じようなものだそうだ。多角経営で黒字になっているだけと言うことらしい。
そう言えば、広告大手の電通も赤字でしたね。
 
結局、普段は政府批判で新聞作っているのに、裏では役人や政治家にゴマをすってすり寄っていると言うことなんですよ。
マスコミって糞ですよね。
 
新聞もTVも、自ら問題提起なんてしないですからね。
政府や政治家、役人が何か言うと、
「xxxの発表では○○〇とあるが、ある関係者によれば△△△の点で検討が必要とのこと」
とか
「xxxの発表では○○〇とあるが、専門家の意見によると△△△の点で不十分であり心配だ」
とか
「xxxの発表では○○〇とあるが、本当にそれが今の時期に適切と言えるのだろうか」
みたいな、ほとんど他者の力におんぶして報道している。
「”関係者”って誰や」とか「その専門家でいいのかよ」ということである。
マスコミの代わりを、ネット世界でも担えるようになってきた今、マスコミの存在理由が薄らいで行くのは当然ですね。
 
全く同情しません。

(゚゚)(。。)(゚゚)(。。)ウンウン